葬式仏教!

なぜ昭和天皇は遺骨を収集したか?

平成の天皇も!

 

中国人は、

「死者」は、死後も、

見えないけれども「この世」で生きていると、考える。

だから、長男は、この死者のために、食事を与える必要がある。

また、お金で困るから、「お札」を燃やして、送り届ける。

 

この「死者」は、3つ、

「空中の霊魂」「地中の白骨」「霊廟の位牌」である。

この3つは、生きている「本人」そのものである。

ここで、

朝鮮民族は、李氏「朝鮮」王朝、五百年の「儒教」であるから、誤解して、

「靖国神社」に「自分の肉親・親族の位牌」を祭っている、と信じている。

だから「取り下げ訴訟の裁判」を必死に行っている。

 

日本では、

天皇の命令で戦争で亡くなった者は「合祀」されて、

「一柱」の、「英霊」という「神様」に成る。

つまり、一人ひとりの「故人」ではない。

だから「位牌」は存在しなく、「名簿があるだけ」である。

 

昭和の時代、平成の時代は、このため。

「白骨を本人と考える思い」が強くあった。

だから、

戦後処理の重要な要素として、

「遺骨収集」「慰霊の旅」が重要であった。

 

21世紀も1/4が過ぎ、

樹木葬、自然葬、家族のみの密葬、お別れの会、・・・

「死者」への考え方は変わった。

 

そもそも、日本では

「お札」を燃やして、死者に送るなってしない。

「死者」は、「ご先祖様という神様」だから「買い物」は不要である。

 

 

〇 〇 〇

 

「米国」「英国」・・・では、

「死者」は「たましい」「霊魂」であって、

天国に行って、そこで生きている。

「肉体」には「死者」はいない。

ましてや「白骨」を「死者」本人とは、考えない。

 

神ヤハウェは、「塵」を集めて、「肉体」を造り、

それに「霊魂」を吹き込んだ。

 

ただ、

「最後の審判」が到来した時に、

復活するために、「蘇りの為の、肉体」が必要である

だから、火葬にせずに「肉体そのもの」を「地下に埋葬して」いる。

 

つまり

「白骨」だけを、(「死者」本人だと思って)収集することはしない。

太平洋のジャングルに、「遺骨」収集のために、行かない。

 

「死者・観」は変化している。

「令和の天皇陛下」は、アジア太平洋戦争の遺骨収集は、必要ないと思う。

戦死者も解って下さると思う。

どこかで「区切り」が必要である。