イエスは仏教徒だった?…全共闘にまで影響を与えた大論争「なぜその言説は仏陀の教えとされるものにこんなに近いのだろう」(集英社オンライン) - Yahoo!ニュース

 

 

イエスは仏教徒だった?…全共闘にまで影響を与えた大論争「なぜその言説は仏陀の教えとされるものにこんなに近いのだろう」

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集英社オンライン

宗教と不条理 信仰心はなぜ暴走するのか #3

「イエスが仏教徒だった可能性」に言及

古代ローマ史研究の大家と国際事情に精通した神学者が、宗教に関する謎について徹底討論した書籍『宗教と不条理 信仰心はなぜ暴走するのか』。 

 

【壁画】アレクサンドロス大王

 

本記事では、その中から「イエスが仏教徒だった可能性」に言及した章を一部抜粋・再構成して紹介。

一見するとトンデモない話だが、実はそうでもないらしい。1970年代の全共闘にも影響を与えたという説を検証する。

イエスは仏教徒だった?

本村 最初にお話ししたとおり、現代人の多くが当たり前だと思っている近代的な価値観は、人類にとって決して普遍的なものではありません。実際、さまざまな宗教が、近代合理主義や啓蒙主義とは相容れない教義や習慣を失うことなく、現代も生き続けています。 佐藤さんがご指摘されたとおり、宗教をベースとしたロシアと西側諸国の「価値観戦争」も、キリスト教を抜きに理解することはできません。 だからこそ日本人もキリスト教や一神教について知る必要があるわけですが、そこでぜひ取り上げておきたい本があるんですよ。

 

『イエスは仏教徒だった?~大いなる仮説とその検証』

(エルマー・R・グルーバー、ホルガー・ケルステン/岩坂彰訳/同朋舎)です。

 

 邦題がやや怪しげなので眉に唾つけて見る人もいるでしょうけれど、西洋と東洋の宗教的なつながりを考える上で非常に面白い本だと思います。

 

 佐藤

 

 ドイツ語の原題は『DERUR-JESUS』、英語だと「オリジナル・ジーザス」ですから、日本語なら「原イエス」もしくは「イエスの原点」といったような意味合いですね。

 

 本村

 

 僕も含めて、キリスト教と仏教に何か関係がありそうだと聞くと、なんとなく腑に落ちる日本人は多いと思うんですよ。実際、僕がこの本をトンカツ屋で読んでいたら、帰り際にレジの女の子がおずおずと「その本、面白いですか?」と聞いてきました(笑)。「そのテーマに興味があるんです」と。

 

 佐藤

 

 たしかに、「わが意を得たり」と感じる日本人は多いでしょうね。

 

 本村

 

 たとえば新約聖書のマタイ伝には「汝の敵を愛せよ」というイエスの言葉があります。でも、しょっちゅう戦争をしているキリスト教圏の様子を見ていると、日本人は釈然としないわけです。 むしろ、その言葉に仏教的な雰囲気を感じる人は多いでしょう。もちろん仏教徒だって戦争やテロをやるわけですが、「原罪」に象徴されるようなキリスト教の厳しさとイエスの「慈愛」のあいだに、なんとなく違和感を抱くんですよ。 そこでこの本を読むと、もちろん「イエスは仏教徒だった」とまで言い切る気にはなりませんが、イエスが仏教的な考え方に触れていたとしてもおかしくはないと思えるんですよね。実際、触れることは可能だったわけです。

 

 佐藤

 

 古代インドから西側まで、仏教が伝わっていたということですね。 本村 そうです。紀元前3世紀に、マウリヤ朝のアショーカ王が大勢の使節を派遣していました。アショーカ王は、カリンガ国を征服することでインドをほぼ統一しましたが、その戦争は数十万人の犠牲者を出した。それを深く後悔した彼は、武力征服政策を放棄して、仏教のダルマ(法)に基づく政治を行うことを決意したんですね。そして、自分の考えを広めるために、各地に碑文を刻ませました。 佐藤 いわゆる「アショーカ王法勅」ですね。 本村 そうです。その法勅には、過去の自分がいかにひどい為政者だったかということも書かれているんですが、これは世界史の中でも稀なことだと言われているんですね。為政者が自らの行為を悔やんでいることを宣言したわけですから。 佐藤 少なくとも現代の日本ではお目にかかったことがありませんね(笑)。

