神道入門 (ちくま新書)

2018/5/9 新谷 尚紀 (著)

古代の神祇祭祀に仏教・陰陽道など多様な霊験信仰を混淆し、
国家神道を経て今日の形に至るまで。
中核をなす伝承文化と変遷を解く。
 
==或る書評より

 宗教には、教義面と儀礼面の両方があり、神道は、教義(思想)がなく、儀礼(形式)しかないとされていますが、古代・中世・近世・近代と、時代の変化の中で、教義面を容器とし、そこに仏教・儒教・道教・陰陽道・修験道等、様々な思想を、素材として取り入れてきたと、筆者は、指摘しています。
 本書は、それが最初に提示しているので、私が神道関連の入門書を濫読した中で、最もわかりやすくまとめた本といえます。
 ただし、本書唯一の欠点は、近世神道で重要視すべき、本居宣長の功績がないことで、大変残念です。

 ここでは、時代ごとの変遷を、若干修正・補足したうえで、列挙しましたが、古代・近代は、前半と後半、中世・近世は、各派の種別で区分すると、明解になります。
 古代には、現人神(あらひとがみ、現御神/あきつみかみ)を自称し、神に近い立場だった天武系天皇が断絶し、血統が希薄化、人に近い立場になった天智系天皇へと転換すると、中国の王朝交代を意識し、唐風の制度や儒教道徳を持ち込むとともに、社殿・祭神・神職を整備し、幣帛を徹底させました。
 中世には、本地垂迹説(仏主神従)のもと、仏家神道が主流でしたが、反本地垂迹説(神主仏従)のもと、社家神道が対抗しました。
 近世には、神儒一致(儀礼は神道、教義は儒教)の儒家神道が主流でしたが、儒教・仏教等の外来思想を排斥した本居宣長が、国学を大成することで対抗し、復古神道が、それを継承するとともに、西洋思想の影響もみられ、幕末の尊皇思想へと発展しました。
 近代には、欧米諸国との不平等条約撤廃のため、列強の制度・技術・文化を摂取、キリスト教も許可し、神道を宗教より上位としましたが、他宗教の反発で断念、日清・日露戦争の戦勝で、条約撤廃できると、国際協調しなくなり、国民の天皇絶対服従が完成、軍部の暴走から、悲惨な戦争となりました。

