「瑩山」禅師自身は

「神仏混交」であり、

天台宗や真言宗の平安仏教の中にいて、

「日本天台宗、達摩宗派」

教義は「天台密教、梵我一如に至る坐禅の悟り」である

ので、

その周りに付随する「修験道」も取り込み、

更には、

古代山岳信仰「白山信仰」「羽黒信仰」も取り込み、

その「観音信仰」は「白山大権現信仰」と重なる状態だった。

 

要は、

日本人古来の信仰を全て含む、混然一体の信仰だった。

だから、加持祈祷の密教的な傾向も強い。

 

そして、ここで重要なことは、

これは、

堕落ではない。下等ではない。

 

アニミズムは、原始的、未開的、野蛮的、初歩的、…ではない。

アニミズムは、根源的な、人類の、「大自然への畏敬の念」である!

 

「中国禅」の「寂円」その弟子「義雲」一派とは、全く「別の信仰」であった。

 

つまり、

「永平寺、三代相論」の本質は、

「中国・土着信仰」と、「日本・土着信仰」との正面対立であった。

 

「現在の曹洞宗」が言う、

「保守派」と「革新派」との争いではない

 

他方、

道元の「原始仏教」の「嗣書」を授かった「義尹」は、

この二派の争いから距離を置き、

九州地方だけで布教した。