イスラエルの苛烈な反撃はなぜ止まない? 池上彰&佐藤優が徹底解説「同情されて死に絶えるより、全世界を敵に回しても…」

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文春オンライン

ハマスとイスラエルの軍事衝突は、いつ終わるのか――。4月30日、イスラエルのネタニヤフ首相が戦闘休止合意の有無に関わらず、ガザ地区南部への攻撃を開始すると発表。イスラエルの強硬な姿勢に対して、各国から抗議の声が挙がっている。ジャーナリストの池上彰氏と、作家・元外務省主任分析官の佐藤優氏が、ハマスとイスラエルの内在的論理を読み解いた。

 

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なぜイスラエルは強硬なのか

佐藤優氏 ©文藝春秋

 池上

 「それにしてもなぜイスラエルはここまで強硬なのか」「なぜ停戦や和平に向かわないのか」と多くの日本人が疑問に感じています。  イスラエル人は「これはイスラエルに対する攻撃ではない。ユダヤ人絶滅を図る攻撃だ」と受けとめているようです。「ユダヤ人の存続をかけた戦い」とみなしているからこそ、反撃が過剰になりがちになる。

 

 

  佐藤 「我々は全世界に同情されながら死に絶えるよりも、全世界を敵に回してでも生き残るために戦う」が、ホロコーストを経験したイスラエル国民の総意です。

  イスラエルは、

国家としての「自衛権」というより、

ユダヤ人とイスラエル国家の「生存権」の行使として

ハマス掃討作戦を展開しています。

 

そう対応せざるを得ないのは、

ハマスの方が、領土や利権をめぐる争いではなく、

「ユダヤ人であるがゆえに地上から消滅させる」という

「属性排除」の論理で動いているからです。

ナチスと同じ論理で、イスラエルの乳児が意図的に殺害されている

のがその証しです。

ガザの病院での戦闘で乳児が巻き込まれたという話とは明らかに異なります。

 

 

  池上

 イスラエル政府はその点をとくに強調して、「ハマスの行為は人道に対する罪だと知ってほしい」と訴えていますね。

 

  佐藤

 デーリー・テレグラフ紙(10月12日付)はこう伝えています。 〈イスラエル政府は、ハマスのテロリストに殺害された乳児の遺体と思われる生々しい写真を公開した。小さな遺体袋の中に、ベビー服とおむつを着せられたままの血まみれの乳児が横たわっている。乳児の顔はぼかされている。白いオーバーオールを着た二人のイスラエル人法医学者の手袋をはめた手が背景に見える。

「これは、これまで掲載した中で最も見るに堪えない画像です。この文章を書いているとき、私たちは震えています」

「私たちは掲載するかどうか何度も迷いましたが、皆さん一人ひとりに知っていただく必要がある。これは起きたことです」

とイスラエル政府外務省はX(旧ツイッター)に投稿した。

/イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相はさらに踏み込んで、乳児の黒焦げの遺体を写した写真を数枚公開した。

ネタニヤフ氏は

「ハマスの怪物によって殺され、焼かれた乳児の恐ろしい写真だ。

ハマスは非人間的だ。

ハマスはISIS(『イスラム国』)と同じだ」と〉

 

 

 

ハマスとパレスチナの区別

 池上

 ハマスの戦闘員が撮影した動画をイスラエル側が入手して一部を公開していますが、「もう僕も死ぬんだ」と泣き叫ぶ子供の隣で戦闘員が家の冷蔵庫を開け、コーラを飲んでいる、という目を背けたくなる惨たらしい動画もありました。

  ここでやはり「ハマス」と「一般のパレスチナ人」を区別する必要があります

ハマスがイスラエルを攻撃する度に必ず報復攻撃を受けることから、

ガザ地区のパレスチナ住民の不満が高まり、7月には数千人規模の「反ハマスデモ」も起きている。

今回のハマスの攻撃は、住民の離反に焦った執行部が、

敢えてイスラエルを挑発して報復させ、ガザ住民のイスラエルに対する怒りをかき立てるためだったとも解釈できる。

セレブ生活のハマス幹部

 佐藤

 確かにその面があります。イスマイル・ハニヤを始めとするハマスの幹部がどこにいるか、という問題もある。

 

  池上

 幹部の多くがガザではなく、安全なカタールでかなり裕福な「セレブ生活」を送っているようです。

 

  佐藤

 自分の子供たちを高い学費のインターナショナルスクールに通わせたりしています。  かつてのハマスは、ファタハ幹部の「腐敗」に対して、その「清貧さ」に魅力があって、実際、貧者救済に尽力していました。  私のインテリジェンスの恩師は、元モサド長官エフライム・ハレヴィです。

 

