瑩山禅師は、最澄の再来であり、日本仏教最大の改革者である!

最澄が始めた日本天台宗を、「日本教」として完成させた

 

1300年「瑩山」禅師が、

1700年「白隠」禅師を、「中国禅」から「天台密教の梵我一如の禅」に変えた!

 

「中国禅」は「教外別伝、不立文字」で「仏教の教え」を捨てたので、

当然の結果、中国人古来の「老荘思想、道教」に回帰した。

 

「老荘思想、道教」では、

「絶対無」から、陰と陽とが生み出され、

その「陰」と「陽」との運動から、万物が生み出される。

自己」は、その生み出されたものの「ひとつ」である。

 

(これの完成形が「陰陽五行説」である)

 

だから、

「自己」は「絶対無、道・ダオ」に則っとり、任せて、生きればよい。

 

「無為自然」「無事是貴人」・・・となる。

 

「道・ダオは、自己である。

しかし、自己は道・ダオではない。」

 

これは、臨済禅師、洞山禅師の「中心の教え」である。

 

これに対して、

瑩山禅師は

「日本天台宗」の「日本達摩宗・派」「大日能忍」の五世であって、

「天台密教、梵我一如の坐禅」を布教した。

 

だから、

道元・和尚と、別の『坐禅用心記』を著作する必要がある!

この二つは全く異なる

 

 

安泰寺 – 坐禅用心記 (antaiji.org)

 

「坐禅用心記」に参ずる

2007/7/1 東 隆眞 (著)

 
〇 〇 〇
 
瑩山禅師は、白山天台宗の古寺を復興し、曹洞宗にして、
日本列島に布教して、1万5千ヶ寺の大教団になり、
その「天台密教・梵我一如の禅」を禅の標準とする勢いだった
 
その結果、
1700年「白隠」禅師を、
「中国禅」から「天台密教の梵我一如の禅」に変えた!
 
だから、
「白隠禅」は「中国禅」の集大成ではありません
「中国禅」とは別物です
瑩山禅師の「梵我一如の坐禅」への「宗旨替え」です。
つまり「日本教」に変わったのです!
 
 

 

 

ひろさちやのウルトラ禅問答公案解答集: 

現代相似禅評論」の英訳本である

The Sound of the One Han

2006/2/1 ひろ さちや (翻訳)

 
==或る書評から
神田の古書店では数万円の価格がついていた、公案の虎の巻を英語で出ていたからといって、
翻訳して出版する意図は何でしょう。
こんな内容で禅の神髄が伝えられてきたとお思いなのでしょうか?
名前は伏せつつも禅の師家の協力を仰いだというようなことも書かれていますが、
そのようなレベルで指導しているのですね。
現代、真の禅の滅亡の瀬戸際を表している出来事なのでしょうね、この出版は。
禅の初学者(私もその一人ですが)は読んでも余計な先入観で邪魔になるだけですし、
少なくとも真面目に禅を志す方は避けた方がいいと思います。
それ以外の方は仕方ないでしょう。
所詮、協力した禅の師家という方々がいらっしゃるということですから、
この程度なんだと誤解させておくしかないのでしょうね。