瑩山禅師「日本達磨宗」に則る・壮絶な「鈴木格禅」師の
『正法眼蔵』「行持の巻」の「5日間・連続の・提唱」によって、
私は、そこから、疑問を抱き、そこから離れて、別の道「転換」を開始した!
その意味では、大切な「恩師」である。本当に誠実な人であった。
1999年5月1日から、5日間の提唱が、最後になりました。
癌であり、「余命の診断は、前年1998年秋」であり、
それを既に過ぎての提唱でした。
恥も外聞もない、
涙を流し、鼻水を流し、唾を飛ばす、
「絶唱」そのものの、文字通り「最後の訴え」であった。
それが目の前で、間近で、そして、200名ぐらいも前にして…
今だから、解るが、
それは、正統な、瑩山・禅師の「日本達磨宗」の教えだった。
・・・、そして「中国禅」「老荘思想」に通じるものでもある。
その最終日は、5月5日であり、
車椅子に坐ったまま、玄関口で、みなと「今生の別れ」をなさっていました。
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鈴木格禅(すずき かくぜん、1926年10月20日 - 1999年8月19日)は、日本の仏教学者。
第二次大戦中東京陸軍航空学校をへて陸軍航空隊に入隊。
戦後、会社勤めをへて労働学校に学び、静岡県の禅寺の小僧となり澤木興道に出会う。
1948年駒澤大学専門部仏教科に入り、1953年駒澤大学仏教学部卒、
同大竹友寮の寮監となるが、1972年免職[3]。
駒澤大学仏教学部教授、同大学禅研究所所長。
1997年定年退職、名誉教授。
KJ00005120972.pdf (komazawa-u.ac.jp)