彼は〈イスラム系テロ組織の特徴、やり口から判断するに、根本的な解決を図るには、完全なる殲滅以外に方法はない〉と断言しているのですが、

彼の回想録(『イスラエル秘密外交』)では、ユダヤ教聖職者とハマス創設者で精神的指導者アハマド・ヤシン師の印象的なやりとりについても触れています。 〈ブリュッセルにいたとき、(略)

ラビ(ユダヤ教聖職者)メナヘム・フルーマンに会う機会があった。フルーマン師はなんと刑務所に収監中のヤシン師とたびたび面会していた。彼らは宗教、神学、その他の哲学的な問題について語りあったという。(略)

師にとってヤシンはあくまで凶悪な敵であった。それでもフルーマン師は、不倶戴天の敵同士であっても、然るべき形で対話を進めれば、肯定的な結果が生まれる可能性はあると信じていたようだ〉

 

  この記述からは、ハマスも当初は、ある種の“気高さ”を誇る存在だったという印象を受けます。

 

  池上

 それに対して、今のハマス幹部はかなり腐敗していて、それがガザ住民の不満につながっている。

 

 

 

 

 佐藤

 イスラエルの建前としては、「ガザのパレスチナ一般住民」は保護の対象です。だから、一軒一軒しらみつぶしに「ハマス」と「その協力者」を掃討しながら「一般住民」を保護していくしかない。これには少なくとも数カ月はかかる。

  厄介なのは、民主的選挙でガザの自治政府を握るハマス関係者が、おおざっぱに言えば、「2割が戦闘員(約3万人)で残り8割は一般人」であることです。公務員、教師、医師、看護師のなかに多くのハマス関係者がいる。彼らをどう扱うか。ハマスから離脱してイスラエルに敵対しないならば見逃しますが、ハマスへの協力を続けるならば、非戦闘員でも容赦なく殺さざるを得ない。

  ここで参考にすべきなのが、ユダヤ人哲学者アーレントが書いた『エルサレムのアイヒマン』です。

 

  池上

 アイヒマンとは、ナチスの秘密警察ゲシュタポのユダヤ人輸送局長官ですね。

 

  佐藤

 裁判でアイヒマンは「ユダヤ人殺害に私は直接手を下していない。

任務に忠実な役人として収容所にユダヤ人を送る列車のダイヤグラムを書いただけだ」と釈明します。

アーレント理論の適用

 池上

 アイヒマンは、戦後、アルゼンチンに逃亡していたのをモサドが発見してイスラエルに連行。ユダヤ人虐殺の張本人として裁判にかけましたが、罪の自覚がないその姿に、「ひどい言い逃れだ! 彼こそ悪の中心だ!」と、イスラエル検察もイスラエル国民も激しく憤ります。

 

  佐藤

 ところがアーレントだけは、

「確かにアイヒマンの言っている通りだ」と主張します。「検事のあらゆる努力にもかかわらず、この男が〈怪物〉でないことは明らかだ」

「もっと困ったことに、アイヒマンは正気ではないユダヤ人憎悪や狂信的反ユダヤ主義の持ち主でもなかった」と。

 

  池上

 それがアーレントの言う「悪の凡庸さ」ですね。  佐藤 その上でアーレントはアイヒマンにこう反論します。「ユダヤ人であるという理由だけで私たちを地上から抹消する、というシステムにあなたは加わった。積極的に行動したか命令に服従したかは本質的違いではない。私たちにはそういうあなたと一緒に地上にいたくないと言う権利がある。これが、あなたを死刑に追いやる唯一の理由だ」と。

 

  この議論は、当時、ほぼ理解されず、『エルサレムのアイヒマン』もつい最近までヘブライ語に訳されていなかった。しかし、当時受け入れられなかった論理が、現在、ハマスに適用されています。

 

「公務員や教師や医師や看護師たちは、確かにハマスの戦闘活動に直接従事してはいない。しかし、システムの一員としてハマスを支えている」と。

ハマス掃討作戦は、アーレント理論の適用でもある。

 

  池上

 そこが佐藤さんとスタンスが少し異なる点かもしれません。アーレントの理論を適用されるのは、ガザ住民にはかなり酷だと思うんです。

たとえば、イスラエルのスパイだと疑われたパレスチナ人が処刑されたり、

ハマスに協力しないことで殺されたりするような「恐怖支配」が敷かれている。

そんななかで結果的に何も言えずに「お前は黙ってハマスに従った」と糾弾されても、

「従わざるを得なかった」と答えるしかない人はかなりいるはず

 

 ◆ 本記事の全文は、

『文藝春秋 電子版』に掲載されています(池上彰×佐藤優「 ハマスとイスラエル 悪魔はどっちだ 」)。

池上 彰,佐藤 優/文藝春秋 2024年1月号

 

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