道元和尚が、存命の時は、

「原始仏教」…僧海、義尹

「中国禅」…寂円、後には義雲

「日本天台宗、達磨派」

 …懐奘、懐鑒、義介、後には瑩山禅師

この3つが、共存できた。

何故か?

儀式をしなかったから!

生活の「規範、戒律」が、同じであり、

「同じ様式・スタイルの生活」を送り続けていた。

たとえ、

頭の中で考えていることが異なっていても、

何ら支障は生じなかったのだ。

ただ、

道元和尚は、「原始仏教」の弟子だけに「嗣書」を授けた。

 

だから、

道元和尚の死後になってから、

「懐奘」も「義介」も、道元の「原始仏教」を「嗣法」せずであり、

「頭の中の違い」から、

所謂「葬式仏教の儀式」を導入して布教を開始するようになり、

永平寺の「三代相論」という対立分断が起こった。

 

つまり、

「懐奘」も「義介」も「天台密教、梵我一如のお悟り」であり、

密教だから、

「儀式にこそ、その本質が宿る」の

「心の外に現れる肉体の行為」に重心が移っていった!

 

これが、

最澄が始めた「日本天台宗」を完成させて、

より具体的には、

「中国天台宗」にインド密教と中国禅とを融合させて、

日本土着思想の「日本の仏教」を生み出した。

 

現在の日本曹洞宗は「この瑩山禅師の教え」だけになっている。

 

他方、

道元和尚の教え「原始仏教=正伝の仏法」は、

この瑩山禅師によって、完全に封印されてきて、現在に至る。

 

沢木興道、鈴木格禅、…すべてが「梵我一如の密教のお悟り」である。

 

道元和尚は、「名前だけ」が良く書物には出るが、

その内容である、

道元の「原始仏教」は、まったく、知られないで、きた

 

他方、

現在の「日本曹洞宗の教え、ご先祖様崇拝」は、

その内容は、みんな知っているが、

それが「瑩山禅師」が日本人のために発明したものであることを、

誰にも知られてこなかった

 

 

 

道元禅師清規 (岩波文庫 青319-6)

1941/11/29 大久保道舟(訳注)

道元禅師が,その教団の規矩と理想とを提示したもの.
あるいは衆僧の調食を教え,あるいは禅堂の出入に関し参学の作法を示し,
また衆寮の内外における僧衆の威儀用心を規定し,
あるいは知事等の職に当って大悟した因縁事例を明らかにする.
「語録」と併記されるべき禅開眼の鍵である.
 
 
〇 〇 〇
 
ふと、思い出したので・・・