1977年、当時、「海外旅行」は、一生で一回しか行けないと思っていた。

だから、観に行く場所を、二人で、何度も厳選した。

 

その一つは、イタリアのアッシジの「ジオットのフレスコ画」にした。

 

早朝、二人で起きて、ローマのホテルから、歩いてローマ駅に。

ローカル列車と、乗り合いバスと、乗り継いで、ようやく、たどり着いた。

 

「大祭」が終わった直後で、巡礼者・観光客もほとんどいなく、閑散としていた。

 

フレスコ画は、文字通り、フレッシュだった。

日本の「仏画での、聖なる空間」と同じものを、二人で感じた。

妻は、高校時代から、教会に通っていたので、一つ一つの場面の意味が解っていた。

 

 

20世紀最高の静物画家モランディが、ボロボロになるまで読んだ2冊の本(GOETHE) - Yahoo!ニュース

 

20世紀最高の静物画家モランディが、ボロボロになるまで読んだ2冊の本

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TEXT=鈴木芳雄

画家のアトリエを見にいくのが好きで、これまでもいくつか見た。この部屋でこんな光であの絵を描いていたのかと想いを馳せる。今回は20世紀にイタリアで活躍した画家、ジョルジョ・モランディのアトリエに行ったときに知った、そこに残されていた本の話。

 

  【写真】ジョルジョ・モランディのアトリエ、画集etc.

モランディの家にあった画集と同じものが、家にやってきた!

2018年、ジョルジョ・モランディ(1890年 - 1964年)のアトリエを見に行った。

 

イタリア、ボローニャに生まれ、ボローニャで亡くなった画家。ボローニャはイタリア北部、エミリア=ロマーニャ州の州都。西ヨーロッパ最古の大学であるボローニャ大学の街である。彼は生涯のほとんどをボローニャとその近郊、アベニン山脈の麓の町、グリッツァーナで過ごした。

 

 モランディというと、あの落ち着いた色で描かれた壺や瓶や水差しの絵が思い浮かぶだろう。あとは花瓶に活けられた花とか、窓から見た風景とか。彼が生きた時代、さまざまな芸術運動が発生した。キュビスム、シュルレアリスム、形而上絵画、未来派、抽象表現主義…。初期にはジョルジョ・デ・キリコと見紛うような形而上絵画があったり、未来派の影響を受けた絵もあったが、結局はどのムーヴメントにも属さない孤高の人であった。

 

 結婚はせず、2人の妹と生活していた。生涯に国内旅行はしているが、海外旅行はパリに2度行ったくらい。夏の3か月をそのグリッツァーナで過ごし、残り9か月はボローニャの街中の質素なアパートに住んだ。そのアパートではアトリエと寝室が同じ部屋だった。絵を描いて疲れると眠り、目が覚めるとまたすぐに絵を描いたのだろうか。 グリッツァーナの家は2階建てで、周りにそれほど家も建っていない。外からの眩しい光も入ってくる。真逆とも思える2つのアトリエでも、彼の描くモチーフは変わらなかった。 ボローニャのアトリエは訪れる人も多く、すでに記念館的な管理がされている。スチールの扉を持つ書庫には彼の蔵書や資料本が並び、壁にはパネル展示がされ、展示ケースもあった。廊下から室内の写真が撮れる。

 

一方、グリッツァーナは一部、保護用のアクリル板が立ってはいるものの、彼と妹さんたちが住んでいた状態に近いのだと思う。 案内をしてくれた人も常駐の人ではなく、週末の公開日だけ近所の人が鍵を持ってきて、簡単な説明をするボランティアのような立場だったようだ。

だから、いたってカジュアルにクローゼットの扉を開けてくれたり、机の引き出しを開け、中のものを見せてくれた。これが筆、これがメガネ、これは絵を描くときに使った手製の定規…。

 

目が止まったのは引き出しからとり出し、

机の天板に置いてくれた2冊の本

 

ジョットの画集とマザッチオの画集だった。

手のひらサイズの。 

ジョット(GIOTTO)の方は、相当くりかえし見ていたのだろう。

たぶん表紙がボロボロになって、自分で表紙を補修していた。

きっと、アッシジの聖フランチェスコ聖堂や

パドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂にも行ったに違いない。

 

 

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