仏中東政治学者ジル・ケペル「イスラエルの宗教シオニストも、ハマスも“宗教原理的”という点で似ている」(クーリエ・ジャポン) - Yahoo!ニュース

 

 

仏中東政治学者ジル・ケペル「イスラエルの宗教シオニストも、ハマスも“宗教原理的”という点で似ている」

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クーリエ・ジャポン

Photo: Hani Alshaer / Anadolu Agency / Getty Images

10月7日のハマスによるイスラエルへの大規模攻撃以来、イスラエルによるガザ地区への激しい攻撃が続いている。この紛争は、同時に世界的な国際関係をも変えつつあると、イスラム主義に詳しいフランスの政治学者、ジル・ケペルは新著『ホロコースツ』で分析した。情勢はどう変化しているのか、その詳細を仏誌「レクスプレス」が聞いた。 【画像で見る】欧州を代表する中東研究家が斬るイスラム

激化する新たな「南北対立」

──新著『ホロコースツ(Holocaustes)』(未邦訳)とは、ホロコーストの複数形です。ホロコーストという言葉には宗教的な意味合いがあるため、フランスでは抵抗を感じる人もいるかもしれません。 フランスでは、映画監督のクロード・ランズマンの影響もあり、ナチスによるユダヤ人の組織的虐殺を、ヘブライ語の「ショア」と呼ぶようになりました。一方、英語圏では、依然としてホロコーストという用語が一般的に使われています。この言葉を、本書で私は「宗教的な性質を持った殺戮」という本来の意味で用いました。複数形にしたのは、多数の人たちに関わることだったからです。 というのも、10月7日にハマスによって行われた対ユダヤへの襲撃も、イスラエルによるガザでの大惨事も、政治的でも宗教的でもあります。両者は交じり合っており、明確には分けられません。こうした状況を理解せずには事の重大さを正しく認識できないでしょう。 今回の大混乱には、西側諸国に対する攻撃も含まれます。国際的に主要な影響力を有する西側諸国は、現在、「グローバルサウス」から「北」と呼ばれています。グローバルサウスは確固たるものではありませんが、BRICSプラスがリーダーシップを取っています。 そこではイスラエルは「北」、パレスチナは「南」に位置付けられ、両者の争いが南北間の対立を激化しています。さらに、南側の国々は「ジェノサイド」という語を使い、南アフリカが国際司法裁判所(ICJ)にイスラエルを提訴しました。続いてニカラグアは、ドイツが国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)へ資金拠出を停止し、イスラエルへ武器を輸出してガザでのジェノサイドを助長したとしてドイツを提訴しました。 1945年以降の国際秩序は、ドイツのナチスの犯罪を乗り越え、「もう二度と繰り返さない」という倫理観を基盤にしてきました。ソ連、米国、英国、フランスが一時的に結束し、生み出したものです。冷戦によって亀裂は生じましたが、この基盤自体が疑問に付されることは決してありませんでした。 しかし10月7日以降、グローバルサウスの国々は、かつての東西対立を南北の対立に置き換え、国際関係を新しく描き直そうとしています。南アフリカによれば、ショアの犠牲者であるユダヤ人が、いまや虐殺する側に立っています。ここには強硬的な面もあり、北側の国々を想定してグローバルサウスを一致団結させようという意図もあります。 とはいえ、南側にも根深いさまざまな対立関係があります。BRICSプラスでいえば、インドと中国、あるいはエジプトとエチオピアは対抗しています。サウジアラビアとイランについては言うまでもありません。

 

 

米国同時多発テロ事件と似ていて違う

──2023年10月7日の事件を、2001年9月11日の米国同時多発テロと比較できますか。 あまり認識されていませんが、9.11の事件が起きたのは、2000年9月に始まるパレスチナでの第二次インティファーダの最中でした。事件後の同年10月7日、オサマ・ビン・ラディンが初めて姿を現した洞窟からのスピーチでは、「不信心な軍隊が聖地から撤退しない限り、米国に平和は訪れない」と語られました。彼がここで指したのはパレスチナとイスラエルのことであり、米軍が駐留するサウジアラビアのことでもありました。 2つの事件で共通するのは、圧倒的に強く、無敵と思われていた国が、予期せぬ事件によって大きな打撃を受けたことです。それぞれ米国とイスラエルの鎧に綻びがあったことが明らかになりました。 どちらのケースでも、牽制形の反撃が行われました。ジョージ・ブッシュ米元大統領はイラクに侵攻して「対テロ戦争」を始め、ベンヤミン・ネタニヤフ首相はガザでの戦闘を開始し、かなりの数の民間人を犠牲にしました。ガザ地区のハマス最高指導者であるヤヒヤ・シンワルはまるでビン・ラディンのようで、発見は難航しそうです。 しかし、違いはあります。9.11のテロ攻撃に動員されたのはわずか19名の寄せ集め集団で、ビン・ラディンはそのトップでした。一方、1987年に結成されたハマスは古くからの宗教、政治、社会的な運動です。スンニ派の組織ですが、シーア派イランの革命防衛隊の支配下に入り、活動内容が変わりました。

ネタニヤフに大きな責任

──イスラエルのネタニヤフ首相の個人的な責任についてはどのように思われますか。 ネタニヤフはハマスとファウスト的な、非理性的な契約を結びました。 2011年、イスラエル兵ギルアド・シャリートの解放と引き換えに、シンワルを他1026人の囚人とともに釈放しました。つまり、ネタニヤフはハマスに大きな贈り物をしたわけです。イスラエルはパレスチナという土地にこだわり、より多くの領土を得るために、パレスチナ国家の成立を阻止しようとしました。そこでヨルダン川西岸地域のパレスチナ自治政府を犠牲にしてガザのハマスを強化し、オスロ合意にかかる動きを停滞させました。 さらに、トランプの協力を得て、アブラハム合意でアラブ諸国との国交を締結し、地域的な繁栄を目指す戦略をとりました。そうしてパレスチナ問題を傍に追いやり、見えないようにしようとしたのです。 また、カタールにガザへの支援金を払わせ、ハマスに資金を与えました。これは、南側の国境の安全を保障するためのもので、「コンセプト」と呼ばれる体制です。 ところが、ここではハマスとイランの関係が忘れられていました。2011年、アラブの春では、親イランであるシリアのアサド政権、およびレバノンのシーア派組織ヒズボラの体制に抵抗する動きが起こりました。 しかし、2012年、シンワルは独自の動きをし、「抵抗の枢軸」の中心人物であるイランのガーセム・ソレイマニ司令官にテヘランで会っています。シンワルが個人的に働きかけたことで、ハマスの軍事部門「カッサーム旅団」はイランの支援を受けるようになり、大きく変化しました。一方、カタールに追放されたハマスの政治局幹部はスンニ派に近い立場に留まっていました。 ネタニヤフは、カタールから支払われた巨額の資金によって安全が保障されると信じていました。しかし結局は、自らの懐で育てたハマスに噛まれてしまったわけですから、今回の件については大きな責任があります。 続編では、グローバルサウスと北の対立によって起こること、北と南、それぞれ一枚岩ではない現状に加え、西側諸国がなすべきことついて、ケペルが解説する。

Thomas Mahler

 

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