日本人の「死者と死との問題」の解決方法には2つある。

「瑩山」禅師のと「道元」和尚のと!

 

「瑩山」禅師は、伝教大師「最澄」の始めた「日本天台宗」を完成させた。

 

天台密教の僧侶「大日・能忍」が「禅の語録」を独自に研究し、

忠実に坐禅の修業を実践し「無師独悟」で悟った。

それは、

「日本天台本覚思想」中心地であるから、

「天台密教、梵我一如に至る坐禅、の悟り」だった。

なお「大日・能忍」とは「大日如来・釈迦牟尼仏」のことである。

つまり「自分が、その二人と一体だと、悟った」のである。

 

瑩山禅師は「懐鑒」禅師「義介」禅師と継承してきた五世である。

日本人の「死者と死との問題」の最終的な解決方法として、

「死者」を、霊魂が空中に浮遊している「中有」の期間に、

「戒」を授け「仏弟子」に成して、

「戒名」を与え、新しい人物にする。その手続き後、

「修行の途中で亡くなった者」に準じて「葬儀」を行う。

導師が、引導を下して、三途の川を「彼岸、仏の世界」に届ける。

死者は「神仏習合」で「神様仏様」となり「ご先祖様」になる。

それ以降は、日本人の古来の信仰に自然と従って、

「氏神と氏子との交わりの世界」に入っていく。

「ご先祖様をお迎えして、おもてなしをして、

食事や、踊りや、奉納相撲で、楽しませて、

再び、あの世に、送り火で、お送りする。

ご先祖様は、自分の子孫に恩恵を与える。」

・・・人間関係での「贈与の関係」である。

これには「教義」は少しも必要はない。

 

日本人は、古来からの原理で「死者と死との問題」を最終的に解決した。

他の仏教宗派も、この瑩山禅師をそっくりと真似た。

その結果、「お盆」と「お彼岸」とは、「日本人の習俗」となった。

 

他方、

「道元」和尚は、仏教史上、初めて「原始仏教」に回帰して、

「死者と死との問題」を解決した。

 

しかし、日本人には、理解されなかった。

「僧海」「義尹」など、ごく少数の弟子だけが「嗣書」を授かった。

 

だから「義尹」は「首座」で、道元の代理格であり、

道元の命令で、如浄禅師の「1243年、17回忌法要」

「1253年、27回忌法要」で中国に渡った。

更に、

道元の死後も「1263年、37回忌法要」で中国に渡り、

『永平広録』の「序文」や「跋文」を貰って帰国した。