『
今でも、よくわからない部分が多々あります!
』
…それは、
ご自分が瑩山・禅師の法孫であり
「日本天台宗、日本達磨宗・派」であり…初祖・大日能忍
「天台密教、梵我一如の坐禅の悟り」の立場が原因である。
・・・つまり「インド密教」=「バラモン教・ヒンデゥー教」である
他方、
道元・和尚は「原始仏教」であるから、
まったく「別の宗教」であるから、解釈不能となるのだ。
・・・
「別の宗教」だから、両方が同等であり、両方が「正しい。正統だ。」!
NHK宗教の時間
道元『正法眼蔵』をよむ (下)
2021/9/27 角田泰隆(著)
駒澤大学教授・常圓寺住職。
1957年、長野県伊那市生まれ。曹洞宗大本山永平寺にて修行。駒澤大学仏教学部禅学科卒業。
1986年、駒澤大学大学院博士後期課程満期退学。曹洞宗宗学研究所、駒澤短期大学講師を経て駒澤大学教授。
博士(文学)。
主著に
『坐禅ひとすじ』( 角川ソフィア文庫)、『禅のすすめ 道元のことば』(小社刊、現在は角川ソフィア文庫)、『ZEN 道元の生き方―「正法眼蔵随聞記」から』小社刊)、
『道元入門』(大蔵出版、現在は角川ソフィア文庫)、『道元禅師の思想的研究』(春秋社)など。
2019年には、編者・校註者として「本山版訂補『正法眼藏』」(大法輪閣)を上梓した。
<道元禅師が著した『正法眼蔵』は、非常に難解な書物であり、
その難解さに知的関心をもつ人も多いようです。
また、道元禅師は厳格な方であり、その厳格さに惹ひ かれるという人もいるかもしれません。
しかし、この講座は〝難しい正法眼蔵〟〝厳格な道元禅師〟というイメージを
少しやわらげていただけるものになるのではないかと思っております。
(中略)
『正法眼蔵』は実に難しい書物です。
おそらく、読者の中には『正法眼蔵』の解読に挑戦した人もいるでしょう。
たいがいの人は挫折します。
「原文」を読もうと一見して、敬遠する人もいるに違いありません。
それでも読んでみようと、いくつか出版されている「現代語訳」を手に取ってみても、
現代語訳ですらよくわからないというのが『正法眼蔵』です。
しかし私は、よくわからない『正法眼蔵』を「わかりたい」と思い、
もうかれこれ四十年以上、親しんできました。
そして今でも、よくわからない部分が多々あります。
そんな私ですが、これまで学んできた中で、『正法眼蔵』の
比較的わかりやすい部分を取り上げて、道元禅師の特徴的な、
そして魅力的な教えに、みなさんに触れていただきたいと思います。
この講座では、難解な『正法眼蔵』を学術的に詳細に学ぶというよりも、
道元禅師が『正法眼蔵』を書き示して伝えたかったことを、
私を通じてみなさんにお伝えいたします。
気軽に学んでください。そして、このご縁をきっかけに、
みなさん自身が『正法眼蔵』そのものに挑戦していただければと思っております。
かつて挫折した方も、もう一度『正法眼蔵』に向き合っていただければと思います。
そんな願いをもって、この講座を務めさせていただきます。>(「はじめに」より)
(出版社より)
道元が、「正法の仏法を明らかにしたい」との思いで著した『正法眼蔵』。
今年度のNHK宗教の時間では、年間テーマとして『正法眼蔵』を取り上げます。
講師は、道元とその著作研究の第一人者・角田泰隆駒澤大学教授。
読者を正法と禅の世界に誘います。本書はその上巻です。
*第1回は道元の果たした宗教的な足跡と、『正法眼蔵』成立の経緯とその目的を示します。
*第2回以降では、道元の仏法の真髄をなし、
今日の私たちの生き方にも大きくかかわる内容について、
『正法眼蔵』のエッセンスを取り上げ、
最終的には「悟りの心とは何か」を示します。
*初学者にも親しみやすいように『正法眼蔵』を玩味して、
仏教の根本と禅の基本について触れる講座です。
(もくじ=上巻)
・はじめに
・正法眼蔵全体図
・第1回 『正法眼蔵』とは何か
道元禅師略年譜
・第2回 多様性を認める―「現成公案」の巻
・第3回 存在と時間―「有時」の巻
・第4回 全世界は心―「三界唯心」の巻
・第5回 人生は夢のようなもの―「夢中説夢」「空華」の巻
・第6回 坐禅の心得と作法―「坐禅儀」の巻
*第7回以降は下巻(2021年9月25日発売予定)
【編集部より】
「正法の仏法を明らかにしたい」との思いで道元が著し編纂した『正法眼蔵』を解説する年間講座の下巻。
本書では、まず「般若心経」を道元がどう見たかをひもとき、
次に難解な仏教解釈の分析を行い、さらには
洗顔洗面手洗など私たちの日常の行い一つひとつの実践こそが「仏」であることも示してゆく。
※上下巻共通のアイテムとして、
類書にはあまり見られない「『正法眼蔵』全体図」を巻頭に掲示している。
【「おわりに」より抜粋・著者からのメッセージ】
「……この講座では、比較的わかりやすい部分を取り上げて、
できるだけわかりやすく解説したつもりですが、
それでも、〝むずかしい〟という声を聞きました。
しかし、どうかあきらめずに、これからも道元という人に関心を持ってください。そして、『正法眼蔵』の本文を是非読んでいただきたいと思います。
ずっとわからないかも知れません。きっと、わからなくてもいいのです。(中略)四十年以上読んできた私自身も、まだよくわかっていません。私は一生『正法眼蔵』参究です。それが私の修行であり、一生続くと思います。〝わかった〟という実感がないことは、なんとも〝張り合いのない〟ことですが、(私の)師匠は〝張り合いのないのか仏法だ〟とも言っていました。とにかく、ただ、淡々と、読み続けていけばよいと思っています。
でも、もしかすると、わからなくても、とにかくあきらめないで親しんでいると、ある時、言葉の魔法が解けて、わからなかった部分がわかるようになることがあります。そして、わかってみると、〝なんだ、あたりまえのことだった〟と思うことがあります。」
【下巻各巻のタイトル】
第7回 『般若心経』の解説──「摩訶般若波羅蜜」の巻
第8回 仏性とは何か──「仏性」の巻
第9回 まことの師を尊ぶ──「礼拝得髄」の巻
第10回 山が歩く──「山水経」の巻
第11回 作法これ宗旨──「洗浄」の巻
第12回 修行者の四つの実践――「菩提薩埵四摂法」の巻