瑩山禅師「日本達磨宗」に則る・壮絶な「鈴木格禅」師の

『正法眼蔵』「行持の巻」の「5日間・連続の・提唱」によって、

私は、そこから、疑問を抱き、そこから離れて、別の道「転換」を開始した!

 

その意味では、大切な「恩師」である。本当に誠実な人であった。

 

 

鈴木格禅 - Wikipedia

 

1999年5月1日から、5日間の提唱が、最後になりました。

癌であり、「余命の診断は、前年1998年秋」であり、

それを既に過ぎての提唱でした。

 

恥も外聞もない、

涙を流し、鼻水を流し、唾を飛ばす、

「絶唱」そのものの、文字通り「最後の訴え」であった。

それが目の前で、間近で、そして、200名ぐらいも前にして…

 

今だから、解るが、

それは、正統な、瑩山・禅師の「日本達磨宗」の教えだった。

・・・、そして「中国禅」「老荘思想」に通じるものでもある。

 

その最終日は、5月5日であり、

車椅子に坐ったまま、玄関口で、みなと「今生の別れ」をなさっていました。

 

 

 

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

鈴木格禅(すずき かくぜん、1926年10月20日 - 1999年8月19日)は、日本仏教学者

 澤木興道に師事した。愛知県生まれ。

 

第二次大戦中東京陸軍航空学校をへて陸軍航空隊に入隊。

戦後、会社勤めをへて労働学校に学び、静岡県の禅寺の小僧となり澤木興道に出会う。

1948年駒澤大学専門部仏教科に入り、1953年駒澤大学仏教学部卒、

同大竹友寮の寮監となるが、1972年免職[3]

駒澤大学仏教学部教授、同大学禅研究所所長。

1997年定年退職、名誉教授。

永平寺 眼蔵会講師のほか、坐禅会講師として外国へも赴いた。

 

KJ00005120972.pdf (komazawa-u.ac.jp)