南直哉師の

番外:『正法眼蔵』私流・第4回のお知らせ。 - 恐山あれこれ日記 (goo.ne.jp)

昨日13日夕刻、聴講して、

「瑩山禅師の日本での位置付け、価値、重要性」が、はっきりと、理解できた。

やはり、「師」とは持つべきである。

ただし、「師」とは、自分の考えをぶつける相手であり、

「師」にそのまま従う、ではない。

これも、南師から、学んだ。

 

実は、私は、「以下の本の元」になった、

「私流『インド・中国・日本、三国仏教思想の吟味』連続講義」を、

中国・仏教史から、数年間、聴講して、最後に、南師によって

「道元・和尚に対する考え方」を、180度変えさせられた者である。

その言葉を聞いた途端、「アッそうなのか」と驚いた記憶が鮮明にある。

 

超越と実存

 「無常」をめぐる仏教史

2018/1/26 南直哉 (著)

 

私とは何か。死とは何か。仏教とは何か――。
全身全霊の問いから始まった仏教探求の旅。ブッダから道元までの思想的変遷を読み解く、仏教史の哲学。

「諸行無常(=すべての〝実存〟は無常である」。

そうブッダが説き始まった仏教は、インドから中国、そして日本へと伝わる過程で、

仏性」「唯識」「浄土」などの「超越的理念」と結びつき、大きく変化していった――。
「私がねらうのは、ゴータマ・ブッダに淵源する、私が最もユニークだと思う考え方が、その後の言説においてどのように扱われ、意味づけられ、あるいは変質したかを見通すことである。(中略)

無常という言葉の衝撃から道元禅師の『正法眼蔵』に出会い、果てに出家した

自分の思想的遍歴を総括しようとするものである」(序章「問いの在りか」より)
「恐山の禅僧」が、ブッダから道元までの思想的変遷を「超越と実存の関係」から読み解く、かつてない仏教史の哲学。

【目次より】
プロローグ――私の問題
序章 問いの在りか
第一部 インド――無常の実存、超越の浸透
第一章 ゴータマ・ブッダ
第二章 アビダルマ、般若経典、華厳経典の思想
第三章 法華経、浄土経典、密教経典の思想
第四章 竜樹と無着・世親の思想
第二部 中国――超越論思想としての中国仏教
第五章 中国仏教、智顗と法蔵の思想
第六章 中国浄土教と禅の思想
第三部 日本――「ありのまま」から「観無常」へ
第七章 空海以前と空海の思想
第八章 天台本覚思想と法然の革命
第九章 親鸞と道元の挑戦
エピローグ――私の無常

 

 

〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇

 

瑩山禅師は

功績(A):

「日本において、初めて、死者と生者との関係を、構築した

 

これは、同時に、

功績(B):

最澄の始めた、

400年前の古い仏教「中国天台宗」に対して、

新仏教である「密教」と「中国禅」とを取り込み、再度、総合する

作業を、達成させた

 

初祖・大日能忍は「天台密教」の僧であり、

「禅の語録」を独自に学び、それに従って「坐禅」修業し、

(当然の結果であるが)

天台密教における「梵我一如の境地」に到達し、

それを「禅的に、悟った」と、自覚した。

…「無師、独悟」である。

 

これは「天台密教」の「禅」であり、

「中国禅」とは、まったく異なる。

 

 

最初の「死者と生者との関係」は、

 

インドでは、

一人ひとりが、バラバラで「輪廻転生」するから、

この「親子」には、血の繋がりがない。

だから、ご先祖も、祭る必要がない。

「死体」は、霊魂が抜けた、物質だから、

そのまま「ガンジス河」に、流すこともある。

 

中国では、

「死者」は、「儒教」が専門的に、取り扱い、

「子孫」が、ご先祖の一人ひとりを、祭り、

「食物とお金」を捧げて、養う。

 

「出家」者には、

「食物とお金」を捧げてくれる「子供」が、いないので、

「出家」集団が、自分たちで、独自に祭る。

 

「空海」に、生きていたように、毎日、食事を捧げるのは、

中国人が考えている「これ」の影響か?

 

 

日本では、

「死者」は、陸続きの「黄泉の国、あの世」に移り、そこで生きている。

「死」は、最大の「穢れ」であり「恐れ」である

 

だから、「神道」は、「死者」を取り扱わない

 

ここで、

瑩山禅師は、

最初の手続き」として、

霊魂が、「中有」段階で、空中で浮遊している時点で、

「戒」を授けて「仏弟子」にして、「戒名」を授け

 

次の段階」で、

修行の途中で亡くなった僧侶に準じた「葬儀」を執行した

具体的には、

導師が「死者」に引導を渡して、三途の川の「彼岸・仏の世界」に送り届けた。

だから、日本では、

刑事がテレビドラマで、「死者」のことを、間接的に「仏」とも呼ぶ

 

更に、重要なことは、

「死者との交流行事」をキチンと定めた

死者と生者とのコミュニケーションの場」を創造した

 

〇 〇 〇

 

1300年以降、

永平寺三代「義介」禅師と、その弟子「瑩山」禅師の二人は、

ご先祖様との交流の道を、完成させた」。

 

これこそが

「真の日本仏教」「日本教」所謂「葬式仏教」の完成である。

日本人は、ほとんどが「お彼岸」と「お盆」の時期に、

故郷に戻って、ご先祖様の「お墓参り」を行い、

ご先祖様という「神様」に、「子孫の繁栄をお願い」する。

 

人間が神様になる国、

「天神様」「八幡様」「東郷神社」「明治神宮」

「神仏習合」「神仏混交」「本地習合」