(呼斯勒/Husel Borjigin)
昭和女子大学国際学部国際学科教授。
北京大学哲学部卒。東京外国語大学大学院地域文化研究科博士後期課程修了,博士(学術)。

内モンゴル大学芸術学院講師,東京大学大学院総合文化研究科・日本学術振興会外国人特別研究員,

ケンブリッジ大学招聘研究者などをへて,現職。
主な著書に

『中国共産党・国民党の対内モンゴル政策(1945~49年)―民族主義運動と国家建設との相克』(風響社,2011年),

共著『20世紀におけるモンゴル諸族の歴史と文化―2011年ウランバートル国際シンポジウム報告論文集』(風響社,2012年),

『国際的視野のなかのハルハ河・ノモンハン戦争』(三元社,2016年),

『日本人のモンゴル抑留とその背景』(三元社,2017年),

『ユーラシア草原を生きるモンゴル英雄叙事詩』(三元社,2019年)など。

 

 

これまで日本の研究者には利用しえなかった,モンゴル語,ロシア語,中国語の史料,

およびオーラルヒストリー調査から得られた基礎的なデータにもとづいて, 

ハルハ河・ノモンハン戦争(ノモンハン事件)の全体像を解き明かし,

20世紀前半の北東アジアの秩序の形成と維持に果たした

日本・ロシア・中国・モンゴルの役割をよみなおそうとするものである。

 

 

 

モンゴル・ロシア・中国の新史料から

読み解くハルハ河・ノモンハン戦争

2020/2/27 ボルジギン・フスレ (著)

 

 

「ノモンハン戦争」完璧な敗戦で、

日本陸軍は「北進」にビビり、

「南進」に転じた。

その結果、

上海において、英国や米国と利害が衝突して、全面戦争になった。

 

他方、

スターリンは、日本軍の脅威に安心して、

軍事を西に集中させた。

それで、ナチス政権ヒトラーと、全面戦争ができて、

連合国が勝利できた。

 

欧州での「連合国」の勝利で、

最後に、日本が降伏した。

 

全てが、因果関係で、結ばれている。

 

満洲国の、日本陸軍「関東軍」は、

この重要な「国際関係」を理解できていない。

 

辺境の地の「些細な、ちっちゃな国境紛争」とだけ、考えていた

 

 

ハルハ河・ノモンハン戦争と国際関係

2013/8/1 田中克彦,ボルジギン・フスレ (編集)

 

 

 

ノモンハン・ハルハ河戦争:

 国際学術シンポジウム全記録

1992/8/1

ノモンハン ハルハ河戦争国際学術シンポジ (編集)

 

 

 

北東アジア地域をめぐる諸国の力関係、軍事秩序、地政学的特徴、開戦及び停戦にいたるまでのプロセス、

ハルハ河・フルンボイル地域における民族などに焦点をあて、

最新の研究成果をもとに、各国の研究者がお互いの間を隔てている壁を乗りこえて、

共有しうる史料に基づいて歴史の真相を検証。