一連の「批判の目的」は、
日本列島における、日本仏教においての
実態・実際・働きを明確にして、
それに相応する評価を実現したいだけである。
結論は、
「瑩山」禅師こそが、日本の仏教の最大の変革者であって、
伝教大師「最澄」の始めた「日本天台宗」を完成させた。
他方、
「道元」和尚は「原始仏教」に回帰したのであり、
世界の仏教思想上、ただ、一人だけの存在だった。
数人に「嗣法」しただけで、日本仏教には、全然影響を与えなかった。
晩年の「新草」12巻本『正法眼蔵』に、明確に教えが説かれている。
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道元禅師の思想と信仰は、『正法眼蔵』と双璧をなす
『永平広録』にもっとも鮮明に、かつ凝縮した形で伝えられている。
本書は、その『広録』十巻の中から抄出された『語録』を訳注したもので、
興聖寺と永平寺における「上堂語」や「小参」「法語」をはじめ、
中国禅とは異なる禅師の宗風の独自性を示す「普勧坐禅儀」や「坐禅箴」などが収録されている。
比類ない道元禅の要諦を窺うに最適の訳注書である。
道元の『宝慶記』の記録を読むと、
如浄禅師の教えは、前後の文脈から、
「心塵脱落」であり、「心に着いた塵を、脱落・洗い落とせ」である。
しかし、
自坊に戻った道元がこれを記録している時点で、それが判明しているのに、
それを否定する「身心脱落」と記録しているのは、
如浄禅師の教えは「中国禅」であって
「原始仏教=正伝の仏法」ではないと、判断しているのである。
道元から観れば「正しい事態」とは
「身心脱落」であり、
「あたかも継続して実体に見える身も心も、その両方が、脱落している事実」である。
「心塵脱落」を否定して「身心脱落」と受け取る、
その事態が「正伝の仏法」なのである。
実際に、
如浄禅師は、道元に「嗣書=血脈書」を授けた!
「如浄」禅師と「道元」和尚とが、正反対である、のは、
「瑩山」禅師の主著『伝光録』と「道元」和尚の『正法眼蔵』とが
正反対である事実と、
全く「同じ」である。