誤解され続けたダーウィンの「進化」… 19世紀の世界観が生み出した「進化の呪い」(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース

 

 

誤解され続けたダーウィンの「進化」… 19世紀の世界観が生み出した「進化の呪い」

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 ダーウィンを祖とする進化学は、ゲノム科学の進歩と相まって、生物とその進化の理解に多大な貢献をした。

 

  【写真】ヒトラーとナチスによる残虐行為の正当化に利用された「ダーウィンの呪い」

 

 一方で、ダーウィンが提唱した「進化論」は自然科学に革命を起こすにとどまらず、政治・経済・文化・社会・思想に多大な影響をもたらした。  発売からたちまち4刷となった、話題の『ダーウィンの呪い』では、稀代の書き手として注目される千葉聡氏が、進化論が生み出した「迷宮」の謎に挑む。  本記事では〈意外と知らないダーウィンが言った「進化」の本当の意味…「進化」という語を最初に使ったのはダーウィンではなかった「驚きの事実」〉にひきつづき、ダーウィンが『種の起源』を書いた以前から使われていた「進化」という語の意味や、19世紀の世界観が生み出した「進化の呪い」についてくわしくみていく。  ※本記事は千葉聡『ダーウィンの呪い』から抜粋・編集したものです。

『種の起源』以前のエヴォリューション

 19世紀前半には、エヴォリューションは内的な力によって生起する一定の方向に向けた時間的変化や、単純なものから複雑なものへと発達、発展する現象を広く表現する言葉として使われるようになっていた。  1844年に匿名で出版されたロバート・チェンバースの『Vestiges of the Natural History of Creation』は、神の摂理である自然法則のもと、太陽系が形成され、既存の種から新しい種が生まれ変遷して、人間に至る、と主張した。  ラマルクもチェンバースもエヴォリューションという語は使わなかったものの、地球上の生命の発展は、あらかじめ決められた目標に向けた首尾一貫した計画の展開であると考えていた点で一致していた。  こうした生物の進歩的な変化の考えは、すでに19世紀前半には英国社会でかなりの程度まで受け入れられていた。ダーウィンが『種の起源』で進化の考えを提唱する以前に、エヴォリューションは、様々な現象の発展、発達、進歩や、一つの目標に向かう変化を意味する語として使用されていたのである。  この由緒正しい意味でエヴォリューションの語を使い、宇宙の発達、生物の複雑・多様化、人間と精神の発達、社会の発展・進歩を、自然法則として統一的に説明しようとしたのが、ハーバート・スペンサーである。  彼の著書『First Principles』が出版され、世間の評判を得るのは1862年だが、1850年代にはすでにその構想を完成させ、一部を発表している。スペンサーが生物のエヴォリューションを駆動する力として重視したのは、ラマルクの考えである獲得形質の遺伝を主とする内的な力だった。  1864年に出版された『生物学原理』(The Principles of Biology)で、適応の要因として獲得形質の遺伝とともに、自然選択を一部だけ取り入れたが、それが適用できる性質の範囲は限られる、と考えていた。  ダーウィンのトランスミューテーションは、このような自然界の秩序ある発展、つまりエヴォリューションを否定するものだったのである。エヴォリューションの語をダーウィンが使わなかったのは、彼が着想したトランスミューテーションが、当時広く使われていたエヴォリューションとはまったく異質なものだと認識していたからだ、と言われている。方向がどのようにも変わりうる生物の変化、目的のない変化というダーウィンの基本的な考えは、革新的なものであったのだ。  その生命史のイメージは、単純な形から出発した生物が、あらゆる方向に枝分かれしながら無目的に変化する結果、時間の経過とともに人間を含む果てしない多様性が生まれていく、というものだった。『種の起源』の末尾は、動詞形ながら本中で唯一の、進化する、という言葉を使い、こう締めくくられている。  「こんな壮大な生命観がある──生命は、最初一つか少数の形のものに吹き込まれた。そしてこの惑星が重力の法則に従い回転している間に、非常に単純な始まりから、最も美しく、最も素晴らしい無限の姿へと、今もなお、進化しているのである」  ダーウィンは、秩序ある発展ではなく、果てしなく広がり、あらゆる方向に変わり続ける命の、あてのない旅を、目標なき「展開」の意味で進化する、と描写したのだろう。

 

 

 

 

 