 

 

 

 

イエスが仏陀の教えを知った可能性

本村

 

 さらに、「いかなる生き物にも害を加えない」として、宮廷では肉食をほとんど排除し、ある種の動物を殺したり去勢したりすることを禁じたりもしています。 そうやって仏陀の教えを国内に周知するだけではなく、アショーカ王はダルマを世界に普及させる使節を西方や南方に送りました。それも10人や20人ではありません。何百人もの使節を派遣したんですね。 その使節たちが、エジプトのアレクサンドリアまで行っていることはわかっています。ですから、イエスが仏陀の教えを知った可能性は十分にあるんです。

 

 

 佐藤

 

 私から見ると、『イエスは仏教徒だった?』という本の考え方は、

1960年代の終わりから1970年代にかけて全共闘運動にも影響を与えた

荒井献さんや田川建三さん、滝沢克己さんといった神学者たちの考え方と非常に近いんです。

 

 とくに滝沢克己さんは、不可分・不可同・不可逆の原点論という形で、

「原イエス」と親鸞などの仏教思想を結びつけようとしました。

だから滝沢克己さんの本は、

キリスト教系の出版社からはほとんど出ていません。

主に法蔵館から出ていましたね。

 

 本村

 

 そうでしたね。僕が大学生か大学院生ぐらいの時代です。

 

 佐藤

 

 いまはほとんど忘れ去られていますが、

滝沢克己さんや田川建三さんはその時期にキリスト教界隈ではすごい影響を持っていたんですよ。

 

 本村

 

 どうして全共闘に影響を与えたんでしょう。

 

 佐藤

 

 当時はキリスト教がリベラルな宗教というイメージを持たれていたので、キリスト教の言葉を使いながら権力性を批判していたんでしょうね。新左翼が日本共産党を批判したのと類似的な構造かもしれません。あの時代は、東大の西洋古典学専修課程がすごく元気でしたよね。

 

 本村

 

 日本社会の封建性を払拭して近代化するために、民主主義を定着させなければいけないという大きな流れがありました。その中にキリスト教を位置づけようということで、優秀な学生たちが西洋古典学専修課程に行ったのかもしれませんね。

 

 

ギリシャ語を広めたアレクサンドロスの東方遠征

佐藤 話をアショーカ王の使節に戻しましょう。あの時代にペルシャ経由で西側にインドの思想が入るのは、まったく不思議ではありません。古代でも、情報のコミュニケーションはかなりありました。 本村 とくにヘレニズム時代はそうなんですよ。そのため、いろいろな宗教が混淆するシンクレティズムも起きました。その土台をつくったのは、やはりマケドニア王のアレクサンドロスです。 アレクサンドロスの東方遠征はとても有名ですね。マケドニア王として中心となり、ギリシャ人と連合しながら、彼はペルシャ帝国などの東方にある地域を征服しました。オリエントからアフガニスタン、インドの近くまで、広大な土地を帝国の支配下に置いたのです。

 

 佐藤

 

 しかしアレクサンドロスは、インドには入りませんでしたよね。なぜあそこで西に引き返しちゃったんですか。

 

 本村

 

 中央アジアからインドに向かって、インダス川を越えたあたりで部下に反対されたんですよね。ガンジス川のほうが豊かだという情報は入っていたんですが、兵士たちがもうついてこなかった。アレクサンドロスが「反対しているのはほんの一部のやつらだけだろう」と将校を怒鳴りつけたけど、兵士たちも怒り出したという伝説が残っています。それで彼も、これ以上は先に行けないと悟りました。 しかしアレクサンドロスが広い範囲に遠征したことで、ギリシャ語を介した情報が各地に行き届きました。アショーカ王の碑文が書かれたのはアレクサンドロスの東方遠征から80年後ぐらいですが、現地語とギリシャ語の両方で書いてあります。 それが、いまのアフガニスタンあたりにも残っている。そのあたりまでギリシャ語が通用するようになっていたということです。ちなみにギリシャ語とアラム語の2言語で書かれたものもあるんですよね。 佐藤 それによって、アラム語の解読が進んだんですよね。

