人類学100年の歴史で突如現れたスーパースター…私たちの常識を一変させた男の「衝撃の発見」(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース

 

人類学100年の歴史で突如現れたスーパースター…私たちの常識を一変させた男の「衝撃の発見」

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---------- 「人類学」という言葉を聞いて、どんなイメージを思い浮かべるだろう。聞いたことはあるけれど何をやっているのかわからない、という人も多いのではないだろうか。『はじめての人類学』では、この学問が生まれて100年の歴史を一掴みにできる「人類学のツボ」を紹介している。 ※本記事は奥野克巳『はじめての人類学』から抜粋・編集したものです。 ----------

 

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人間は「生物社会的存在」

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 本章では、現代の人類学をテーマに据えます。

主人公は、70代半ばになった今でも現役として後進に影響を及ぼし続けているティム・インゴルドです。彼はそれまでの学者とはまったく違うアプローチで人類学を推し進めた開拓者と言えます。

 

  インゴルドが世に知られるようになったのは、20世紀末からです。

彼は若い頃から「自然」と「社会」を切り分けて考える近代西洋の二元論的な思考法に違和感を抱き、

それを乗り越える方法を探ってきました。その思索の果てに、

人間を「生物社会的存在(biosocial beings)」だと捉える考えに辿り着きました。

 

生物社会的存在という言葉をはじめて耳にした人も多いでしょう。

 

これはつまり、

人間はつねに生物学的で動物的な存在であり、同時に

社会的関係の中を生きている存在でもあるということです。

 

そのどちらが欠けても、人間の本来のあり方とは言えない、というのがインゴルドの主張です。  インゴルド人類学のテーマは、一言で言えば、(動詞の)「生きている」です。彼に言わせれば、「生」というのは固定された不動のものではありません。

 

絶えず動き続けて生成と消滅を繰り返し、変化するものなのです。

固定化された名詞的な「生」ではなく、流動的で動詞的な「生きている」状態、

「生の流転」に目を向けるのがインゴルドの人類学です。

 

  生きている、というのはすでにゴールの決まっているプロセスを歩むことではありません。

むしろ、行き先が未定で、宙に投げだされたかのような状態で変容していくプロセスに他なりません。

 

インゴルドにとって

「生きている」とは、人とモノ、人と環境が持続し、瓦解する

プロセスを進んでいく中で開かれる現実なのです。

 

  インゴルドは、人類学は、

あらゆるものが「生きている」さま

生け捕りにする研究=実践だと考えます。

 

そうすることで、世界に耳を澄まし、世界について学びながら、未来に向かって生きていくための人類学を切り拓いたのです。型にとらわれない、このダイナミックな思索こそがインゴルド人類学の魅力です。

 

 

 

菌類学者の子に生まれて

 インゴルドは1948年にイギリスのバークシャー州レディングに生まれています。父親は著名な菌類学者のセシル・テレンス・インゴルド(1905―2010)です。彼は英国菌類学会の会長を務め、第1回の菌類学者による国際会議を主催した学者です。水生菌類の一群には、彼の名を取って「インゴルディアン菌(Ingoldian fungi)」という学名がついています。ティムの8歳年上の姉には、都市計画家で、ニューカッスル大学名誉教授のパッツィー・ヒーリー(1940―)がいます。  インゴルドは、父親から学問上の強い影響を受けたと振り返っています。父親は菌類を愛していて、自然の美しさに惚れ込んでいました。その姿を間近で見ていたインゴルドは、学者とは研究する対象に対して、強い愛着を抱くものなのだと感じたといいます。  他にも父親から学んだこととしてインゴルドが語っていることがあります。1930年代までは、菌類学者は瓶の中に詰められたものを研究室で調べていたのですが、彼の父は植物や菌類を実地で観察し、野外調査の重要性を訴えたのです。インゴルドは、そうした現場重視の菌類学者である父親の影響を受けて、フィールドワークを中心に置く人類学に進むことになったと語っています。現場を重視する姿勢は、文献だけでは研究に限界があると感じてフィールドワークに飛び出したマリノフスキとも共通していますね。  インゴルドはまた、菌類学の学問的立場にも影響を受けたようです。そもそも植物学というのは、光合成によって自ら栄養を生み出す植物を中心に組み立てられています。菌類は、動植物の死骸を分解するという奇妙な活動をするために、植物学では長らく厄介者扱いされてきました。菌類学者は植物学の主流からすれば、異端な考え方をする人たちなのです。  インゴルドは菌類学が植物学に対して行う批判は、人類学が社会科学に対して行う批判に似ていると考えています。彼は、人間を明確な境界を持った存在として捉える社会科学者に対して、否を突きつけます。人間には、自分とそれ以外を隔てる境界線などないのです。すべての人は諸関係のメッシュであり、どこまでも続く「線(ライン)」からできていると考えるのが人類学だというのです。

 

  1990年代になると、インゴルドは父が菌糸を描いたように、

人類学も人間をメッシュ状の線として捉えてみるべきだと考え、

「菌類人間(mycelial person)」という造語を思いついています。

 

インゴルドは、

「小さな塊(ブロブ)」としての原核細胞と、

細くたなびくような線(ライン)状の鞭毛を合わせ持つバクテリアから出発して

独自の人類学を構想するようになったのです。

 

 さらに連載記事〈日本中の職場に溢れる「クソどうでもいい仕事」はこうして生まれた…人類学者だけが知っている「経済の本質」〉

では、人類学の「ここだけ押さえておけばいい」という超重要ポイントを紹介しています。

奥野克巳

 

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