中国国家主席が「尋常でないほど」崇拝している「人物」(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース

 

中国国家主席が「尋常でないほど」崇拝している「人物」

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 中国は、「ふしぎな国」である。  いまほど、中国が読みにくい時代はなく、かつ、今後ますます「ふしぎな国」になっていくであろう中国。

 

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 そんな中、『ふしぎな中国』の中の新語・流行語・隠語は、中国社会の本質を掴む貴重な「生情報」であり、中国を知る必読書だ。

 

  ※本記事は2022年10月に刊行された近藤大介『ふしぎな中国』から抜粋・編集したものです。

不忘初心(ブーワンチューシン)

イラスト/村上テツヤ

 小学生の頃に、書き初めで書いたという方もおられるかもしれない。「初心忘れるべからず」―その原語が「不忘初心」である。  だが中国でいま、「初心忘れるべからず」と説いているのは、小学校の先生ではない。党員数9671万人(2021年末現在)という世界最大の政党・中国共産党のトップに君臨する習近平総書記なのだ。  「不忘初心」という言葉が、中国の文献上、初めて現れたのは、唐の大詩人・白居易(772年~846年)が晩年に詠んだ散文『画弥勒上生幀記』の中だ。834年、白居易は当時62歳頃で、宮仕えの合い間を見つけては、その10年前に故郷近くのいまの河南省洛陽に購入した自宅に帰っていた。洛陽は歴史上、13王朝の首都だった中国有数の古都だ。  「自分は弥勒の弟子だ」という告白から入り、「いまや老病の身だが、ここに重ねて証を述べる。初心を忘れずに、必ず思いを果たしたいものだ」と、心境を吐露している。後半のサビの部分を原語で記せば、「所以表不忘初心、而必果本願也」である。  白居易という詩人は、日本では、玄宗皇帝と楊貴妃の34歳も年の離れた「世紀の愛」を詠んだ『長恨歌』が有名である。平安時代に書かれた『源氏物語』や『枕草子』などにも、『長恨歌』の内容が引用されているほどだ。他の詩や散文なども秀逸で、虚心坦懐な性格が滲み出ている。

 

 

  私は以前、中国仏教の三大石窟の一角、洛陽にある龍門石窟近くの白居易の「終の棲家跡」を訪れたことがある。「あんな人間関係が腐った宮仕えなんか、もうこりごりだ」などと、唐の都・長安(現・西安)での官僚生活に、強烈な恨み節を書き残しているのが印象的だった。  「不忘初心」を含む『画弥勒上生幀記』も、そんな老境の境地を詠んだ散文である。ともかく、完全に個人的な思いを述べたものであることは確かだ。

 

 

  このような原典を持つ「不忘初心」を、2016年7月1日に、突然唱えたのが習近平総書記だった。この日の午前中、北京の人民大会堂で、中国共産党創建95周年の記念式典が開かれた。そのイベントで習総書記が、例によって長い重要講話を述べたが、その中でこう説いたのだ。  「われわれの党(共産党)が団結してリードしてきた、中国人民のたゆまぬ奮闘の輝かしい道のり、及び偉大な貢献と歴史の啓示を、全面的に総括するのだ。そして『不忘初心』を深く刻み込んで、引き続き前進していくのだ」

 

  この日から、「全党全軍全民」に、すなわちすべての共産党員と人民解放軍兵士と国民に向けて、「不忘初心」のキャンペーンが展開されていった。正確には、「不忘初心、牢記使命(ラオジーシーミン)」(初心を忘れず、使命を肝に銘じる)という8文字がスローガンだ。  このキャンペーンは、その後も延々と続き、5年後の2021年7月1日に挙行された中国共産党創建100周年の記念式典でも、習近平総書記はこのスローガンを強調した。おそらく習近平体制が続く限り、唱え続けることだろう。  では習総書記にとって、「初心」とは何を意味するのか?

