「中国禅」は、老荘思想であり、

「道・ダオ」という「法則の力」が、全世界を導いていた。

この世界は、

所謂「陰陽五行説」

「絶対無=道・ダオ」が、「陰と陽と」を生み出し、

この「陰・陽」の二つによる運動から、「万物」が産み出されている。

「自己」は、その一つである。

だから、

外部に影響されない「自己」を確立して、この「道・ダオ」に任せればよい。

「無為自然」「無事」「無事、是、貴人」

中国禅は、

この「自性」「仏性」を見る!

「見性、成仏」となる。

ここでは、

決して「自己」は「道・ダオ」であるとは、ならない!

 

他方、インド密教、その初めの

ヒンデゥー教のウパニシャド哲学では、

「梵我一如」「宇宙原理は、自己である」、

白隠禅師は、瑩山禅師に従い、

日本の「白隠禅」においては、

この「梵我一如」を基盤に変えて、据えた