○上古神道:古墳期
《儀礼》祭祀で不浄な状態(穢れ・罪・祟り)を清浄な状態(禊・祓い・清め)へと転換
[上古→古代]仏教移入し、神道のみから神仏習合(仏主神従)へ
○古代神道(前半):飛鳥期・奈良期(天武系天皇)
《儀礼》朝廷が全国の有力神社(官社)の祭祀に介入(集権的)
・官社制:神祇官が2月の祈念祭と6・12月の月次祭に全国の官社へ幣帛、11月の新嘗祭も祭祀
‐神身離脱:苦しみを脱したい神が身を離れて仏教に帰依・救済されたいと願ったので、神宮寺が建立
[天武系→天智系]天武系天皇が断絶し、天智系天皇へと転換すると、神社の庇護を合理化
○古代神道(後半):平安期(天智系天皇)
《儀礼》朝廷→天皇が中央の有力神社(官弊社)、国司→在庁官人が地方の有力神社(国弊社)の祭祀に介入(分権的)
・官国弊社制:神祇官が官弊社へ幣帛、国司が国弊社へ幣帛
・中央の16→22社制:天皇が臨時祭に京都近郊の有力神社へ幣帛・行幸、皇室・公家・武家も参拝
・地方の一宮制・総社制:国司が赴任直後に一宮から巡拝、巡拝面倒で複数の祭神を総社に集積
‐御霊信仰:無念・非業の死を遂げた人物を祭神として祈り祀れば、祟りが鎮められ守護神として働く
[古代→中世]律令制が形骸化、天皇・国司の権力が低下し、神社の庇護が期待できず、各派が自主自立
○中世神道(仏家神道):鎌倉期・室町期・戦国期
《教義》仏教を援用
・山王神道:日吉大社の山王権現は延暦寺の守護神で釈迦の化身、アマテラスを山王権現と同一視
・両部神道:内宮のアマテラスは胎蔵界曼荼羅、外宮のトヨウケヒメは金剛界曼荼羅、両界で伊勢神宮
○中世神道(社家神道):鎌倉期・室町期・戦国期
《教義》記紀神話を曲解、道教・仏教を援用
・伊勢神道:トヨウケヒメをアメノミナカヌシと同一視し、アマテラスより先行、陰陽五行説でトヨウケヒメは水徳、アマテラスは火徳、水は火を消し去るので、内宮より外宮が優位
・吉田神道:天皇家は政事を担当し、アマテラスを伊勢神宮で祭祀、吉田家はアメノコヤネの子孫を自称して祭事を担当し、根源神・クニノトコタチを大元宮斎場所で祭祀、密教・陰陽道的儀礼を整備、白川家は神祇官の長官で22社を統括、吉田家は神祇道の神祇管領長上を自称してそれ以外の神社を統括
[中世→近世]武家が寺社を配下とし、上下関係維持のため、儒教を奨励、仏主神従から神儒主仏従へ
○近世神道(儒家神道):安土桃山期・江戸期
《教義》儒教を曲解
・理当心地神道:上下の秩序を最重要視し、主君の有徳よりも、臣下の礼儀・礼節と崇敬・持敬を主張
・吉川神道: 父子間の孝行よりも、君臣間の忠義を重視
・垂加神道:上下の秩序を最重要視し、主君が不徳でも、臣下の心身緊張状態の有徳な振舞を主張
○近世神道(国学):安土桃山期・江戸期
《教義》記紀神話を曲解、キリスト教を援用
・復古神道:生前にはアマテラスの子孫・天皇が主宰する、地上の目に見える顕明界で生活し、死後にはオオクニヌシが主宰する、地上の目に見えない幽冥界で永住、オオクニヌシが賞罰を審判すると主張
[近世→近代]神仏分離令で、廃仏毀釈され、神儒主仏従が強化
○近代神道(前半):明治期
《教義》儒教を曲解
・国体思想:万世一系の天皇崇敬、神道を国家祭祀とし、宗教の上位に、政教分離・信教の自由と両立
・古代官国弊社制の復活:神祇官が中央の有力な神社へ幣帛、地方官が地方の有力な神社へ幣帛
・教育勅語:国民に非常時の天皇忠誠を強要
[明治→大正]欧米諸国との不平等条約が撤廃できると、国際感覚を無視し、政府・神職・国民が国粋化
○近代神道(後半):大正期・昭和前期
《教義》儒教を曲解
・家族国家観:天皇は国の父、皇后は国の母、臣民は国の子とし、忠孝一致で子の父母への孝行は絶対
・国家神道:神社を国家祭祀施設、神職を祭祀担当とし、天皇+皇后崇敬・神社参拝を強制
[近代→現代]GHQの神道指令で、国家神道が廃止され、完全な政教分離・信教の自由に
○現代神道:昭和中期以降
《教義》なし

 なお、《教義》の欄で、「曲解」・「援用」と表現したのは、中世神道以降、こじつけ的な解釈・肥大化が横行しているからです。
 記紀神話(表世界)は、天皇の皇位継承と日本統治の正統性を主張する根拠ですが、そこで詳細に記述されていない箇所から、物語を発展させて捏造し、それらを繋ぎ合わせることで、新規の教義(裏世界)を構築・体系化するようになりました。
 中世・近世神道では、アマテラスの子孫・天皇の表世界をそのままとし、神道各派が、都合のいいように、裏世界を創作するのが通例でしたが、近代神道では、政府が、各宗教より上位の世界を、徐々に構築していき、そこに儒教由来の特異な道徳を持ち込み、天皇と国民を直結させました。
 儒教は、中国では、忠(忠義)と孝(孝行)、臣(臣下)と民(人民)が区別され、忠や臣は君臣関係で、主君には有徳、臣下には忠義が要求、孝は親子関係で、親には養育、子には孝行が要求され、民は国王と人民の関係で、国王には保護、人民には納税が要求され、いずれも双務性が大前提です。
 そのうえで、忠義よりも孝行を優先すべきだとし、忠義は、契約的関係で、有徳でつながり、歴代王朝が樹立された一方、孝行は、宿命的関係で、血統でつながり、家族を形成しましたが、家族は、王朝への忠義が不要、納税のみ必要で、国家への依存も信用もありません。
 一方、日本では、孝行よりも忠義を優先すべきだとしたり、忠孝一致や臣民のように、2つを結合させがちですが、忠孝一致を適用すべきなのは、官僚・武士等、主君への忠誠が一家・一族の繁栄につながる場合のみに限定され、それ以外の人民には適用外です。
 ですが、近世神道では、大名が世襲化・武士が役人化したため、主君の有徳よりも臣下の忠誠が重要視されるようになり、近代神道では、四民平等になると、武士限定だった忠義が、国民全員に適用されたうえ(臣民)、天皇+皇后への孝行も重ね合わされ、本来の思想から懸け離れ、特異な道徳になりました。

