「仏教の本質」は、
「3つの法印」によって、明確である。
「諸行、無常」「諸法、無我」
これの理由は「縁起生」であるから。
これが理解できると
自動的に「涅槃、つまり寂静」となる!
これが、「釈尊の教え」である。
これから外れると「非・仏教」である。
非常にシンプルなのである!
〇 〇 〇 〇
そもそも、
「インド大陸」において、
小乗仏教の「説一切有部」の内部から、
「非仏教」である「大乗仏教」が興って来て、
「非仏教」に「変質した」からこそ、
ヒンデゥー教を大々的に取り込み「インド密教」となった。
結局は、インド土着信仰「ヒンドゥー教」に飲み込まれ消滅!
中国仏教も、最終的に「中国禅」に!
「教外別伝、不立文字」で「釈尊のお経」を否定した。
結局は、中国人の土着信仰「老荘思想」「道教」になってしまった。
儒教の「朱子学」も
中身は、道教の「陰陽五行説」であり、
「儒教の専門用語」を用いて、説明したものである。
だから、栄西禅師や道元が渡った「宋王朝」では、
儒教・道教・仏教の「三教一致」説になってしまった。
だから、道元は「原始仏教」の立場から、痛烈に批判した。
日本仏教も、所謂「葬式仏教」つまり、
日本人古来の「ご先祖様信仰」になってしまった。
著者「ジャン=ノエル・ロベール」は、
この「一番肝心のこと」が、理解できていない!
中国経由で伝来・進化した日本仏教は「ガラ仏」だ! しかし、そこにこそ「仏教の本質」が見えている。(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース
中国経由で伝来・進化した日本仏教は「ガラ仏」だ! しかし、そこにこそ「仏教の本質」が見えている。
配信
日本のお葬式や法事で耳にする「お経」が、チンプンカンプンでまったく意味が分からないのはなぜだろうか?
「仏教」とは、本来そういうものなのだろうか――。日本人が知っているのは、「仏教」のほんの一部分にすぎないことを教えてくれるのが、講談社選書メチエの新刊
『仏教の歴史 いかにして世界宗教となったか』
(ジャン=ノエル・ロベール著、今枝由郎訳)だ。 【写真】仏教の歴史
「日本のアショーカ王」は誰か?
奈良、東大寺の盧舎那大仏と如意輪観音。photo/istock
本書によれば、
中国・朝鮮やチベットはもちろん、東南アジアやヨーロッパでも
まったく違う姿を見せることこそが、仏教の大きな特質だ。
〈仏教について何かを語るときには、それがどの時代の、どの国の、さらにはどの宗派のことなのかを限定する必要がある。(中略)
仏教は多様性を含んだ宗教であり、ある事柄に関して〔仏教ではこうであると〕決定的に断言することが非常に難しい。〉(『仏教の歴史』p.27)
そのなかで、「日本仏教」はどう位置づけられるのだろうか。日本の天台宗の研究で国際的に高く評価されるロベール氏は、日本仏教について多くのページを割いている。
550年頃に百済から公式に日本に伝来した仏教は、聖徳太子(574-622年)の働きによって本格的な発展を始めた。 〈十七条憲法は仏教を国教として宣明したものと見なされるが、実際にはこの中には仏教的要素以上に儒教的要素が含まれている。しかしながら日本史においては、聖徳太子は仏教を保護した治世者として、日本のアショーカ王的存在として記憶されている。〉(同書p.110)
