イエスの時

 

イエスの時 単行本 – 2006/5/23

大貫 隆 (著)

イエスの時 ペーパーバック

2016/7/12 大貫隆(著)

 
古代人イエスが抱いた終末のイメージ・ネットワーク──
「地上に広がりつつある神の国」が編まれた背景を、
旧約とユダヤ教黙示文学に探り、
時間変容の経験としてその救済のヴィジョンを論じる。
〈全時的今〉の時間論をパウロの十字架の神学、
ベンヤミンの「今この時」と対比し、姉妹篇『イエスという経験』を補強する、
書下しイエス論。
 

 

==或る書評より

 

本書あとがきによれば、前著「イエスという経験」(岩波2003)に対する批判・論考への応答の中で浮かび上がってきた諸問題を、体系的・組織的に論述することが本書の目的である(p.291)。

特に、古代における時間理解を巡る論考を中心軸としつつ、

パウロそしてイエスにおける時間理解と世界像に迫ることを試みている。


第1部では、旧約におけるアブラハム契約とモーセ契約との関係について取り上げ、それらのユダヤ教黙示思想への影響、また洗礼者ヨハネとの関係について論じている。

 

第2部では、イエスにおけるアブラハム理解についての論考を通して、イエスの時間理解・世界像、さらにはイエスの自己理解に迫ることを試みる。

 

第3部では、原始エルサレム教会からパウロへの信仰理解の展開を追い、パウロの時間理解の分析を通してその十字架理解・救済理解について論述し、

さらにG.アガンベンのパウロとW.ベンヤミンの関係についての論考

(上村訳「残りの時-パウロ講義」岩波2005)を手懸かりに、パウロの時間理解について論じている。

 

最後に著者は、イエスとパウロの最大の共通点として、「神の国」を「(永遠の)生命」として理解している点を挙げている。
前著は、史的イエス研究の視点から出発して、

イエスの「内面」、いわばその自己理解に迫ろうとする試みであったということが出来る。

 

それに対して、本書は旧約からパウロに到るまでの、いわばイエスを取り巻く聖書的な「背景」を分析することで、イエスがどのような環境を生きたのかに迫ろうとしている。それはまた、古代社会の中で発せられたイエスの救済のメッセージを、今日に生きる私たちはどのように受け取ることができるのか、という問いかけに繋がっている。
そうした意味で、本書は新約学という限られた学術領域におけるだけでなく、幅広い読者層に対して開かれた問題を提起していると言える。