 

 

 

==或る書評より

 生まれた家には神棚があった。でも私のいまの家には神棚も仏壇もない。
いつから無くなったんだろう。おそらくマンションで暮らすようになってからか。
戦後の核家族化はしだいに霊的なものを住処から駆逐していく。

 そんな非宗教的な生活をしている私だが、年に一度だけ、年始には近所の寺社に
お詣りする。仕事で住むところを転々と変えたからお詣りする場所は不定である。
大はメイジジングウ、フカガワフドウソンから始まって小はトヨウケイナリ、
ゴリョウジンジャ、ワレイサン、ウブスナガミ、オジゾウサン、時々はキリスト
教会、どこか一か所だけに行く。近くにもしモスクがあったらそこでも構わない。
どこかの「霊的」スポットに行って、昨年のけがれを清め、今年の家族の健康を
祈り、ついでにお金儲けもヨロシクと打算的なお願いもする。

 賽銭たった百円で頼みごと多すぎ!

という神様のお叱りの声が聞こえそう。だがこれを年始にやって気持ちをリセット
しないとなにかスッキリしない。この本を読んで、こういう私の行為は大国隆正の
いうところの「易行神道」にあたると思った。「平常の諸行篤実な愚夫、愚婦が
実践する神道」である。私と妻が諸行篤実かどうかはわからないが愚夫、愚婦で
あることはまちがいない。

 それにしてもこの本はエキサイティングである。「神道」というわけのわから
ない乗り物に古来いろんな観念や思想が載っかってきた。時代ごとのその激しい
うねりを著者は明快に整理して教えてくれる。天皇祭祀と神道の関係、神道が
仏教の子分になったり仏教が神道の子分になったり、神道のなかでのヘゲモニーの
争いとまことにめまぐるしい。そしてついには国家神道という鬼胎を孕んで日本を
戦争へと駆り立てる。国家神道は1945年のGHQ神道指令で破棄・解体されたと
考えられているが、実際は皇室祭祀体系は維持されているし、神社本庁を中心と
する神宮の真姿顕現運動はいまも継続されている。

 とくに面白かったのは平田篤胤の復古神道。
わたしたちのすぐそばに、人からは見えない世界、幽世(かくりよ)があるという。
そこには大国主命がいて、つねに私たちの行いをじっと観察している。
人は死ぬとまず幽世に行ってそこで生前の行いについて大国主命の審判を受ける。
そしていずれは人は神として祀られる。・・・
近代科学の合理主義の洗礼を受け、生産性を向上して働くことを至上命令と
されている私たちにもあまり違和感なく受け入れられる考えである。
この本で神道の入り口まで連れて行ってもらったから、いろんな神道をもっと
学んでみたくなった。

 

 