その後、奈良時代の東大寺・唐招提寺など「南都仏教」の発展、平安時代の天台宗・真言宗の誕生を経て、鎌倉時代には新たな動きが起こる。日本の教科書で「鎌倉新仏教」と呼ばれる浄土系宗派や禅宗の創始だ。
〈こうした潮流の全てに共通しているのは、膨大な大蔵経に説かれている極めて複雑な教義、実践、儀式の抜本的単純化である。実際のところ、大蔵経全体を読んだと自慢できるのはほんの一握りの僧だけである。民衆、貴族、武士に自らが実際に、そして有効的に仏教を実践しているという気持ちを抱かせたことが、こうした単純化された教えが、さまざまな階級に受け入れられ、普及した理由である。〉(同書p.115)
そして、江戸時代の一種の国教化、明治時代の〈中国の文化大革命にも匹敵する徹底的な排斥〉(同書p.116)
すなわち「廃仏毀釈運動」が吹き荒れた後――
〈終戦と共に、神道はそれまでの地位から失墜したが、仏教が返り咲くことはなかった。
ここで出現したのは、「新興宗教」と呼ばれるかなり独自な現象である。その中では、
日蓮を祖と仰ぎ、『法華経』を崇拝する在家宗教が数多く見られる(創価学会、立正佼成会など)。
しかし一層革新的な運動もあり、伝統を無視して、
外国─―中には西洋もある─―の仏教を直接導入したりする、
正直なところ軌を逸したと言えるものもある。
こうした中で、もっとも過激な集団であるオウム真理教による
1995年春の東京メトロでの襲撃事件は記憶に新しい。〉(『仏教の歴史』p.116)
日本仏教が「偏食」になった理由
一神教では、同じ宗教の信者間に連帯や友愛の感情が生じるが、仏教徒には「すべての仏教徒」を代表して語る人や、中心的組織が存在しない。
ダライ・ラマでさえ、〈その宗教的権威は自らがその長である宗派の域を越えるものではない。〉(同書p.26)という。
日本仏教ももちろん、御多分に洩れない状況にある。
〈仏教が最も深く浸透した極東の一つの国である日本の例を取ってみよう。
仏教には数多くの宗派があり、
全仏教界を統一しようとする試みはあるものの、
近代社会が直面する大きな道徳的問題に対して、
仏教を代表して一つの立場で見解を述べることができないし、
その必要性すら感じていないのが現実である。〉(同書p.26)
(注:「日本教=葬式仏教」である。現在も、変わらない!)
そうした日本仏教の歴史と現状については、
訳者の今枝由郎氏が巻末で解説してくれている。
なお、今枝氏はチベット歴史文献学の第一人者で、
フランス、ブータンで長く研究に携わり、
2023年、第57回仏教伝道文化賞を受賞している。
以下、今枝氏の解説によると―― インドから各地に伝播した仏教は、大別すると、スリランカ、東南アジアに伝わったテーラワーダ系(南伝仏教)と、中央アジア、チベット、中国、日本へと伝わった大乗系(北伝仏教)の二系列があり、さらに大乗系は、大きくチベット系と中国系の二つに分けることができる。
このうち、テーラワーダ系仏教ではすべての経典が
大蔵経として一まとまりで伝承され、
スリランカ、ミャンマー、タイをはじめ
すべての国に共有されている。
(注:「原始仏教」は、6世紀には「漢訳」され、
『阿含経』相応部などになり、
道元は、この「原始仏教」を「正伝の仏法」と呼び、
日本で「新しい宗派」として布教しようとした。
朝廷に『護国正法義』を奏聞したが、却下されてしまった!)
