昔、昔、のお話

 

ある村で「大聖堂」を建てていた。

 

カンカン照りの太陽の下、汗びっしょりの「石工」に質問しました、

「何のために、石をせっせと刻んでいるのか?」

 

ひとりの石工が答えました。

「生きていくために。パンを買うために、働いているのさ。

嫁さんと可愛い子供たちを、俺は、しっかり守って養うのだ。」

 

もう一人にも、聞きました。

「俺は、世界一の石工の名人さ。

俺のマリア様を見て、何百年も素晴らしいと、みんなに褒めてもらいたい」

 

更に、もう一人にも・・・

「俺はもう年寄りだ。昔のように力が入らなく、下手になってしまった。

しかし、ただただ、神様の為に、残りの人生を捧げたい。

それが、最後の自分の願いだ。」

 

まあ、以上は、うろ覚えですが・・・

 

さて、

自分ならば、どう答えるだろうか?

 

俺は、何のために、生きているのだろうか?

 

 

 

カテドラル: 

最も美しい大聖堂のできあがるまで

1979/3/9 デビッド・マコーレイ(著), 

David Macaulay (原名), 飯田 喜四郎 (翻訳)

 

==或る書評より

本書の大聖堂(仮にシュトロー大聖堂とよびます)の薔薇窓が

時代があわないという点について、友人から有用な示唆をもらいましたのでご報告します。

シュトロー大聖堂の正面は1288年に完成したアミアン大聖堂そっくりだ、

ということです。アミアン大聖堂の薔薇窓はフランボワイヤン様式です。

著者デビッド・マコーレイ氏はアミアン大聖堂の正面を、

そのままシュトロー大聖堂に移し替えたのに違いないと。

では、なぜ1288年に完成したアミアン大聖堂の薔薇窓が、

時代的にもあり得ない様式なのか。

これは16世紀に起きた火事、嵐と近くの製粉場の爆発で薔薇窓がダメージを受け、

新しくフランボワイヤン様式のものに変えられたのだとか。納得です。

このような例は珍しくないようで(アミアンと同時期に着工したボーヴェ大聖堂とか)、

他にもダメージを受けやすい尖塔部は様式の混在が認められるようです。

最近炎上したパリのノートルダム大聖堂の尖塔も19世紀のものでした。

なお、カラー版のCATHEDRALでは薔薇窓がレイヨナン様式に改められていますが、

アミアン大聖堂の歴史的経過をみれば、

現代のシュトロー大聖堂(この絵が表紙になっている)では

フランボワイヤン様式の薔薇窓をはめてみるのも、また一興だったかもしれません。