感謝です。

 

1973年

偶然、「田川建三の本」に出合って、

「イエスの追っかけ」に、なってしまい、

(会社の独身寮で、「職場の指導員」の本棚に、あった。

優秀な先輩は、国際基督教大学、理学部数学科出身だった。

偶然、田川建三が、その大学の教員だった。)

 

 

 

その10年後、とうとう、

1983年春「復活節」で、プロテスタントの「日本基督教団」の

横浜市戸塚区にある「小さな伝道所」で、洗礼を授かった。

 

今年は、

2024年だから、

50年間も「イエスのオタク」に、なってしまったことになる。

 

 

 

文字通り、一冊の本が、人生を変えることがあるのです。

(聖書も読んだことがなかったので、

当時は、半分も理解できなかったのだが…)

 

田川建三・大センセには、ただただ、感謝しかない。

 

大部、昔、20年も前?、

早稲田大学の「大きな階段教室」で御講演があり、

(びっしりと人が集まり、「立ち見の人」もいたが)

遠くからその「尊顔」を拝んだ。…が、良くは見えなかった!

「後光」は発していなかった。

 

(当時、東京都中野区の「中野桃園教会」牧師の

高柳富夫牧師とご一緒して、拝聴した。

高柳牧師は、講演の最後に質疑応答があり、

立ち上がって、ご質問なさっていた)

 

「世界の宝」である。

 

なお、「尊師」は、

「不可知論」の立場である。

・・・「神は、こうだ」と断言してはならない。

・・・究極的には、神を知ることはできないのだから。

 

 

==或る書評より

本書のベースとなったのは著者のストラスブール大での学位論文(1965)であり、

査読者(E.トロクメ?)から護教的ではないとして、取り下げをうながされたという逸話さえあります。

(取り下げをうながした人物が最終的には最高点をつけました)。

 

このように当時としては衝撃的な論文でした。これを邦語として大幅に書き改め、当時の様式史・編集史的研究の成果と限界を踏まえながら、福音書という文学類型を創出するに至った最初の福音書記者マルコの思想と著作編集意図を、マルコが拠って立つガリラヤの歴史的精神的風土=歴史的場への斬り込みを突破口にして、抽出することに見事に成功しています。ただし、本書が巻き起こした賛否両論はもとより、その後の正文批判の伸展と正文批判の護教的立場による揺り戻しもあります。

 

刊行から40年近く経った現在、著者としても修正したい部分が多々あるとは思われますが、まずは本書が当時少壮の邦人によって達成された驚くべき業績であったことを了解したうえで、読者は対峙すべきでしょう。学術書とは思えないほど平明でありながら精緻であり、著者の特色が既に遺憾なく発揮されています。

 

補論として著者の師であったE.トロクメの仮説

「マルコ福音書は13章で完結しており、受難、復活記事は別の編集者によって附加されたもの

がまとめて検討されています。

(結論として、当時の著者はトロクメ仮説に否定的。

また顕現記事を含んでいなかったことは、今日確定されています)。

 

護教に大きく傾斜してはいますが、トロクメの『使徒行伝と歴史』、『聖パウロ』

併せて読むと、

初期カトリシズム形成までの

原始キリスト教内部の複雑さと緊張関係が読み取れて面白いと思います。

なお、本書は1969年度日本宗教学会賞受賞作です。

 

 

 

 

イエスという男:

 逆説的反抗者の生と死

1980/3/1 田川建三(著)

 
==或る書評から
キリスト教会、神学者等の従来の福音書解釈を徹底的に批判する大労作だと思う。
イエスが生きた時代背景を深く深く掘り下げ、イエスという男を歴史の先駆者としての壮絶な生を生きた一人間として描き切った衝撃の書である、個人的には。

信者ではない一日本人である私には、どうしても理解できない宗教的熱狂の根源を知りたくて購入した。
装飾虚飾歪曲演出創作された教会のイエスを、もう一度私たちのイエスに取り戻そうとする著者の批判的姿勢は実に痛快で刺激的。

是非、一読をおすすめするし、時には批判的視点で本書を読むのも自由だろう。
田川健三は、おっかない先生だけど、ぼくの好きな先生♪なんだ・・・。

以下、目次。
第一章 逆説的反抗者の生と死
    一 歴史の先駆者
    二 イエスの出生
    三 それならお前はどう祈る?
    四 イエス叙述の方法
    五 イエスは愛の説教者ではない
    六 「十戒」批判
    七 逆説的反抗
    八 貧しい者は本当に辛いか?
第ニ章 イエスの歴史的場
    一 ヘロデ家とローマ風
    二 ソロモンの栄華
    三 宗教史的背景?
    四 イエスと熱心党
    五 帝国の税金と神殿税(カイサルのものと神のもの)
第三章 イエスの批判 − ローマ帝国と政治支配者
    一 イエスの相手
    二 災害としてのローマ支配
    三 右の頬をなぐられたら
    四 諸国民の支配者
    五 奴隷について
    六 社会関係と神観念
第四章 イエスの批判 − ユダヤ教支配体制にむけて
    一 預言者の墓を建てる者
    二 イエスと旧約律法
    三 律法学者批判
    四 「汚れ」と「清め」− パリサイ派の生活支配
    五 「安息日」批判
    六 神殿貴族の権力
第五章 イエスの批判 − ユダヤ教支配体制にむけて
    一 日雇労働者の賃金もしくは社会的平等
    二 大土地所有者、農業労働者、「失業」
    三 分水嶺の両側 − 地主の慈善、神の前の平等
    四 農民一揆 − 隠喩的語り口の限界
    五 資本の増殖と能力崇拝
    六 小作人の借金を棒引きにせよ
    七 富に対する直感的な反発
第六章 宗教的熱狂と宗教批判の相克
    一 イエスにおける宗教的熱狂の自己相克
    二 神の国 − ユダヤ教の発想
    三 神の国 − 洗礼者ヨハネの極限
    四 「罪の赦し」を祈りたければ・・・
    五 イエスと洗礼者ヨハネ
    六 ヨハネの死
    七 倫理観念の異様な拡大? − 「姦淫」の女
    八 イエスのまわりの女たち
    九 「神の国」の逆説的批判
    十 宗教的熱狂 − 病気治療へののめりこみ
    十一 植民地支配下の奇跡信仰
    十ニ イエスの熱狂 − 異常が日常に浸透しはじめる
    十三 「人の子」 − 終末論的確信
    十四 「人の子」 − 一人の人間の確信と絶望
    十五 イエス受難物語
    十六 十字架の死の苦痛
あとがき
※ヘロデ家の家系(表)
※イエス時代のパレスチナ(地図)