明治天皇の「捕虜のロシア帰還」の勅語で、米国を味方に引き入れた。

これが講和条約の導きになった。

 

日本は、欧米の「不平等条約の解消」が目的だったので、

国際法を順守して、一等国の実力を誇示する必要があった。

 

捕虜の厚遇、更には、なんと

「武士に情け」の、ロシア将校の帯剣を許可した。

 

「日英軍事同盟」の英国は、

「講和条約締結」後、さっそく

今までの「公使」待遇から「大使」を置けるように、同等に改善した。

 

「関税自主権の回復」も、英国が最初だった。

これで、日本「国内産業を保護」して、「欧米の経済支配」を防ぐことができた

 

日本国民は、この目的を知らない!

だから・・・

 

 

 

 

 

日露戦争史3

 (平凡社ライブラリー)

2016/6/10 半藤一利(著)

日本海海戦で連合艦隊はバルチック艦隊に歴史的勝利を果たすが、
ポーツマス条約の結果に国民の怒り爆発。
日本のその後は? 完結編。
 
半藤 一利:
1930年、東京生まれ。
東京大学文学部卒業後、文藝春秋入社。「週刊文春」「文藝春秋」編集長、取締役などを経て作家。
著書に
『日本のいちばん長い日』『漱石先生ぞな、もし』(正続、新田次郎文学賞)、『ノモンハンの夏』(山本七平賞)、『「真珠湾」の日』(以上、文藝春秋)、『幕末史』(新潮社)、『B面昭和史 1926–1945』『世界史のなかの昭和史』『墨子よみがえる──“非戦”への奮闘努力のために』(以上、平凡社)など多数。『昭和史 1926–1945』『昭和史 戦後篇 1945–1989』(平凡社)で毎日出版文化賞特別賞を受賞。
2015年、菊池寛賞を受賞。
2021年1月逝去
 
==或る書評より
旅順入城から講和条約締結まで
★旅順:
俘虜となったものも、不戦の宣誓をすれば、直ちに本国帰還を承認。
 
(注:ステッセル・旅順要塞司令官・以下将校441人、
下士官兵229人。2月10日、長崎から、フランス船で帰国した。)

・参謀長児玉は、旅順陥落とみるや、第三軍の作戦指導を糾弾する書類を大本営に電送しようとしたが、
とどまった⇒事実上参謀長を含む参謀3人が左遷。
・ロシアは連戦連敗で国情不安⇒血の日曜日1905年1月22日
・旅順開城後、新聞雑誌に「大和魂」という言葉。
それまでは、ほとんど口にしたことのない言葉(夏目漱石)

★奉天会戦:
・日本は兵不足で、32歳から37歳の老兵旅団を編成。
・機関銃は256挺に達しロシアの5倍あった
 
 
==或る書評より
 本書は言うまでもなく、歴史探偵半藤一利さんの日露戦争史の最終巻。
本書の圧巻は「陸」の奉天会戦と「海」の日本海海戦。
陸の主人公はいるようでいず、あえて言えば、それこそ
最前線にあって白兵戦を演じた将兵ひとりひとり。
海はいうまでもなく東郷平八郎連合艦隊司令長官。
結果をいえば、陸は辛勝。海は空前絶後の完勝。
この間の実戦の推移が本書にはもれなく記載されている。

 本書の比類のない特徴の一つは、
これらの輻輳した戦闘の推移が、
時系列的にじつに判り易く記述されていることである。
 
日露戦争を扱った小説には司馬遼太郎のあまりにも有名な「坂の上の雲」があるが、
日露戦争全体の推移の判り易さからいえば、
この小説は余り便利な読み物ではない。
余計なエピソードの記載が多すぎるし、
戦闘と関係のない人物があまりにも多く登場しすぎ、
それが虚なのか実なのかも定かではない。
こういうところがノンフィクションに対して小説のもつ弱みである。
司馬の狙いは、必ずしも日露戦争そのものを筆で再現することではなく、
その戦争を起こした明治中期という時代の日本及び日本人を
ボジティブな面から書き表すということだったらしいので、
戦争そのものを知りたいという向きには必ずしも良書とはいえないところがある。
 
半藤氏があえて編集者として親しく接した司馬の向こうを張って本書をあらわした所以である。
 ただ、残念なのは本書を執筆した半藤氏が少し年とってきたことである。
そのため文章のタガがゆるんで一人合点な感慨が各所に散見することであるが、
これは「老いのくりごと」のご愛嬌として許しておけるほどのもので、
そんなにメクジラをたてる程ではない。
しかし、読者諸賢よ。
これだけで日露戦争を知った気でいてはいけないぜ。
この戦争には、もっと深刻な顔をそむけたいような事実がもっとあるのだから。
 
