嗣書とは、他人に見せて、自分を証明するものである!
しかし、「偽造される」ので、非常に限定して、見せる。
だから、「懐奘」「義介」「義鑒」に見せなかった。
道元自身の、如浄禅師から授かった「嗣書=血脈図」が残っている。
「義尹」の「法系」の「嗣書=血脈図」も残っている。
これは「道元」から直接「義尹」へ「血脈」の線が引かれている。
つまり、「懐奘」が間に入っていない!
「義尹」が「嗣書」を授かり、道元の首座であり、代理なのである。
だから、如浄禅師の17回忌法要、27回忌法要で、道元の代理で、
中国・宋に渡っている。1243年、1253年の2回である。
道元の死後も、37回忌法要に合わせて、中国・宋に渡っている。
他方、
「日本天台宗、達磨宗派」の「懐奘」「義介」へは、
「嗣書」を授けていない!
「瑩山」禅師が、最晩年において「嗣書」を地中に埋めるのは、
証拠の品を隠滅する行為であり、
その理由は、「証拠の品」の事実が、
自分が捏造して主張する内容に対して、反しているから、
都合が悪いからである!
道元和尚は「原始仏教=正伝の仏法」だから、
「天台密教、梵我一如に至る坐禅のお悟り」で嗣法した、
「懐奘」「義介」へは「嗣書」を与えなかったのである!
地中に埋めて証拠隠滅したのは「日本天台宗、達磨宗派」の「嗣書」である。
そして、
主張したのは「五老」の「法系の神話」である。
具体的には、
高祖「如浄」禅師、道元、懐奘、義介、「瑩山」禅師
「五老峰」の「ストーパ」を築き、聖地とした!
高祖「如浄」禅師を「瑩山」禅師に、繋ぎ、
同時に、道元の「原始仏教=正伝の仏法」を封じる為である。
「日本天台宗、天台密教、梵我一如のお悟り」だからこそ、
日本人の古来からの全ての信仰を、
自由に取り入れて、総合が可能と成った。
「瑩山」禅師自身の信仰そのものであり、
日本人の「死者や死の問題」に対して「最終決着」をつけた。
空海や最澄の「中国からの輸入仏教」を、
「日本の仏教」にと、完成させた!
他方、
「道元」和尚の「原始仏教」への回帰は、日本人には理解されずに、
「義尹」の「法系」は、滅んだ。
「寺院=伽藍」だけは、継承されて、現在に残っている。
日本の仏教思想では、何も影響を与えなかった。
そして、
「瑩山」禅師の教えが、「道元」和尚の看板で、日本列島に布教された。
江戸時代前期で、白山天台、白山神社=観音信仰、白山山岳修験道のルートで、
1万7千ヵ寺の大教団に発展していた。