瑩山禅師によって

そもそも「金色の外国の神様」だった「国家護持の仏教」が、

…奈良の「東大寺」、華厳経の「毘盧遮那仏」、国分寺、「聖武天皇」、…

日本古来の「氏神と氏子と交わり=ご先祖様とその子孫との供養と恩恵の交流」

に、個人の次元で、「死者と死の解決」へと、質的な変容をきたした。

 

これは、伝教大師・最澄が始めた「日本天台宗」の完成である。

最終的な「日本の仏教」と成った。

 

日本人は、生まれた時は神社で始まり、死ぬときは寺院で終る。

「神仏習合」、「神仏混交」、「本地垂迹」思想、が日本の風土に相応しい。

 

日本人は「人間が神様に成る」そういう精神風土に育っている。

アニミズム、自然崇拝、「山川草木悉皆成仏」どこにも神様がいる。

竃の神様、便所の神様、…、神様に囲まれている。

「天神様」「八幡様」「東郷神社」「明治神宮」…

「富士山信仰」「那智の滝」…「お天道様」

 

その中に「お盆」「お彼岸」「御命日」「回忌法要」…

「死者との交わり」が築かれていく。

 

中国人は、死者・ご先祖様は、「儒教」が専門的に取り扱う。

子孫を造らない「僧侶」のために、「仏教」が葬式をすることになった。

 

それを「義介」禅師が、41歳の時、1259年に中国・宋に渡って、直輸入した。

元々僧侶への葬式を、准じて、在家・庶民へも応用した。

 

これで、在家の「死者と死との問題」を完全に解決した。

仏教が、護国の国家事業から、個人の問題へと、役割を拡大して行った。

 

この「瑩山」禅師こそが、日本仏教の最大の改革者である!

 

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他方、

「道元」和尚は、「原始仏教=正伝の仏法」に回帰したのであって、

誰にも理解されずに、日本仏教には、全く、影響を与えなかった。

「僧海」「義尹」など極く少数だけが「嗣法」した。

 

「懐奘」禅師「義介」禅師は、最後まで、

「日本天台宗、達磨宗・派」であり、

「天台密教、梵我一如の坐禅の悟り」を「嗣法」した。

 

瑩山禅師の主著『伝光録』にその教えが、明確に記述されている。