日本における地政学の「誤解」とは…戦前日本の外交政策が理論に与えた「意外な影響」(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース

 

日本における地政学の「誤解」とは…戦前日本の外交政策が理論に与えた「意外な影響」

配信

現代ビジネス

 

 なぜ戦争が起きるのか? 地理的条件は世界をどう動かしてきたのか?   「そもそも」「なぜ」から根本的に問いなおす地政学の入門書『戦争の地政学』が重版を重ね、5刷のロングセラーになっている。

 

  【写真】日本人が知らない「プーチンのヤバすぎる…」

 

 地政学の視点から「戦争の構造」を深く読み解いてわかることとは? 

日本でタブー視された地政学

 日本において地政学は、大日本帝国時代の帝国主義的政策と結びついていたがゆえに、第二次世界大戦後の時代にタブー視されるに至った。  そのため地政学が1970年代以降に徐々に注目されていった際、地政学は戦後の日本で禁止された「悪の論理」であると喧伝された。タブー視されていた歴史が、逆に秘密の教えとしての特殊な魅力の源泉となったのである。  しかしこのような日本における地政学受容の歴史の理解は、二つの異なる地政学の視点を度外視しているために、大きな問題をはらんでいる。  1970年代以降に地政学の代表的理論家がマッキンダーだと紹介されたため、あたかも戦後に拒絶されたのがマッキンダー理論であるかのような誤解が生まれがちになった。  しかし事実は異なる。  なぜなら1930年代・40年代に日本の多くの知識人の注目を集めた地政学の理論家に、マッキンダーは含まれていなかった。  日本において、戦中に隆盛し、戦後に拒絶されたのは、ハウスホーファーに代表される大陸系地政学であった。

 

 

  日独同盟の理論的基盤であったと言える有機的国家観を基盤にした勢力圏の思想が衰退し、ナチス・ドイツの生存圏の思想および大日本帝国の大東亜共栄圏の思想がタブー視された。

 

 

  終戦直後から、大陸系地政学のタブー視と、マッキンダー理論が代表する英米系地政学の重視は、表裏一体の関係をとって、戦後の日本の外交政策を特徴づけてきた。  もっとも二つの異なる地政学が強く意識されなかった日本では、大陸系地政学のタブー視は、英米系地政学の採用である、という理解は広がらなかった。  大陸系地政学の否定と英米系地政学の肯定は、1970年代以降の地政学への注目が興隆する現象の中で、マッキンダーが地政学の代表的理論家だと説明される過程で、広く受容された。いわば現実の国際政治の進展を後追いする形で、英米系地政学の意識的受容がなされた。  この事実をふまえることは、明治期の日本外交の性格を正しく知ることにもつながる。

 

  シー・パワー同盟である現代の日米同盟の意味は、マッキンダー理論によって明快に説明される。

そのため、日露戦争の直前に締結された日英同盟もまた、マッキンダー理論にしたがったものだと仮定されがちである。あたかも19世紀末のイギリスおよび日本の外交当事者に、マッキンダーが講釈をしたかのような誤解が生まれがちである。

 

 

 

マッキンダー理論を生み出した日英同盟

 だが事実は、順序が逆である。日英同盟をマッキンダーが推奨したのではなく、日英同盟の現実を「歴史の地理的回転軸」の執筆者であるマッキンダーが説明した。

 

 

  日英同盟の成立は1902年、マッキンダーの「歴史の地理的回転軸」は、1904年2月の日露戦争勃発の直前の講演で披露され、勃発後に論文として公表された。

 

  マッキンダーは、母国イギリスが「名誉ある孤立」を破って極東の日本と同盟関係を結んでロシアの南下政策に対抗したことに触発され、その歴史的・地理的な意味を分析するために「歴史の地理的回転軸」を執筆したのである。  それが実際の戦争の勃発とほぼ同時であったため、マッキンダーの講演/論文は、一躍有名になった。  ランド・パワーとシー・パワー連合が対峙するマッキンダー地政学理論の原型は、日露戦争に至る日英同盟の構図によって形成されていた。

 

  ロシアと同義語であるハートランド、イギリスと日本、そしてアメリカが属するアウター・クレセントの概念も、日露戦争の当時の実際の諸国の存在を具体的に意識したものだ。

 

  大日本帝国の外交政策がマッキンダーに影響された経緯はない。

マッキンダーが、当時の日本の外交政策に影響されたのである。

篠田 英朗(東京外国語大学教授)

 

 

【関連記事】