宗教は、必ず「風土」に根ざしていなければ、ならない!

だから、

釈尊は「ダブル・スタンダード」であった。

「出家」者に対しては、

「原始仏教」『阿含経』を教えた。

「在家」者には、バラモン教=ヒンデゥー教のままだった。

輪廻転生説もそのままだった。

ただ「五戒」を授け、道徳に対してお導きをした。

 

同様に、

日本曹洞宗も、これに倣い、

出家者には「道元和尚の教え」

つまり、『阿含経』「原始仏教」を教える。

在家者には「瑩山禅師の教え」

つまり「天台密教、梵我一如のお悟り」「ご先祖様崇拝」を教える。

 

〇 〇 〇

 

「釈尊の仏教」は、各地域の「風土」に解消して、

 

・インド密教=ヒンデゥー教、

・中国禅=老荘思想=道教=陰陽五行説、

・所謂「葬式」仏教=ご先祖様信仰=他界からお迎え「お彼岸・お盆」に

 

「道元」和尚だけは、「釈尊の仏教」に回帰した。

 

他方、

「瑩山」禅師は、最澄が始めた「日本天台宗」を最終的に完成させて、

「天台密教の、梵我一如のお悟り」に達成して、

初祖「大日・能忍」の「日本天台宗、達磨宗派」の「五祖」となり、

日本人の「死者と死の課題」へ、最終決着を与えた

 

「白山天台」の伝統を担って、

白山神社=観音信仰、山岳仏教・修験道を取り込み、

日本列島津々浦々、布教を展開した!

それで、江戸時代の初期には、

1万7千ヶ寺の大教団にまで発展して、日本人を救った

瑩山禅師こそ、日本仏教史上、最大の改革者である!

 

他方、

「道元和尚の教え」は、「僧海」「義尹」など少数しか理解されずに、

日本仏教には、全く影響を与えないままで、消滅した

つまり、

日本の「風土」には、相応しくなかったのである!

 

 

 

 

 

 

なぜ世間は「ハイデガーといえば『存在と時間』」と思い込んでいるのか(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース

 

なぜ世間は「ハイデガーといえば『存在と時間』」と思い込んでいるのか

配信

現代ビジネス

 

 20世紀を代表する哲学者として、今でも多くの研究書が刊行されているハイデガー。  ハイデガーのもっとも有名な著作といえば『存在と時間』です。日本でも多くの訳書や解説書が刊行されてきました。

 

  【画像】「ハイデガーを読むのはやめなさい!」と日本人に警告した有名哲学者

 

 しかし、『存在と時間』は、本題に入る前に途絶してしまった未完の書です。また、ハイデガーは、『存在と時間』以降も多くの仕事を残しています。

 

  防衛大学校教授の轟孝夫さんは、『存在と時間』だけではハイデガー哲学の核心は到底つかめない、と問題提起します。

 

  【本記事は、轟孝夫『ハイデガーの哲学 『存在と時間』から後期の思索まで』を抜粋・編集したものです。】

『存在と時間』偏重問題

 『存在と時間』の執筆は、1922年に「アリストテレスの現象学的解釈」という論文の刊行を計画したことに端を発する。

この刊行計画が紆余曲折を経て、『存在と時間』という書物の出版につながった(同書執筆の経緯については、

拙著『ハイデガー「存在と時間」入門』で詳しく論じたのでそちらを参照してほしい)。

同書は刊行後、ただちに大きな反響を呼び起こし、ドイツ国内のみならず国外にもハイデガーの名を轟かせた。

 

  『存在と時間』は今日に至るまでハイデガーの「主著」として、きわめて高い人気を誇っている。

しかし同書は主著と見なされているにもかかわらず、じつは未完の著作でしかない。

もともと上・下2巻に分けて刊行されるはずであったが、下巻は刊行されなかったのである。

その結果、『存在と時間』がその目標として掲げていた

「存在の意味」の解明も実際には果たされないままに終わっている。

上巻でそのための準備作業を終え、ようやく本題に入ろうかというところで途絶しているのだ。

全集の8割以上が『存在と時間』以降の仕事

ハイデガー(GettyImages)

 よく考えてみれば奇妙だが、『存在と時間』はこのように本来の目標に到達できていないにもかかわらず、

完結した作品のように崇め奉られているのである。

多くの人が上巻だけを読んで満足し、下巻が刊行されていないことは意識しない。

そもそも同書が未完であることを、だれも問題視しないのだ。

 