文字は国ごとに変わるが、言語的には古典語であるパーリ語のままで伝承され、
注釈書や僧侶による法話は現地の言葉が用いられる。
また、チベット系は、八世紀後半にチベットが仏教を国教として取り入れ、国家の一大事業として、当時インドで入手できた大乗仏教経典がすべて数十年の間に組織的にチベット語に翻訳されたという。
こうしてテーラワーダ系仏教とチベット系仏教は、その教義、修行体系は大きく異なっているものの、各々が一つのまとまった大蔵経を共有しており、本来の僧侶の集団も存続し、仏教本来の姿が見失われていない。
ところが中国系仏教では、仏教経典全体が一まとまりとして翻訳されることはなかった。インド、中央アジアの僧侶が、自らが精通しているいくつかの経典を単発的に中国語に翻訳してきたのである。
〈こうした翻訳活動が数世紀に及び、結果的には膨大な経典が訳出されたが、けっして整然と組織的に行われたわけではなかった。いってみれば、仏教はアラカルト的に単品ごとにしか紹介されることはなく、仏教全体がセットメニューとして提供されることはなかった。
すなわち中国人僧各人は、大蔵経全体からすれば
ごく一部の経典だけに基づいて仏教を理解する、
いわば「偏食」することになったわけである。〉(同書「訳者解説」p.168-167)
(注:「中国天台宗」は、
「五時教判」説で、膨大な経を「総合・体系化」した。
更に、
「日本天台宗」の「最澄」は、これに
「新仏教」である「中国禅」と「インド密教」とを追加して、
再度、「総合仏教」を、創り出していった。
そして、
道元は、比叡山「天台宗」で、
この大蔵経を、二度も読破して、
その成果である「正伝の仏法=原始仏教」を、再発見した。
だから「三十七品・菩提分法」の巻を執筆して、明確にしている。
それは、
原始仏教(小乗仏教)に於ける修行体系のこと
「分」とは、「支分」のことであり、
三十七覚支や三十七覚分などと呼ばれる。
涅槃の理想郷に入るために修行すべきことを分類して、
総じて三十七種が定められた。
一に四念処(身念処・受念処・心念処・法念処)。
二に四正断(断断・律儀断・随護断・修断)。
三に四神足(欲神足・精進神足・心神足・思惟神足)。
四には五根(信根・精進根・念根・定根・慧根)。
五には五力(信力・精進力・念力・定力・慧力)。
六には七覚支(択法覚支・精進覚支・喜覚支・軽安覚支・捨覚支・定覚支・念覚支)。
七には八正道(正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定)
の七科に分かれている。)
そして、中国仏教の延長線上にある日本仏教は、
この偏食――仏教用語で「専修(せんじゅ)」の傾向が一層高まったという。
日本の各宗派は、もっぱら特定の経典を専門に修め、しかも経典そのものは漢訳仏典のままで、
近代にいたるまで日本語に訳されることもなかった。
結果的に「お経」は一般信者にはチンプンカンプンになり、日本の仏教は「信仰」というよりは、
葬式、お彼岸といった「行事」「法要」
(注:つまり、日本人古来の「日本教」として、完成した。
「日本達磨宗」の「義介・禅師」と、その弟子「瑩山・禅師」が発明!)
としてのみ存在している感がある。
〈かつて日本の携帯電話は、国際標準仕様とは異なる進化を遂げたがゆえに、生物が南米大陸から西に離れた赤道直下のガラパゴス諸島において独自に進化したのになぞらえて、「ガラパゴス携帯電話」(略して「ガラ携」)と評された。これにならえば、アジア大陸の東の海に浮かぶ日本列島に孤立して、千五百年近くにわたって特異な進化をたどった日本仏教は「ガラパゴス仏教」すなわち「ガラ仏(ぶつ)」ということができるのではないだろうか。〉(同書「訳者解説」p.169-170)
しかし、だからといって、
日本仏教が「本来の仏教から逸脱した誤ったものであると一蹴することはできない」と今枝氏はいう。
ロベール氏が本書で述べているように、
〈多様な文化に対する並はずれた適応能力によって、
特異な豊かさを呈している〉(同書p.27)
のが仏教なのである。
※著者・ロベール氏の詳しい経歴については、〈日本研究国際賞を受賞したフランス屈指の東洋学者による〈世界レベル〉の仏教史入門、待望の日本語版。〉を、さらに、〈ユダヤ教・キリスト教・イスラム教との決定的な違いは何か? 「不世出の語学の天才」が解明した仏教の「計り知れない奥深さ」。〉もぜひお読みください。
学術文庫&選書メチエ編集部
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