今でも不思議に感じる。
高校三年の大学受験の最中に
「道元」と「バートランド・ラッセル」の「追っかけ、マニア」になった。
バートランド・ラッセルは青年時代敬虔なクリスチャンであり、
ヘーゲル哲学で「神学大全」を築こうとしていた。
しかし、キリスト教を捨てて「無神論」になった。
「キリスト教」は「信じないと、地獄に堕ちるぞ!」と脅迫して、
教会に導いている。
だから「キリスト教」を、捨てた。
他方、
「仏教」は「慈悲の教え」であるから、むしろこちらの方が良い。
と、教えていた。
だから、聖書を読もうとしてこなかった。
これによって、キリスト教は、丸飲みではなく、批判的に読む習慣が付いた。
会社員になってから、1973年に、
田川建三による『マルコ福音書』に出会った時、全く白紙の状態で、
予備知識なく読んで行った。
熱中する暴走するとはならず、常にブレーキをかけながら読んだ。
それが、10年後、洗礼を受けて、クリスチャンに成るとは…
バートランドラッセルに、申し訳ない、
ではなくて、…無関心から、関心を持つ者に、変わっていた。
彼のお陰である。
不思議に感じる。
松下正寿「バートランド・ラッセルの宗教観」 (russell-j.com)
『
バートランド・ラッセルは無神論者であると言われている。
一九二七年出版された彼の講演
「なぜ私はキリスト教徒でないか(Why I am not a Christian?)」その他、
彼の宗教論を読むと当然無神論者という結論がでてくる。
ラッセルは教会の歴史的過誤を痛烈に非難するだけではなく、
教会の基本的教義に挑戦する。
またラッセルは宗教の定義を「自分自身を楽しくする目的をもって、
ナンセンスの集合を信じようとする欲求」であると放言している。
ところで彼自身が自分をどう思っていたかというに
彼は「私が無神論者であるか、不可知論者であるか、私は確かではない。
だから時としては前者になり、時としては後者になる」と言っている。
』