葬式仏教と「馬鹿にする者」は、日本人を馬鹿にしている「馬鹿者」

 

 

 

日本の庶民仏教  (講談社学術文庫)

2020/6/11 五来 重(著)

日本人は宗教になにを求め、なにを信じてきたのか?
 仏教は思弁的な教義や哲学、僧侶の支配、また優雅な仏教芸術のみで語られるものではない。
インドから中国、朝鮮を経て、欽明天皇十三年(西暦552)に日本に受容された仏教は、
庶民の間で不安や苦痛、悩みからの救済として取り入れられ、
それぞれの生活や慣習に合わせ独自の伝播と発展を見せた。
観音信仰、ヤマ信仰、高野聖にイタコ、踊り念仏、お遍路さん――
多種多様な民間宗教の形から、日本の仏教文化を問い直す。(原本:角川選書、1985年刊)
 
五来 重
1908-1993。茨城県久慈町(現・日立市)生まれ。
東京帝国大学大学院修了、京都帝国大学卒業。
高野山大学教授、大谷大学教授。博士(文学)。
専攻は仏教民俗学。
『高野聖』『仏教と民俗』『円空と木喰』『山の宗教 修験道案内』『踊り念仏』
『葬と供養』『善光寺参り』『熊野詣』『石の宗教』など著書多数。
 
 
==或る書評より
「大袈裟な言い方をすれば、日本仏教は仏教ではない」
この冒頭の文章に
現在の混迷する日本仏教の全てが表されている
と思えてなりません。
日本の庶民仏教を知ることは
日本人の信仰の原点を知ることに他ならない。
生きた信仰の姿を解き明かした名著であると思いました。
 
==或る書評より
本書は『大法輪』に掲載された論考を一冊に纏めたものである。
依って、一見何の脈絡も無く小論が乱立しているように思われるかもしれないが、
実に上手く編集されており、日本の庶民仏教を知る上ではその歴史や性格を知る上でも
欠かせない良書として仕上がっている。
思えば日本は一般的には無宗教と言われるが、それ自体が理解出来ない外国人から
宗教を尋ねられた時には私も「(一応)仏教」と答えるのが通例だ。
では、何が一体「日本は(一応)仏教国」と言わせしめるのか…
そんな疑問に本書は答えてくれるであろう。

さて、上記にも紹介した通り本書は小論の寄せ集めではあるが、
「日本仏教の特性」「山の信仰」「遊行者の仏教」「仏教と芸能」の4章構成で纏めている。
特に、日本の仏教を「仏教でない仏教」と提議しての上で
”葬式仏教”について解説している所からは、それこそ今でも
私達が自国は仏教国と認識している理由が良く解るし、また、
日本独特の仏教が如何にして成立し、そして如何なる特色があるかを理解出来たように思う。
また
山の信仰」と言うと、私達はより伝説的な内容を想像するかもしれないが、
本書では修験道や霊山は勿論の事、高野山と浄土信仰についても述べているので
「山の信仰」と言うよりも寧ろ「山の仏教」について知る事が出来たし、
続く
遊行者の仏教」では、キリスト教では「一所定住」を重んじたのに対し、
日本の宗教者は本来「放浪者」であった事…
そして放浪の仏教を行なったのが遊行の聖たちであった事を対比させている
のには大いに関心を持った次第である。
そして最終章では壬生狂言、伎楽や舞楽、能楽等を扱っている為、
仏教と芸能との意外な関係を読み解く事が出来るだろう。

本書を読むと、日本独特の仏教が生まれた過程が良く解る。

所謂
「伝説」や「逸話」等を基にした私達の心に根付いた民間信仰については
余り論じていないので、
民俗学的な内容をお求めの方にはやや不向きかもしれないが、
「無宗教」と言われながらも、それでも尚、仏教の国と認めざるを得ない、
その歴史と発展について学ぶ事が出来る著作として、実に有用であった。
 
==或る書評より
もはや古典に属するのかもしれないけれど、名著です。
仏教民俗学の草分けであり、本来の専門である
インド哲学の知識に裏打ちされた著述は高く評価されるべきでしょう。
偽善などへの歯に衣着せぬ批判は痛快で五来氏ならではですが、
全体的に感情論になっている部分も多く、学術的に冷静な議論がもっとほしいところです。
例えば、
「祈りと苦行の裏付けをもった呪術は真の宗教であり、
信者の心身に奇跡を起こすものと言って差し支えない。
その代わり祈りと苦行の実践を欠いた呪術は、
いかに道具立ては立派でも、虚偽の宗教であると言わなければならない」
というような記述は(感情的にはその通り!と思うけれど)、
もはや学者というより宗教者としての発言になっています。
もっとも、霊魂滅亡論などに厳しい批判を加えた著者ならではともいえるのかもしれません。
現在では、仏教側からの視点の欠如などの批判もなされていますので、
このような弱点を知った上で読むことをおすすめします。
 
 
 

先祖供養と墓 (角川ソフィア文庫) 

2022/2/22 五来 重 (著)

 
どう供養するか、どう慰めるか。 ここに宗教の原点がある

「霊魂の恐れをどう処理するか、なお進んで死者の霊魂をどうして祭るか、
どう供養するか、どう慰めるか、ここに宗教の原点がある」。
丹念な現地調査にもとづいた民俗学の知見により、
古代から現代までの日本人の死生観を考察。
モガリや葬墓をはじめとする死者と先祖の祭りに宗教生活の根幹を見出し、
霊魂観や神観念の成立、その仏教化、寺院の葬送や供養の変容をたどる
宗教の根源、日本文化の本質に迫った名著。解説・碧海寿広
 
 
 
 
 

日本人の死生観 (講談社学術文庫)

2021/10/14 五来 重(著)

仏教学に民俗学の方法を接続し、日本人の宗教を深く掘り下げた五来重。
本書は、厖大な著作を遺した宗教民俗学の巨人の「庶民宗教論」のエッセンスを知るのに最適な1冊である。

日本人の死生観とは、すぐに連想される「ハラキリ」や殉死など、武士道的なものだけではない。
貴族や武士の死生観、いわば「菊と刀」ばかりでなく、
「鍬」を持つ庶民の死生観は、一体どんなものだったのか。
本書では、教祖・教理・教団から成る西洋起源の宗教や、
文献研究と哲学的思弁にこだわる仏教学ではなく、
仏教伝来以前からの霊魂観や世界観が息づく根源的な「庶民の死生観」を明らかにしていく。
著者によれば、
庶民にとってあらゆる死者は一度は怨霊となる。
それは鎮魂によって「恩寵をもたらす祖霊」に変えなくてはならない。
そのための信仰習俗や儀礼の有様を探索し、日本列島を歩きに歩いた著者の視線は、
各地に残る風葬や水葬の風習、恐山のイタコと円空仏、熊野の補陀落渡海、
京都の御霊会、沖縄のイザイホウ、遠州大念仏、靖国神社などに注がれる。
巻末解説を、『聖地巡礼』『宗教と日本人』の著者・岡本亮輔氏(北海道大学准教授)が執筆。
〔原本:角川書店、1994年刊〕