第二次世界大戦で「キリスト教」の欺瞞性が露わになった。

現在、若者に、カトリック信仰を持つ者が激減している。

老人ばかりであり、減少に歯止めが効かない!

 

「ついに2026年落成」のサグラダ・ファミリア─ 驚嘆の構造美をひもとく(Forbes JAPAN) - Yahoo!ニュース

 

「ついに2026年落成」のサグラダ・ファミリア─ 驚嘆の構造美をひもとく

配信

Forbes JAPAN

カサ・バトリョ(c)neweuropetours

着工から100年以上経ってなお建設中であるユネスコ世界遺産、「永遠に完成されない建物」の代名詞的建造物、スペイン・バルセロナのサグラダ・ファミリア聖堂。 ところがこのたび、2025年に聖母被昇天の礼拝堂が、またガウディの没後100年にあたる2026年には高さ172.5mのメインタワー「イエス・キリストの塔」が落成されると発表され、世界で話題を呼んでいる。 歴史をくつがえすようなこのニュースを記念し、以下、サグラダ・ファミリアに関する記事をParametric-architecture.comからの翻訳転載で紹介する。

 

 

  アントニオ・ガウディの作品は、見る人それぞれに独自の解釈をさせる。いくつかの作品はユネスコ世界遺産「アントニ・ガウディの作品群」の一部であり、サグラダ・ファミリアとグエル公園はバルセロナの地元住民のランドマークであり、地元政府によって高く評価されている。 サグラダ・ファミリアがいかに未完成であるか、には驚かされる。彼の建築は多くの観光客を魅了し、建築家や建築を学ぶ学生たちが度々その構成や形を研究している。 彼の個々の作品については別の記事で詳しく紹介するが、ここでは、あまり考慮されることのない一面、すなわち彼の構造工学、より良く言えば、彼の建築と工学の背後にある哲学について論じることにする。 とはいえ、この記事では、アントニオ・ガウディという人物、そして芸術家、建築家としてのガウディをより深く理解し、その根底にある隠された思考をより身近なものにしたいと思う。読者諸氏にはぜひ、彼の作品を理解する、あるいは理解できる状況に近づいてほしい。 ジェレミー・ローは、2009年に出版されたその名も『アントニオ・ガウディ』という著書の中でこう書いている。 「彼の思考に影響を与えた様々な要因を考慮しなければならない。例えば、彼の家庭環境、子供時代、出生地と学校、友人や人間関係、そして彼が生きた時代にカタルーニャとスペインで何が起こったかという歴史を含めて」 なぜそこまでしてガウディを理解する必要があるのか。その最大の理由は、ガウディを、単に彼が生きた時代の産物だと理解することは難しいからだ。 サグラダ・ファミリアは、ある意味では当時のヨーロッパで行われた他の大規模な制作と似ているかもしれない。例えば、その一例として、ガウディを尊敬していたというル・コルビュジエの作品や哲学を想起することができる。しかし、ガウディの形式言語や作業プロセスは、同業者のそれとはまったく異なっているのである。 ビルバオに近いカタルーニャの町、コミーリャスには、エル・カプリチョとガウディの別荘がある。そしてその中庭には、ガウディに敬意を表して設置されたガウディ像がある。 実は、ガウディの銅像や写真はほとんどなく、この、座し、沈思するガウディをかたどった銅像は彼の外観を知ることのできる貴重なものとなっている。彼が思い描いた形式的な構造のファサードの裏側で、ガウディ像は自身の作品を見ながら何を考えているのだろう、と想像が膨らむ。そして、このようにガウディを観察し、彼について思考をめぐらすことでこそ、彼の作品に近づき、理解することができるのである。

 

 

5世代以上にわたって銅細工師だったガウディの家系

ガウディの家系は5世代以上にわたって銅細工師であり、カンプ-デ-タラゴナで栽培されたブドウからアルコールを蒸留するための桶を製造していた。 ガウディ自身も認めているが、銅板を叩いて作られた桶の湾曲したフォルムに、ガウディに大きな影響を受けている。ガウディはこの銅桶の湾曲したフォルムから幾何学的に、平面に作品をうつしだすのではなく、空間に作品を視覚化していくことを学んだという。 「色鮮やかで、輝き、柔らかい金属のように変形しやすく、彫刻的な生き生きとした形という、幼少期と父親の仕事場からヒントを得たこのようなビジョンは、彼の建築制作の中で一貫していく要素となった」とローは書いている。 また、ガウディは内気な子供で、父の田舎の家で何度も夏を過ごした。おそらくスペインで続いていた内戦から逃れるためだろう。 ガウディの性格と芸術性を形成した原点は、別の事象も関与している。ローは続けてこう述べている。 「ガウディの観察能力は、彼がリウマチ熱に苦しむ病弱な子供であったことも関係している。病気がちなガウディは他の子供たちと一緒に遊ぶことができなかった。一人でいることが多かったため、ガウディは自然を観察することに時間の多くを費やした。そして、彼は、世界に無数に存在する形には、構造物に非常に適している形と、装飾に非常に適している形がそれぞれあることを、その知性をもって悟ったのである」。 ガウディの自然に対する関心は、結果的に彼の制作に影響することとなった。ある意味で彼の作品は、生物や植物の機能、構造が持つ優れた性質を利用しようとする、生体模倣(バイオミミクリー)の一形態であると言えよう。 ガウディはまた、建築の個々の要素の性質と本質に関心を抱いていた。簡潔に表現するならば、自らの職業を極めし者となったのだ。ガウディは自分の作品のすべての構成要素の細部をすべて把握するだけでなく、建設テストの前に、例えば、重さがかかるときなど、外部から力が加わったときに作品の部品にどのように力の負荷がかかるかという実験までも行った。また、従来の設計器具(コンパスなど)や構造コンポーネント(バットレス、松葉杖など)をほぼ用いなかったため、彼は自由かつ創造的に、また、必要に応じて即興で作業することすら可能だった。

