昭和天皇も上皇も…なぜ天皇は「生物学」を研究したのか?【養老孟司×茂木健一郎×東浩紀鼎談】(ダイヤモンド・オンライン) - Yahoo!ニュース

昭和天皇も上皇も…なぜ天皇は「生物学」を研究したのか?【養老孟司×茂木健一郎×東浩紀 鼎談】

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ダイヤモンド・オンライン

写真:ダイヤモンド・オンライン

 養老孟司、茂木健一郎、東 浩紀が、日本の歪みについて語り合うスペシャル鼎談。戦前は現人神とされ、戦後は人間の身ながら日本国民統合の象徴として生きた昭和天皇は、その戦争責任とともに左右の論者で評価が分かれるところ。昭和12年に生まれ、上皇陛下と同世代の養老先生は、昭和天皇をどう見ているのか。※本稿は、養老孟司、茂木健一郎、東 浩紀『日本の歪み』(講談社現代新書)の一部を抜粋・編集したものです。

 

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● 神様を父に持って生まれた 「象徴天皇」上皇陛下の苦労

 

  東

 新憲法が天皇の地位を「日本国民統合の象徴である」と定め、神から人になった天皇は、今度は象徴になりました。

 

  養老

 国民にとっても「象徴天皇」がどういうものかよくわかりませんが、天皇の側も相当大変だったと思います。2016年、現在の上皇が退位を希望されたときの言葉は次のようなものでした。

 

  「即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、

日々模索しつつ過ごして来ました」

(象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば)

  本当にそうだろうなと思います。非常に同情しました。

誰も「象徴天皇」が何か知らないわけですから。

大変でしたね、と。

 

  茂木

 上皇は養老さんの4歳上ですね。先ほど話した、

体験の「地層」という意味での世代論で言えば、ほぼ同じ風景をご覧になってきたわけです。

 

  養老

 歳も近かったので、子供の頃から大変だろうなと思っていました。

なんせお父さんが神様だったんだから。

だからそうっとしておいてあげましょうよ、と思います。

 

  茂木

 昭和天皇、上皇、今上天皇への思いは違いますか。

 

  養老

 それは違いますね。

偉さが違うというか(笑)。

昭和天皇は神様だったから一番偉い。

上皇は知り合いの知り合いくらいの人がいて僕に近いから、もっと人間くさくなってくる。

今上天皇についてはお孫さん、という感じです。

 

 ● 天皇は正気を保つために 生物学を研究していた?

 

  東

 昭和天皇はヒドロゾア(ヒドロ虫類)、上皇はハゼを研究し、専門的な業績を残しています。

養老さんは、なぜ天皇は生物学を学ぶのだと思いますか。

 

  養老

 ロンドンの自然史博物館のキュレーターが、

昭和天皇の『相模湾産後鰓類図譜』という本を見つけて、

日本の王室はこんなことをしているのかと驚いていました。

 

 

 

 養老

 イギリスにはロイヤル・ソサイエティ(王立学会)という王族や貴族も名を連ねる民間の科学団体があって、

正式名称は「自然についての知識を改善するためのロンドン王立協会」

(The Royal Society of London for Improving Natural Knowledge)。

実験科学ではなく、生物学などのより博物学的な科学をやっています。

自然と触れることは、そういう人たちが気を抜くのにいちばんいい方法だからでしょうね。

昭和天皇はイギリスに留学していたので、その雰囲気を知っていたのだと思います。

 

  茂木

 養老先生が解剖学を選んだ理由の一つとして、戦後に教科書を墨塗りした体験を挙げて、

「死体は裏切らないから」とおっしゃっています。

死体は死体のまま、解釈ひとつで態度が変わったりしない。

天皇が生物学を勉強したのにも、それと共通するところがあるのではないでしょうか。

 

  養老

 大いにあると思います。

正気を保つためにやっていたんでしょう。

 

  茂木

 正気を保つために蟲を見ていた。

 

  養老

 神様にまでされてしまって、いい加減にしてくれという気持ちがあったとしたら、

ヒドロ虫でも見ているのがいちばんですから。

昭和天皇はよく正気でいられたと思いませんか?