 
 
1巻に対して
==或る書評より
現代の日本で、半藤さんより戦争に詳しい人はいないと思われる。
世間では司馬遼太郎の「坂の上の雲」を以て、日露戦争の歴史をまなんだような気になっている連中(たとえば、国会議員のごとき)が多いが、司馬氏の作品は小説というフィクションで、歴史とは違う。
何が違うかといえば、歴史とは史的真実というものを追求する学問の世界に属する文学だが、小説とは、文章を読むことで読者に快感を与える(感動と言いかえてもいい)ことを目的とする芸術に属する文学、つまり文藝である。
日本は、近代化の途中でどこでどう間違ったか、「文藝」を「文学」と称することになったので、文士を文芸者(芸者)ではなく文学者(学者)と見て不必要なまでに小説家を尊重する傾向があるが、ウソを交える物語を作る小説家(芸者)が、いかにも史的真実を語っているような顔つきで歴史小説なるウソ話を語るのは、それこそ騙りというものである。
このあたりの小説家のいやらしさに自ら気がついたのは大岡昇平で、大岡は最後になると、ホントに起こったことはこれだと「レイテ戦記」を書き上げた。
その筆裁きぶりは、これが文学といえなくてもいい、この作品は小説じゃないのだと覚悟したものだ。
小説家の大岡がである。大岡にとっては、それほど戦争という体験は過酷なものだった。
とてもウソまじりで語れたものじゃなかったのである。
従って、この作品が大岡の他の作品たとえば、「武蔵野婦人」や「野火」のようなものと違って
著しく読みにくいものなのは、実際にこの長大な作品の一字一句を精読した者には納得がいくだろう。

 さて、話は半藤氏にもどる。氏はつねづね自身を称して「歴史探偵」と言い、「歴史家」とも「小説家」ともいっていないが、ここに氏の歴史作家としての弱みがある。その弱みとは、どこまでも「史的真実」を追求しようとする覚悟に乏しく、つい話を読者に迎合する興味本位に流してしまうことである。氏が雑誌記者だったことを思えば当然といえるが、「史」と銘打つ以上はこれでは困る。どんな方面の歴史でも、資料というのはあくまで「点」だから、それに基づいて話をつくるには、点と点を線で結ばねばならない。この線がイマジネーション(想像)であるが、この能力の使用にあたってそこに如何に己の全重量をかけるかが史家の誠実というものになる。残念ながら「歴史小説家」は「歴史家」ではない。氏の歴史探偵とは、果たしてなにものか。「歴史家」でもなく、「歴史小説家」でもないという半端なもの書きの逃げ口上でなければ幸いなのだが。
┄┄ともあれ、第1巻においては、総論風にのべた。
引き続く感想は第2巻以後のレビューにおいて、具体的に展開したい。
 
 
 
==或る書評より
いよいよ、日露戦争のメイン、二〇三高地の話です。ただ、本書では、二〇三高地を攻略したときには、すでに旅順艦隊はほとんど"浮かぶ鉄屑"同然になっていたという立場をとっています。ただ、旅順港近辺の詳細な地図が良く分からないので、そんなことが本当にありえるのか、読者としては確信が持てないのが残念。

また、この日露戦争時の政治家軍人と後の太平洋戦争時の政治家軍人を比較して、後者ができが悪いことが多く語られている。

<--------------------------------以下、引用1−−−−−−−−−−−−−−>
そして、これ以降の軍人たちは、ただ日露戦争勝利の栄光だけを背にして、そこからたくさんの「勝利の神話」を勝手につくりあげ、無敵陸軍の名のもとに、昭和史をあらぬ方向への動かしていった。戦いの悲惨さについて、塀の苦しさ悲しさについて、豪も知ることもなく感ずるとこらなく、ただ机の上で、「必勝の作戦」を練ることに専念する秀才参謀が、いわゆる天保銭(陸大優等卒の勲章)を光らせて肩で風を切る時代になっていくのである。
<-----------------------引用、ここまで--------------------------------->

ただ、これが一部のエリートだけの話なのかは疑問を感じながら読みました。これは、政治家・軍人だけの話ではなくて、ひょっとして日本人全体のことではないかと・・・。先の太平洋戦争で、悲惨な敗戦を喫し、多くを学んだはずなのに、最近はそれを忘れているようで気になります。