禅林句集 (岩波文庫 青 341-1)

2009/4/16 足立大進(著)

==或る書評より
足立大進編(前円覚慈雲老師)ということで求めたが、
句集本来の目的からは外れるのでしょうが、
老師の解釈が少しでも書かれていたら初心者にも親しみ安かったかと思った。

 

 

 

1年間限定「臨済録読書会」、最後は住職による、

「円覚寺での実際の坐禅修業のお話」を頂きました。

 

修行の師である足立大進老師の、掛け軸が、ふたつ、掲げられていた。

臨済禅師の言葉

「無事是貴人」

「日日是好日」

初めて、円覚慈雲禅師の書を拝見した。

太く、丸く、黒ぐろく、柔らかい、漢字

1975年頃、生前の老師の坐禅道場での声を思い出していた。

ときどき、夜に、警策を担いで、のっしのっし歩いて、

叱責して、回っていた。

 

「中国禅」が「釈尊の仏教」と、全く正反対な宗教であることを、

再確認した。

 

住職による読書会の総括・・・

人間の尊厳 | 臨済宗大本山 円覚寺 (engakuji.or.jp)

 

「道流、仏法は用功(ゆうこう)の処無し、

(た)だ是れ平常無事(びょうじょうぶじ)

 

屙屎送尿(あしそうにょう)

著衣喫飯(じゃくえきっぱん)

(つか)れ来れば即ち臥(ふ)す。

 

これでは、「俗人」である。

ジャングルの「未開人」である。

更には「原始人」でも同じである。

悟った人も、全く同じ、心であり、行動である。

では、発狂すれすれの坐禅修業とは、いったい、何だったのか?

 

つまり

「道ダオ」は世界の隅々まで行き渡っているという

その確信にある。

示衆において、「信不及」を問題にする所以である。

 

これに対して

 

釈尊は、

「全く、逆の教え」が、「最後の教え」だった。

比丘たちよ、今こそおまえたちに告げよう。諸行は滅びゆく。怠ることなく努めよ。

つまり、

この世界には、「原理や、法則や、真理」などは、存在しない。

「諸行無常」である。

 

だから、

「縁起生」である

この原因を「一つ一つ積み重ねていく、努力」こそが、必要である

 

これが、道元和尚の教えでもある。

 

 

 

 

 

 

==或る書評より

禅林句集とは、

「無関門」「臨済録」等の禅門の本や、漢詩などの直接仏教とは関係のない本まで、

色々な本から集めた禅語の語録集である。

禅林句集という本は古くからいくつも編纂されており、

国立国会図書館にも明治期等の禅林句集が納められている。
本来は、禅僧が禅語に習熟するための目録として作られたものである。

したがって、普通、禅林句集には、注釈や意味の説明は付けないのが古来よりの慣わしである。
この本も、その伝統に従って、原文と読み下し文が書かれているのみである。
そのため、この本は読み手を選ぶ。
何の前知識にも無しにこの本をパラ見した人は

ただの、語句の羅列にすぐ手放してしまうだろう。

しかし、ゆっくりと、一句ずつ見ていくと、必ず心に響く語句に当たる本でもある。
心に響く理由が、禅の理解と関係なくても別に良いのである。

一般の人がゆっくりと読んでいって、心に刻んでおきたい句が

ひとつでも見つかれば、この本を文庫化した意義は達せられたと言って良いだろう。

実際問題、どうしても各禅語の解釈が知りたければ、

今、皆さんが見ているインターネットを使って検索すれば、いくらでも解釈が出てくる。
ただし、その解釈に縛られる必要はないことは理解していただきたいし、

本書もそれを目的として解釈を述べていないのだと思う。

ただし、茶道の関連で禅語を理解するために、この本を手にすることは余りお勧めしない。
茶道の掛け軸等に使われる禅語は、総じて季節を思い起こすものを選ぶことが多い。
しかし、この禅林句集は基本的に、

いつでも読者の心を引く言葉を用意しようという心遣いのためか

季節限定の禅語は避けている傾向がある。

そこだけ注意してもらえれば、一冊持って時々ゆっくり読み返すと、思わぬ発見がある。
ワイド版も出ているので、近頃視力が・・・という人にはそちらがお勧めである。