==或る書評より

著者の新谷尚紀(1948年~)は、國學院大学教授で、日本民俗学、民族伝承学を専門とする民俗学者。
本書は、日本の神社や神道とは、

むしろ伝統的な文化、伝承的な文化であるとの理解に基づき、日本人にとっての神道を解説しようとしたものである。

本書の趣旨・流れは以下である。
◆日本の神社や神道は、「伝承」でもあり「変遷」でもある。

即ち、長い歴史の中で、重要な部分は継承されながらも、

時代ごとに大きな変遷を辿ってきた。
◆神道の本質は、「素材」にではなく「形式」にある。

時代の変化の中で、その「形式」の中に様々な「素材」を包括してきた。
◆長い歴史の中で変わることなく伝承され、神道を神道たらしめている

中核的な「伝承」は、

「古代以来、稲作の王としての天皇を中核として伝承されてきている人びとの

素朴な自然と生命への感謝の念と禊ぎ祓えの実践によるその信仰の意思表示の体系」である。


◆一方、「変遷」を追うと、古代の神道は、

「稲の王」としての天皇の祈年祭・月並祭・新嘗祭を中心とする神祇祭祀という意味。

中世の神道は、仏教の如来・菩薩・明王・天部や、道教・陰陽道の諸神や、

山岳修験の諸神を含む、

それらの神霊の類の混淆と習合の中での、霊威や霊験への信仰と祈願と祭祀という意味。

 

近世の神道は、中世以来の密教や道教・陰陽道の信仰要素を含みながらも、

儒学の説く道徳倫理や、国学の説く古代天皇信仰や、

幽界霊界の存在への信仰を含むようになった、

 

混淆と習合の中での信仰と祈願と祭祀という意味。

 

近代の神道は、立憲君主国家の天皇崇拝を中心とする、

公的な制度と儀礼と社会的な精神統合を教導する信仰と祈願と祭祀という意味での国家神道。

 

現代の神道は宗教法人神社本庁が包括する全国約8万社の大中規模の有名大社から小規模の村や町の氏神や鎮守まで含む、その信仰と祈願と祭祀という意味での神社神道。

一般的に宗教とは、その体系に教祖、教義、教団という主たる構成要素が備わっているものであるが、

日本の神道には教祖も教義も存在せず、

そうした意味では宗教とは言い難いのかもしれない。

しかし、日本人の多くは、大なり小なり神道の影響をうけていることは間違いなく、

 

その神道とは、本書が明らかにしているように、

時代の要請に合わせたハコ(形式)として機能し、

そのスタンス・考え方は良くも悪くも極めて柔軟・寛容なものであり、

それ故か、日本人は世界的に見ても包容力に富む民族である。


世界中で宗教・民族の衝突が絶えない今、

日本人として、自らの拠って立つ神道とは何なのか、

その「伝承」と「変遷」を改めて認識することは必要不可欠である。

そのための一助となる一冊と思う。
(2018年7月了)

 

 

 

 

 

 

 

神道とは何か - 神と仏の日本史

 新書 – 2012/4/24

伊藤 聡 (著)

神仏習合の視点から、

中世を中心に古代から近世にいたる神道の形成過程を丹念にたどり、

日本の宗教文化総体のなかでとらえなおす

 

==或る書評より

伊藤聡「神道とは何か」を読みました。
コンビニは全国で55,000あります。神社は88,000あります。お寺は75,000です。
神社はコンビニより多く、身近といえば身近と言えるでしょう。
日本の民族的風習としての宗教であった神道が、

外来宗教の仏教と本地垂迹説をもとに神仏習合で日本に定着しました。
この本は神道成立時から明治維新までの神道の歴史的な変遷を概観しています。
仏教の各宗、神道各派の成立、対立、深化をアカデミックかつオーソドックスに描いてます。
特定のイデオロギーや主義主張から距離をおいての視点は、学術的です。

クセがありません。教科書的といいましょうか。中身は濃いです。
新書版ですが、引用の資料・学説・歴史的事実の記述が豊富です。

資料・学説を膨らませるとバードカバーの学術書になりそうです。
それだけに目新しい見解はなく、

神道は土着的な民族的宗教が仏教との交流のなかで生まれたものだとの一般的な見解です。
インドで成立した仏教は、伝播の過程で

それぞれの土地の崇拝の対象や歴史上の重要人物と混合して、それぞれの地に根付いていきました。
日本に伝わった仏教は、中国の儒教の影響を内包しています

神道は長い間に、その影響を強く受けています。
神道の理論化・体系化は

室町時代に始まる吉田神道ですが、

その後も儒教、朱子学を取り入れたりで様々な神道が唱導されました。


靖国神社などで現代も何かと話題の

明治以降の神道については、この本は触れていません

その理由も書かれていません。
ページ数が尽きたのか、

国家神道の評価は、アカデミック色彩のこの本には似つかわしくないと思ったのか、

ちょっと物足りないですね。