 

 ■平面的なユークリッド幾何学より3Dモデルを好んだ

 

 さらに、ガウディは平面的なユークリッド幾何学の研究よりも3Dモデルを好み、自然の中に見られる複雑さを深く理解するために、自然界で常に新しい形を探し、導き出し続けた。自然の造形への関心の中で、彼が特に注目した形がある。 ここでは、ローの言葉を引用して説明しよう。 「ガウディは、自然界には、ゆがんだ曲面、つまり直線だけで作られた曲面が頻繁に見られることに気づいた。杖や骨や筋肉の腱のような、繊維質で構成された自然の形はすべて、繊維がまっすぐなままで、ねじれたりゆがんだりすると、いわゆる罫線状のゆがんだ面を作り出す。これらの反った曲面が幾何学的に研究されるようになったのは18世紀末のことであり(主にガスパール・モンジュによって)、ヘリコイド、双曲放物面、双曲放物面、コノイドという難しい名前が付けられた。名前は難しいが、幾何学的な形は非常に理解しやすく、作りやすい」。

 

 

 

 

昔ながらの技術で新しいものを生み出す

その結果、ガウディは、特にラシージャと呼ばれる石や石積みのような利用可能な材料や地方の建築様式に照らして、文脈の中で、より具体的にこれらのフォームや形状に焦点を当て始めた。彼はさらに、カタルーニャ地方では、スリムなレンガは最も大きな面だけが見えるように敷き詰められ、しばしば1層か2層の厚さの表面を形成し、床、間仕切り、壁、またヴォールト(空間内でゆがんだ表面で、カタルーニャ語ではvoltes de maó de plaと呼ばれる)に使われることに気づいた。 「立方体、球体、プリズムをハイパーボロイド、ヘリコイド、コノイドに置き換え、花、水、岩などの自然の特徴で飾ることで、現在の幾何学を変えた。彼は幾何学という建築の基本を変え、芸術のあり方を完全に変えたのだ」 このような形は、サグラダ・ファミリアの内部、コロニア・グエルのエントランス、カサ・ミラの最上階など、彼の作品の至るところで見ることができる。多くの作品の中でも、これらの作品はこれまで見られなかったものであることを忘れてはならない。溶岩や溶けた生地を思わせる彫刻のような建築は、自然界とその複雑さを表している。 このような建築を構想し、建設するために、ガウディは「近代的な建築の発明、鉄筋コンクリート、巨大な鉄骨構造などの新素材さえ利用することはなかった。これらの新素材を使えば、新しい形が制作可能なのはある程度想像がつくだろうが、昔ながらの技術で新しいものを生み出すというのは、まさに天才としか言いようがない」。

 

 

 ガウディには物事を正しく把握する力があり、自らの技術を細部まで理解していた。 「彼の放物線と超ボロイドは、巨大な傾斜柱、丸天井、および他の構造を決める際に重要な要素となった。より絶対的な安定と細く美しい印象の両方を同時に実現させるために、ガウディは、2つのヘリコイド柱によって形成された二重ねじれとしてすべての分岐柱を設計した。彼は、1対1/2、1対2/3、1対3/4...などのように、最大寸法の12分の1に基づく単純な比率を繰り返し使用し、寺院のあらゆる部分の幅、長さ、高さの比率を提供している。例えば、神殿の全長(90メートル)を12で割ると、7.5メートルとなる」。 だが、ガウディの作品は、その美しく多彩な装飾がなければ、これほど多くの人々を魅了することはなかっただろう。しかし、ガウディ自身は、同じように自然からのインスピレーションを凝らした装飾的な要素は、構造的なものに付随するものであり、従属するものであると考えていた。 実際にサグラダ・ファミリアが体現している通り、ゴシック聖堂を改造するという彼の全アイデアは、その豊かな自然の装飾がなければ全く違った捉え方をされたかもしれない。しかし、構造的な部分と装飾的な部分のどちらにガウディが重きを置いたにせよ、ガウディの作品は、この2つを区別のつかない1つにする傾向がある。 「ガウディ・オール・ガウディ」と名付けられたオンライン・ブログの中で、そのブログの筆者は次のように書いている。「当時最も簡単な仕上げ材であったローマ煉瓦を巧みに用いたカタルーニャの丸天井にガウディは衝撃を受けた。そしてその影響を受けたガウディの平面における完全な熟度と母線の知識は、適切な軸に沿ったセラミックタイルの配置を可能にしてしまった。こうしてセラミックの色と、目地の開口部の緑色と金色のガラスとが相まり、彼は大聖堂で見たこともないような花のようなヴォールトを実現したのである」。 そして、ローはさらにこう締めくくる。 「その有機的な形や模様は、構造的な可能性だけでなく、無数の装飾的な特徴をもたらした。その意味で、技術者であれ、通行人であれ、建築家であれ、芸術家であれ、ガウディの作品は、解明し、解き明かすべき要素に満ちている。ますます都市化する世界においてもその価値を持つ、洗練された自然界の鏡だ。サグラダ・ファミリアを最初に見るのに、何の準備もいらない。グランドキャニオンを目前にした時に近しい畏怖と驚愕、それだけだ」

Forbes JAPAN 編集部

  •  

 

 

【関連記事】