ダーウィンの揺らぎ

 だが、ダーウィンが方向性のない進化にこだわり、進化を進歩と見る考えを常に拒否していたかというとそうでもない。ダーウィンの記述にはぶれが見られる。  たとえば『種の起源』で、自然選択により「すべての身体的、精神的資質は完全に向かって進歩する傾向がある」と記している。また前述の結語の直前には、「こうして、自然の戦争、飢饉、死から、私たちが想像しうる最も高貴な対象、すなわち高等動物の創出が直接もたらされるのである」と書かれている。  ダーウィンは、のちに獲得形質の遺伝の考えも大幅に取り入れ、方向性のない変化の主張も後退させていった。それに合わせるかのように、エヴォリューションという語を使用するようになった。  歴史家のピーター・J・ボウラーは、生物学者としてのダーウィンは進化を方向性のないものと認識していたが、社会哲学者としてのダーウィンは進化を進歩の意味で説明した、と述べている。自説が社会に受け入れられるには、19世紀英国社会の進歩主義に貢献できるものでなければならない、と考えていたためだという。自然選択説という自説の核を守るため、それに付随するはずの進化の無方向性を犠牲にしたというのである。ただし、ダーウィンは部分的には進化を発達や進歩と見ていたと指摘する研究者もいる(*1)。  いずれにせよ、方向性のない進化というダーウィンの革新的なアイデアは、ダーウィン自身がのちに封印してそれほど強く訴えなかったこともあり、当時は社会的にもあまり意識されなかった。だからダーウィン進化論が、当時の社会の進歩観に衝撃を与えたわけでも、それと対立したわけでもない。それどころか社会はそれを進歩主義の推進力に利用したし、ダーウィンもそれを利用した。  その結果、ダーウィンのトランスミューテーションとエヴォリューションは同義となった。  20世紀半ば以降、自然選択を中心に据えた進化の総合説が広く定着し、改めて生物進化が当初のダーウィンの主張通り、方向性のない変化の意味で理解されるようになったときには、生物学者はみなそれを本来違う意味だったはずのエヴォリューションの語で呼ぶようになっていたわけである。  *  (*1)例えば、体サイズのより大きな変異が自然選択に有利な環境が一定期間続けば、大型化という一方向的な変化がその期間に限り生じるので、その期間だけ抽出して、生じた変化に進歩という概念を当てはめれば、進歩と表現できる。

 

 

 

 

 

19世紀の世界観が生み出した「進化の呪い」

写真:現代ビジネス

 現在でも生物学以外の世界では、

自然現象、事物、社会の発展や発達、進歩の意味を表す語として、

エヴォリューション──進化が使われているが、

生物学者の中にはそれを誤用だと指摘し、批判する者がいる

 

 

  しかし歴史的な経緯を考えればそちらが本来の意味に近く、生物学での意味が異端なのである。生クリームが入っていないカルボナーラなんて偽物だとイタリアで主張するようなものである。

 

  天文学者のエドワード・ハリソンは逆にそうした生物学者を批判し、こう述べている。

「生物学者はエヴォリューションという言葉を捨てて、その言葉を、

本来の(一方向への)“展開”という適切な意味で使っている天文学者に任せるべきだ」。

 

 

  ただ、逆に言えば、本来の意味、とは、19世紀の西欧社会の世界観を色濃く残す意味、とも言える。

 

ボウラーを始め多くの歴史家は、「ダーウィニズム」は19世紀後半において、ほとんど必然的に進歩主義的な意味を持つものであり、中産階級の競争による権力獲得を正当化する思想と合流した、と指摘している。  つまり「進歩せよ」を意味する「進化の呪い」は、生物の変遷も人間社会の発展も、それが神の摂理であれ自然法則であれ、共通の法則に従うひとくくりの進歩として捉えられた、19世紀欧米社会の世界観であると言ってよい。

 

  その世界観は、恐らくはギリシャ時代に端を発し、キリスト教の終末論的概念を負の推進力として強化され、啓蒙時代の英国を覆っていた、進歩史観に由来するものだ。進歩のために、自助努力を重視し競争を許す思想は、プロテスタントの労働倫理が影響したものであろう。

 

 

  「進化の呪い」は生物学の原理を社会に当てはめて生まれたものではない。

初めから自然、生物、社会をあまねく支配し、進歩を善とする価値観として存在していたものである。

 

  そして当初のダーウィンの意志が

生物の進歩を否定するものだったにもかかわらず、

社会も人も進歩すべきであるという規範と、

人々の競争とその結果を正当化するために、

神の摂理をダーウィンの名に置き換えて生まれたのが、

ダーウィンの呪い」──「ダーウィンの進化論によれば……」だったのである。

 

 

  神の教えに代わり、人々に教えの正しさ、規範の重要さを認めさせる

「託宣」、あるいは「ブランド」とも言えるだろう。

 

  現代の生物学では「エヴォリューション──進化」を発生や変態はもちろん、進歩の意味では使わない。

プロセスに合目的な要素を前提としないうえに、進歩には科学と峻別すべき価値観が含まれるからである。  仮に進歩から価値を切り離せるとしても、スティーヴン・ジェイ・グールドの言葉を借りれば、「自然選択理論の必要最小限な仕組みは、局所的に変化する環境への適応についてしか語らないので、進歩の根拠を与えない」のである。  だが、実は生物学者の間でさえ、この「生物進化は進歩ではない」という理解が広く定着するまでには、総合説の成立以降も紆余曲折の道のりがあった。  そこで本書では進歩か否かにかかわらず、「進化」を単に遺伝する性質の世代を超えた変化の意味で使用する。ときに進歩を含意する語としてそれを用いる場合があるが、そこは歴史的な経緯を踏まえた事情ゆえと、許容していただきたい。 ---------- ----------

千葉 聡(東北大学教授)

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