西暦50年代に、

マルコは『マルコ福音書』を著作することで、

西暦30年頃の「イエスご自身の信仰」を

超えた!

 

「神の国」「神の支配」は、

とうとう来なかった。

 

キリストである「イエス」の予言は、

見事に、外れてしまった。

 

そこから、マルコは「神学」を築いていった。

 

それは、

ドイツのボンッフェッファー牧師の「ヒトラー暗殺計画」や、

日本基督教団・議長、鈴木正久牧師の

「戦争責任告白」に、直結するものであった。

 

「宗教の世界」と「政治の世界」と、分けてはならない。

キリスト教信仰は、政治を変えて行かなければならない。

社会を造り変えることこそ、

自分たちの力で、実際に「神の国」を築く必要があるのだ!

 

神ヤハウェに頼らずに!

 

「復讐するは我にあり」

では、ダメなのだ!

 

〇 〇 〇

 

「復讐するは我にあり」という言葉は、

新約聖書(ローマ人への手紙・第12章第19節)に出てくる言葉で、

 

その全文は

 

「愛する者よ、自ら復讐するな、ただ神の怒りに任せまつれ。

しるして『主いい給う。復讐するは我にあり、我これを報いん』」

 

beloved.do not avenge your selves.

 

 

 

(引用『』は申命記32:35。ヘブル人への手紙10:30もこの箇所を引用)。

 

口語訳  

 

愛する者たちよ。自分で復讐ふくしゅうをしないで、むしろ、神の怒りに任せなさい。なぜなら、

 

「主が言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する」

(vengeance is mine.i will repay.)

 

と書いてあるからである。

むしろ、「もしあなたの敵が飢えるなら、彼に食わせ、かわくなら、彼に飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃えさかる炭火を積むことになるのである」。

悪に負けてはいけない。かえって、善をもって悪に勝ちなさい。

 

 

 

これは「悪に対して悪で報いてはならない。悪を行なった者に対する復讐は神がおこなう(参考;詩篇94:1)。」という意味である。