 

  それどころか、この不完全な『存在と時間』を主著と見なし、ハイデガーの思想の核心がそこに示されていると捉えている。同書の内容さえ押さえれば、彼の思想全般が理解できたことになる、そう考えているのである。

 

  それゆえ、ハイデガー哲学に関する研究書や一般向けの解説書は『存在と時間』に大きな紙幅を割いている。

その後の思索を取り上げる場合も、どちらかというと付け足しの印象を免れない。

 

  端的に言って、比較的よく知られた戦後の技術論などは別として、ハイデガーの『存在と時間』以降の思索に光を当てた入門書や解説書はきわめて少ない。

人びとの関心は圧倒的に『存在と時間』を中心とする彼の前期思想に向けられてきたのである。

 

  言うまでもないことだが、ハイデガー自身は『存在と時間』を世に出してからも、

1976年5月に逝去するまで、たゆまぬ思索の歩みを続けていた。

 

ハイデガー存命中の1974年に開始された全集の刊行が進んだ結果、

今日では予定された全102巻のうちのほぼすべてがすでに刊行されているが、そのうちの

8割以上が『存在と時間』以降の仕事である。にもかかわらず、

人びとは『存在と時間』の内容を知ることだけで満足して、

その後の思索の展開にはあまり興味を示さないのだ。

 

  そして研究者でさえも、ハイデガーの思想を『存在と時間』の内容に限定し、

それ以外の業績を視野から外している人は少なくない。

そしてそうした研究者が今度は、彼の思想にはあれやこれやの哲学的問題に対する目配りが欠けていると非難しだす。

 

  たとえばハイデガーは『存在と時間』で、

他者関係や公共性を現存在の非本来性と結びつける一方、

本来性における現存在の単独性を強調しているから、

彼の哲学は真の他者性や人間の条件としての「複数性」を度外視している

という批判がなされたりする。

 

  こうした批判においては、ハイデガー哲学の「欠落」を補うものとして、カール・レーヴィットやハンナ・アーレント、

エマニュエル・レヴィナス(1906―1995)など、ハイデガーに教えを受け、

そこから独自の思索を展開した哲学者の業績が参照されるのが常である。

そもそもここに名前を挙げた哲学者自身が、

自分の思索によってハイデガー哲学の欠落部分を補うという自負をもっていた

 

 

 

『存在と時間』だけを読み、あれやこれや批判

 このような『存在と時間』への批判は、ハイデガーを早くから受容した日本人のあいだでも見られた。たとえばドイツ留学中に刊行されたばかりの『存在と時間』を読んだ和辻哲郎(1889―1960)は『風土』(1935年刊)の序文で、同書は人間存在の時間性、すなわち個人の意識しか問題にしておらず、空間性(風土性)、ならびにそれに基づいた人間の共同性を取り逃がしているという批判を展開している。

 

  ハイデガーが人間存在を構成する空間性、またそれと密接に結びついた身体性を軽視している

という論難は今日でもしばしば見られるものである。

 

そしてこうした批判の文脈において、モーリス・メルロ=ポンティ(1908―1961)の身体性の現象学や、

ハイデガーの教え子だったハンス・ヨナス(1903―1993)の環境倫理学が、

ハイデガーが軽視した側面に光を当てたものとして高く評価されることになる。

 

  このように、『存在と時間』だけを読み、そこにあれやこれやの問題に対する目配りが欠けているというのが、ハイデガーの哲学に対するこれまでの批判の典型的なパターンであった。

 

  ところが、彼が取り上げていないとされている主題でも、『存在と時間』においてでさえ、ある一定の考察を見出せることが多い。さらには、『存在と時間』以降のテクストを見れば、彼がそれらの問題を真正面から論じている箇所はいくらでも見つけることができる。

 

 

  具体例を挙げると、ハイデガーが1930年代後半に展開した

西洋形而上学についての批判的考察は、

それ自身がナチスの全体主義的体制の本質を捉えようとするものだった。

 

全体主義との対決は、何もアーレントの専売特許ではないのである。

 

  また彼は1920年代から人間存在が風土によって規定されていることを強調しており、

むしろそうした点を主題化することこそが「存在への問い」のひとつの眼目でさえあった

 

このような風土性の考察においては、風土によって規定された身体性も同じく視野に入れられている。

またそこでは究極的には、

風土性に基づいた根源的な共同性(フォルク)が問題とされているのである。

 

 

 

 

