如浄禅師は、実際は、
中国禅宗史で無名で、思想は古臭く、働きがなく、
俗人であって、何度も都市に寄付を求めて巡り、
出世欲の強い人物であって、そのために、
臨済宗が政治を席捲していたので、出自の曹洞宗を隠していた。
寺に就任する時は、先師に香を焚き、御恩を表明するが、
曹洞宗が不利なために死ぬまで隠し通した。
こんな「小物の人物」を、「道元」和尚も「瑩山」禅師も、
なぜ異常に担ぎ上げるのか?
日本では、完全に無名なので、自分の都合の良いように、
潤色が可能であり、バレないからである。
「瑩山」禅師も「五老峰」神学を創り上げ、如浄禅師を「高祖」に据えて、
主著『伝光録』において、
「天台密教、梵我一如の坐禅の悟り」の教えの信奉者として記述している。
「義介」禅師は、
1251年に、ご自分は「日本達磨宗」の「嗣法」を懐鑒禅師から伝承し、
他方、
「道元」和尚の「原始仏教」の「嗣書」を授からないのを体験し、
更には、道元の死後に、
「寂円」禅師の「中国禅=老荘思想、道教」と全く異なり、
永平寺を追放された「経歴」がある。
益々「日本達磨宗」を自覚した。
これで「瑩山」禅師を育て上げた。