 

 

 本村

 

 そうです。ギリシャ語の対訳つきということですから。ギリシャ語はラテン語と違って冠詞があるおかげで、

言葉の意味をきちんと定義できます。

それもあって、ロジックが曖昧にならず、正確なコミュニケーションができる。

そういう言語が広まったことで、人や文化の交流が大きく進展しました。

 シンクレティズムも、そういう交流の結果です。

さまざまな宗教が混ざっていったわけですから、

仏教がのちのキリスト教の一部になったとしても、まったくおかしくない。

 

 佐藤

 

 そう思います。しかしこの本を読んで面白いと思ったのは、キリスト教との類似点があるという意味では、仏教ではなくジャイナ教でもよかったということでした。

 

 本村

 

 不殺生などは、ジャイナ教も同じですからね。それにジャイナ教は、禁欲的な苦行というものをかなり徹底するというところもあります。

 

 佐藤

 

 では仏教とジャイナ教は何が違うかというと、後者は厳しすぎたんですね。ジャイナ教の場合、飛んでいる虫を口で吸い込まないように、マスクを着用しなきゃいけなかったりしますからね。

 

 本村

 

 たしかに、厳しすぎる教義があるとなかなか外の世界には広まりません。

 

 佐藤

 

 仏教の場合は、厳しい修行を専門とする上座部と、

あまり厳しさを要求されない大乗というハイブリッド戦略をとったところに強さがあると思います。

もちろん、

「イエスは仏教徒だった」とか「仏教の教えがそのまま聖書に取り入れられた」などと

単線的につなぐことには疑問がありますが、

もっと緩やかな形のつながりを考えるなら、

仏教の考えがキリスト教に生きていると言うことはできるでしょう。

 それは、聖書学者も否定できないと思いますよ。

この『イエスは仏教徒だった?』という本も、聖書学の成果を踏まえたまっとうな議論をしています。

実証はできないけれど確実なことと想定される「原歴史」というキリスト教の考え方に立脚しているので、

いわゆる「トンデモ本」ではありません。 たとえば

柄谷行人さんの『遊動論~柳田国男と山人』(文春新書)も、

おそらくキリスト教の原歴史という考え方を使いながら柳田国男に言及したと思うんです。

室町時代より前のことは実証できないけれど確実にあったと言えるものがある、

といった書き方をしている。それとこの本はよく似ています。 写真/shutterstock

 

 

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 佐藤優(さとう まさる) 1960年、東京都生まれ。同志社大学大学院神学研究科修了後、専門職員として外務省に入省。在ロシア日本国大使館に勤務し、主任分析官として活躍。2002年、背任と偽計業務妨害容疑で逮捕、起訴され、09年6月執行猶予付有罪確定。13年6月執行猶予満了し、刑の言い渡しが効力を失った。著書に、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した『自壊する帝国』(新潮文庫)、毎日出版文化賞特別賞を受賞した『国家の罠』(新潮文庫)など多数 ---------- ---------- 本村凌二(もとむら りょうじ) 1947年、熊本県生まれ。73年一橋大学社会学部卒業、80年東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。東京大学教養学部教授、同大学院総合文化研究科教授を経て、2014年4月から18年3月まで早稲田大学国際教養学部特任教授。専門は古代ローマ史。著書に、サントリー学芸賞を受賞した『薄闇のローマ世界』(東京大学出版会)、JRA賞馬事文化賞を受賞した『馬の世界史』(講談社現代新書)など多数。一連の業績にて地中海学会賞を受賞 ----------

 

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