人々が『存在と時間』以降の思索に無関心な理由

 以上で見たように、これまでのハイデガー解釈は、彼の思想を『存在と時間』の内容とほぼ同一視したうえで、そこに欠けていると思えるものを他の哲学者の思索で補うのが典型的なやり方であった。

しかし先ほど指摘したように、ハイデガーの哲学に足りないとされる要素は、

たいてい『存在と時間』後の作品のどこかで論じられているのである。

 

  つまり『存在と時間』を暗黙のうちに基準としている既存のハイデガー解釈は、非常に残念なことだが、こうした彼の思索の拡がりを取り逃がしてしまっている、そう言わざるをえないのだ。

 

  それにしても、なぜ人びとはハイデガーの『存在と時間』以降の思索にこれほどまでに冷淡なのだろうか。

 

  まずは非常に単純な理由だが、

後期の作品を読んでも何が言われているのかが、さっぱり理解できないことがある。

後期の思索は通常の哲学用語とはまったくかけ離れた言葉で語られているので、

とにかく取っつきにくいのだ。

 

 

 

  私自身、かつては

「存在の真理」、「性起(Ereignis)」、「転回(Kehre)」、「生起(Wesung)」、「拒み(Verweigerung)」、「おのれを隠すことのための明るみ(Lichtung für das Sichverbergen)」、「存在の立ち去り(Seynsverlassenheit)」などの「ハイデガー語」が次々と繰り出される後期の覚書を読んでいると、あまりにもわけがわからず、えも言われぬ焦燥感に襲われることがたびたびだった。

 

しかもドイツ語でも理解しにくいのだから、

日本語に翻訳したら、ますます何を言っているのかがわからなくなってしまうのだ。

 

  ハイデガーの専門家でさえ、「ハイデガーの後期をやっても何も出てこない」とか、

「ハイデガーの後期思想はまったく無意味だ」と公言する人が少なくないありさまだ。

専門家にとって自分の研究対象を理解できないと認めるのは、

本来はあまり大きな声では言えないことではないだろうか。

 

ところが不思議なことに、ハイデガーの後期の思索については

なぜかそうした態度が許容され、それどころかそれが当人の知的良識の誇示という響きさえももつのである。

 

 

 

後期の思索を神秘主義的と言う人は理解できないだけ

 もちろん『存在と時間』も、決してわかりやすい書物ではない。

しかし先ほども述べたように、そこで用いられている言葉は既存の哲学用語の枠内にとどまっている。

同時代や過去の哲学者の影響が、なお目に見える形で残されているのである。

したがって、そうした影響関係を踏まえれば、何とか読み解けそうな希望も湧いてくる。

 

  それとは対照的に、後期の哲学では、

われわれが慣れ親しんでいる哲学用語や哲学史の知識がまったく役に立たない

 

そこで理解の手がかりを失い、ただただ途方に暮れてしまうばかりとなってしまうのだ。

 

  研究者はハイデガーの後期思想をしばしば秘教的とか神秘主義的と形容する。

これは実質的には、後期の哲学は理解できない、お手上げだということを言い換えているにすぎない。

 

  そして彼らは次のように自分に言い聞かせる。

後期の思索はどのみちわけがわからないのだから、

前期の主著『存在と時間』を取り上げるだけで十分だ、と。

 

  しかし注意しなければならないのは、何度も繰り返すように『存在と時間』は未完の著作であり、

刊行された部分だけでは

その書が本来、目指していた「存在の意味」の解明が果たされていない

ということだ。

 

  ハイデガーは『存在と時間』の刊行後、まさに同書では論じられないままに終わってしまった

「存在の意味」を直接的に示すことを試みた。

そしてそれは、

既存の哲学の表現様式とは一線を画した仕方で

「存在」という事象の固有性を言い表すという形を取った。

後期の独特の表現は、こうした努力の帰結なのである。

 

  つまりハイデガー後期の思索においてこそ、

『存在と時間』で立てられた「存在への問い」の究極的な答えが示されているのである。

したがって、人びとがハイデガーの後期の思想は理解不可能だと言うということは、

彼の「存在への問い」が理解できないと認めているに等しいのだ。

 

  そしてこのことは、「存在への問い」こそは『存在と時間』がその解明を目指していたものである以上、

『存在と時間』についても本来の趣旨を捉えていないということにほかならない。

逆に『存在と時間』の意図を正しく把握できていれば、後期の思索も必ず理解できるはずである。

 

  *

轟 孝夫(防衛大学校教授)

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