瑩山禅師は「最澄」の再来であり、
最澄の始めた事業、つまり、
「顕教、密教、禅、浄土」の融合統合を、完成させた!
白山天台宗、白山神社・白山山岳修験道、…全てを統合した。
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「瑩山禅師の宗教」は、中国宋朝の「中国禅」ではない。
比叡山の天台宗で興った、純国産の「日本達摩宗」の五代目である。
この「日本達摩宗」は、
天台宗「天台密教」の僧侶
「大日・能忍」が
「天台密教」思想の下で、「禅語録」を読み「坐禅修行」して、
(当然の結果ではあるが)
「無師、独悟」で、
ウパニシャド哲学の「梵我一如」を悟った!
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道元は、「原始仏教」を布教する為に、
「中国で無名の如浄禅師」を権威に用いた。
これと、全く、同じで、
「義介」禅師「瑩山」禅師も「日本達摩宗」への弾圧を避けるために、
「道元・和尚」を、布教の権威に用いた。
それは、
道元の父親は「通具」で「大納言」であり、祖父は「内大臣」であり、
更に、「天皇」も、「道元の系統」が支配していた。
しかし、現在は、
信仰の自由の原則で「宗教弾圧」は、なくなった。
堂々と
「日本天台宗」の「日本達摩宗・派」として、自立すべきである。
そして、
道元・和尚の「正伝の仏法」
「原始仏教」の隠蔽を、止めるべきである。
自分の「日本達摩宗」に「誇り」を持つべきである。
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道元は、「原始仏教」だから「出家」を勧める。
「出家」者には、結婚も、子造りも、禁止する!
今の「道元・和尚の教え」を「掲げる事態」では、
「出家」者「僧侶」である自己は、常に、否定され続けるだけである。
しかし、
「日本天台宗(天台密教)」「日本達摩宗・派」ならば、
日本天台宗の最澄の「大乗戒」を守れば良いのだから、
「出家」者でも「結婚も、子造りも、可能」である!
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ウパニシャド哲学「梵我一如」を「悟る」ことを、
瑩山禅師は、主著『伝光録』で勧める!
伝光録 / 傳光録 (岩波文庫) 瑩山禅師 1944年 横関了胤 校訂
瑩山紹瑾(けいざん じょうきん、諡号:佛慈禅師、弘徳圓明国師、常済大師
文永5年10月8日(1268年11月21日) - 正中2年8月15日(1325年9月29日))
日本の曹洞宗の第四祖。 瑩山禅師と呼ばれる
横関了胤 宗派最高専門道場、大本山永平寺僧堂修了 昭和10年より曹洞宗門制度調査僧幹事
傳光録 52章からなる
安政4年仏英和尚の開板にかかる瑩山和尚傳禄(仙英本)がベースとなっている
道元禅師の正法眼蔵に並ぶ最高の宗典として重んじられる