そんなに普通の判断が狂っていたわけではないと思いますよ。

 

  茂木

 退位なさるべきだったと言う人もいますが、養老先生からすると、

淡々と昭和を生ききったことは評価されることだと。

 

  養老

 そうです。そして、生物学はずいぶんその助けになったのではないでしょうか。

 

 ● 「やめよう」と言えなかった 昭和天皇に戦争責任はあるのか

 

  東

 最近の研究者のなかには、

昭和天皇は戦争に対してわりと意見を述べていて、

「平和を望んでいたのに戦争に巻き込まれた」という

戦後のイメージと実態は違っていたのではないかと言う人もいます。

 

 養老

 それはないと思います。あの雰囲気の中で、ただ「やめましょう」とはとても言えないですよ。

そんな簡単なもんじゃなかったと思います。

判断は都度しなければならないし、

下手をすれば宮中某重大事件(編集部注/大正9年、ときの皇太子裕仁親王と久邇宮家の良子女王の婚約をめぐって、

宮中から元老、政界にいたるまで推進派と反対派にわかれて暗闘を繰り広げた)を

繰り返してしまうこともわかっていたでしょうから。

 

  茂木

 神輿に担がれていて、とても降りられる状況ではなかったと。

 

  養老

 もちろんそうですよ。僕ら小学生まで、

訳もわからないまま皇居に向かって最敬礼ですから。

そういう神輿の担ぎ方は、明治の元勲が天皇を利用したことに端を発するのでしょうが、

それが当時の日本の政治のあり方だったのだから、

しょうがないと言えばしょうがないですね。

 

  茂木

 解剖学と同様、

時代ごとに細かく見ていかないと捉えきれないニュアンスがあって、

それを捉えないと、なぜこの決断をしたのかとか、

なぜ社会が動いたのかがわからないのでしょうね。

社会は複雑系で、本当は簡単な因果では説明できない。

 

  養老

 天皇陛下のせい、とは思わないわけです。

ただ僕より少し上の人には「天皇嫌い」がけっこういて、井上ひさしなんかは、

なんで怒るのっていうような話でも怒っていました。

 

  東

 天皇の話をするだけで怒るんですか。

 

  養老

 そうです。感情的に嫌いなんだなということがよくわかりました。

堀田善衞も天皇嫌いだった。

 

  茂木

 石原慎太郎が絶対に「君が代」を歌わないというのは何だったんでしょう。

 

  東

 声を出さずに口パクだったと聞いたことがあります。

 

  養老

 知らないんじゃないの(笑)。

 

 

 

 

 

● 養老先生がよく歌っていた 軍歌はアニソンに似ている

 

  茂木

 養老先生は軍歌は歌っていたんですか。

 

  養老

 兄貴が予科練崩れだったので、家でしょっちゅう歌っていて、いろいろ覚えました。

 

  東

 軍歌は子供の頃の思い出という感じですか。

 

  養老

 新宿に「潜水艦」という飲み屋があって、ときどき軍歌を歌いに行っていました。

そこは夜中の12時までは軍歌を流していて、12時過ぎると懐メロになる。

大晦日には店主が客を引き連れて靖国神社に参拝に行くような変な店だった。

 

  茂木

 へえ。おいくつくらいの頃ですか。

 

  養老

 30歳前後でしょうか。

 

  東

 ということは、若気の至りではなく、確信犯的にお好きだったのですね。どんな歌を歌われたんですか。

 

  養老

 「嗚呼神風特別攻撃隊」とかね。兄貴に教わって歌っていると、

おふくろが「なんで今頃そんな歌を歌うんだ」って怒っていたのを思い出します。

おふくろは若い人が特攻で出ていくのを知っていましたからね。

 

  茂木

 学徒出陣はニュースとして記憶にありますか。

 

  養老

 ないです。

 

  茂木

 そうか、養老先生は軍歌を歌っていらしたのか。

たしかに軍歌って名曲が多いですよね。

あの頃の作曲家は、現代の日本人と身体性が違うように思う。

戦後のイデオロギーで否定して片付ければいいものではないように思います。

 

  養老

 軍歌はどこに行っちゃったんだろうなと思っていましたが、

TVアニメに受け継がれているんだと気付きました。

 

  東

 アニソンですね。アップテンポで歌謡曲的で、

たしかに軍歌の継承者なのかもしれない。

 

  茂木

 なるほど。たしかに軍歌的な盛り上がりがある。

軍歌って不思議なことに左の人もけっこう好きですよね。

何かパトスをかきたてるところがある。

 

  養老

 メーデーの歌なんて、ほとんど「歩兵の本領」とメロディが同じですからね。

 

  茂木

 その軍歌バーは左の人も来ていたんですか。

 

  養老

 来てない。右ばっかり。

 

  東

 養老さんは右翼青年だったんですか。

 

  養老

 右翼ではないですね。でも僕らの世代は戦争の教育を受けて、

戦争に行けなかった世代ですから、その影響はあるかもしれません。

 

  東

 憧れがあった。

 

  養老

 そうですね。

実際に行った連中は懲り懲りしているでしょうが。

養老孟司/茂木健一郎/東 浩紀

 

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