 

 

   『ふしぎな中国』でも少し述べたが、習近平という政治家は、新中国の「建国の父」毛沢東主席を崇拝している。私は以前、習総書記の側近から、こんな話を聞いたことがある。  「習総書記の毛主席に対する崇拝ぶりは、尋常でない。常に『毛主席ならどうするだろうか? 』と自問しながら行動している。重要な政治決断を下す前には、毛主席ゆかりの地を視察するほどだ。 中国では還暦を、人生の一区切りと考える。毛主席よりちょうど60年後に生まれた習総書記は、もしかしたら自分を毛主席の生まれ変わりと思っているのではないか」

 

  習近平総書記は1953年6月15日、副首相まで務めた習仲勲氏と、

2番目の妻・斉心氏の長男(前妻・郝明珠氏の息子・習正寧氏も含めれば次男)として、

北京・和平里の幹部用住宅で生まれた。

 

  特権階級の出身だが、1962年に父親が権力闘争に敗れて一時失脚したこともあって、

6年9ヵ月も陝西省の寒村・梁家河に「知青」(知識青年の農村での労働)として送られた。

年齢で言えば、15歳から22歳までの最も多感な青春時代だ。

 

  私は習総書記の幼なじみにも話を聞いたことがあるが、こんなエピソードを披露した。

 

  「知青時代の習近平は、『毛主席語録』と、日々毛主席を礼賛する『人民日報』だけを読んで過ごした

梁家河でも、そのような学習会が頻繁に開かれた。

そのため、すっかり毛沢東思想に『洗脳』されてしまったのだ。

 

 加えて、絶対に表情を表に出さない人間になった。表情を出すと周囲に付け込まれるかもしれないからだ。 そして北京へ戻ってからも、『毛主席のような偉大な人間になりたい』と思い続けた。そのため1992年に生まれた一人娘に、『明るい毛沢東』のように育ってほしいと願って『明沢』と名づけた」

 

  習近平総書記の公式のスピーチは、すべて「重要講話」と呼ばれ、共産党員は手書きで書き取りをさせられる。私は中国共産党員でないので書き取りはしないが、日々フォローしている。  そんな中で気づいた特徴の一つが、『毛主席語録』からの引用が、やたらと多いことだ。冒頭の白居易の散文の引用など例外的で、「いつもどこかに毛語録」という感じなのだ。  前任の胡錦濤総書記のスピーチでは、『毛主席語録』はほとんど出てこなかった。むしろ鄧小平氏が唱えた「改革開放」などの実用的な言葉が多用されていた。その前任の江沢民総書記も同様だった。  もうお分かりだろう。習近平総書記が説く「初心忘れるべからず」とは、「毛沢東主席とその時代を忘れるべからず」という意味なのだ。  「毛沢東時代」がいつからを指すかは、議論の分かれるところだ。1893年に湖南省に生まれ、1976年に共産党主席のまま82歳で死去したが、中国を統一したということで言えば、1949年からだ。また共産党内部で実権を握ったということで言うなら、1935年の遵義会議からだ。

 

  だが、おそらく習総書記の脳裏では、「毛沢東時代」は「1921年7月から1976年9月まで」である。すなわち、中国共産党が誕生してから毛主席が死去するまでだ。  中国共産党の結党大会は、1921年7月に、13人のメンバーが上海代表(李漢俊氏)の自宅に集まって開かれた。途中で官憲に踏み込まれたため、逃亡。結党の宣言を出したのは、浙江省嘉興にある南湖に浮かぶ船上だった。その時、長沙代表の毛沢東氏は結党メンバーの一人ではあったものの、「主役」ではなかった。  中国共産党内で毛沢東氏が権力を掌握したのは、国民党軍に追われて敗走中(中国共産党はこれを「長征」と呼んで称えている)の1935年1月に、貴州省遵義で開いた前述の遵義会議からだ。だが、習総書記にとっては、結党当初から「毛沢東時代」なのだ。  そのため重ねて言うが、「初心忘れるべからず」とは、「毛沢東時代を忘れるべからず」という意味なのである。換言すれば、「偉大な建国の父」の「後継者」(習総書記)をも尊敬しなさいと督励しているとも解釈できる。  実際、習総書記は共産党の歴史を、「第一の百年」(1921年7月~2021年7月)と「第二の百年」(2021年7月~)に区別する。前者が毛沢東時代で、後者が習近平時代という意味だ。  そうだとするなら「初心を忘れず」、毛沢東時代の負の遺産―4000万人が餓死した大躍進や、10年間経済が麻痺した文化大革命など―も、今後再現されるのか?   「不忘初心」を最初に唱えた白居易は、草葉の陰で何を思うだろう。

近藤 大介(『現代ビジネス』編集次長)

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