鈴木格禅・師の大いなる「御恩」!
最後の『正法眼蔵』5日間連続提唱は、「恥も外聞もない壮絶なもの」だった。
鈴木格禅(すずき かくぜん、1926年10月20日 - 1999年8月19日)
日本の仏教学者。 澤木興道に師事した。愛知県生まれ。
医者からの「癌に対する余命宣言の日」は、前の年に、もう過ぎていた。
例年の東京青山「永平寺別院」「長谷寺」での、
春の『眼蔵会』(5月1日から5日間)は
「今生最後の連続提唱」であることは、本人も聴講者も知っていた。
当時は、解らなかったが、今は明確に理解できる。それは、
鈴木師は、
瑩山禅師からの、忠実な「天台密教、梵我一如の坐禅」であった。
道元・禅師は「誠・まこと・真の事」を教えて下さった。
その「誠・まこと・真の事」と一体になることが最重要である、
という主旨だった。
「かかあを持つが、子は造らない」
「俺は、恥をかくぜん(格禅)だ」・・・
いつもは、江戸っ子のべらんめい調で、飄々としていたが、完全に違っていた。
涙を流して、唾を飛ばして、鼻水を流しすすりながら、
これが最後と必死に訴えているのである。
「癌の末期」だから、車椅子に乗って、運ばれてきて、
そのまま「車椅子」に坐ってでの提唱であった。
しかし、講壇上では、力強かった。
死に瀕した病人ではなかった。
その鈴木師は、
「今まで、御恩になった人々に、その一人ひとりに会って、
お礼を述べなければならない」
と訴えているのである。
それが、鈴木師にとっては、
「誠・まこと・真の事」の道、だったのである。
その感情丸出し、激情丸出しに、呆然とした、
というのが正直なところだった。
それまで、抱いてきた「道元の教え」とは、別だな、
と、その時は、感じた。
死に瀕した禅僧というものは「涅槃寂静」であって、
駒澤大学の教授であり、「禅宗学」では大家で、
著作も多くあって、それを読んで学んでいたので、
そのイメージとは正反対だった。
人間というものは最後はこうなるのだ、
という見本にも感じられた。
しかし、
「天台密教、梵我一如の坐禅の悟り」からは、
これこそが、正しい姿でもある、のである。
鈴木師は、最後の力を振り絞って、それを示して下さっていたのである。
最後の言葉は、
「以上で、『正法眼蔵』の「行持の巻」の提唱は、
一応、終わった事にする。」
だった。
その御恩は計り知れない。
鈴木師は、玄関先で、一人ひとり、見送っていらっしゃった。
それが、文字通りの、今生の別れになった。
今年の5月も、東京青山「永平寺別院」「長谷寺」で
「眼蔵会」は開催される。
「開講の案内状」のお葉書を頂いた。
長谷寺 – 永平寺東京別院長谷寺の公式サイトです。 (jiin.com)
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2017/2/10 鈴木 格禅 (監修)