1972年発表! 田中角栄「列島改造論」は借金・利権の元凶か、それとも過疎地の“救世主”だったのか(Merkmal) - Yahoo!ニュース

1972年発表! 田中角栄「列島改造論」は借金・利権の元凶か、それとも過疎地の“救世主”だったのか

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「日本列島改造論」の影響

西九州新幹線(画像:写真AC)

『日本列島改造論』(1972年発行)は、著者の田中角栄が総理大臣になったこともあり、田中政権の政策の柱と位置付けられた。

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 政権発足後、列島改造ブームが起き、候補地となった地域では土地の買い占めが起きるなどした。

田中政権自体は2年ほどで崩壊したが(1972~1974年)、 

「高速道路網の整備」 などは形を変えて実現していった。

そのため、田中角栄の「日本列島改造論」は田中の金脈政治や、野放図な公共事業と結び付けられることが多い。

  しかし、日本列島改造論で唱えられた理念とその後の公共事業とは食い違う部分も多い。

ここでは列島改造論を振り返ってみたい。

列島改造の理念

2023年、約半世紀ぶりに復刻した田中角栄『日本列島改造論』(画像:日刊工業新聞社)

『日本列島改造論』は、1968(昭和43)年に田中が自民党都市政策調査会長として発表した「都市政策大綱」をベースとしている。自民党総裁選挙を控え、著作とした発表されたのが『日本列島改造論』だった。政治家が書籍で自らの政策理念を語るというのは当時珍しいことでもあり、その後のいわゆる政治家本のはしりでもあった。 『日本列島改造論』の理念を簡単に説明すると、 「地方分散」 だった。当時は東京への一極集中が加速しており、地方都市部からの人口流出と過疎化、そして急速な経済成長による公害問題への対応が課題となっていた。  これに対して、田中は地方分散という考えを提唱する。その手段として挙げたのが、 ・工業の再配置 ・交通情報通信の全国的ネットワークの形成 だった。  東京を中心とするネットワークを形成したならば、東京への一極集中は止められない。むしろ地方と地方を結ぶネットワークを作れば、地方への分散が進む。田中は地方と地方を結ぶネットワークを作ることで、工業地域を地方に移転させ、都市部への人口集中を緩和させようと考えた。  京浜地区、京阪神地区などいわゆる太平洋ベルト地域に工業地域が集中しており、公害問題が発生していた。工業地域が集中しているために公害が発生しており、その問題も地方に工業地域を分散することで解決できるとした。 ・高速道路 ・整備新幹線 などのインフラ整備に注目が集まるが、それは通過点にすぎない(整備新幹線とは、1970年公布の全国新幹線鉄道整備法に基づき、整備計画が定められている北海道新幹線、東北新幹線、北陸新幹線、九州新幹線(鹿児島ルート)、九州新幹線(西九州ルート)を指す。東海道新幹線、山陽新幹線、東北新幹線(東京~盛岡間)、上越新幹線は日本国有鉄道(国鉄)などが建設したもので、整備新幹線ではない)。  ネットワーク化を進めることで工業地域を分散させる。工業地域が分散すれば、地方に産業が生まれ、地方都市への移住者が増える。それによって、東京への一極集中が緩和される。『日本列島改造論』は、 「インフラ整備」 をてこに地方の復活を掲げた政策だったといえよう。

 

 

「列島改造論」の行方

高速道路(画像:写真AC)

 田中政権が崩壊した後、インフラ整備は対極の動きを見せた。  鉄道に関しては、国鉄の赤字が深刻化し、国鉄再建法ができた。新規路線の着工は見送られ、かえって不採算路線の廃止が実施されることになる。 『日本列島改造論』で掲げられ、その後計画された整備新幹線の着工も見送られた。一方、高速道路については建設が続けられ、高速道路網が拡大していく。そして、情報通信については、全国的ネットワークの形成が実現することになる。

 

  このようにインフラ整備という観点から見ると、それぞれ異なる道筋をたどった。しかし、情報通信を除くインフラ整備は、『列島改造論』の理念とは異なる方向へと動いていた。

 

  政権崩壊後、インフラ整備は加速したが、日本経済の成長は平成になって止まる。経済成長は止まったものの景気対策の名のもとに高速道路や整備新幹線の整備が進められた。しかし、インフラ整備に伴う借金は膨らみ続け、地方対地方のような採算の取れない事業よりも東京と結ぶ路線が優先された。  とはいえ、高速道路網が整備されたことで、工業地が地方へと分散する。地方自治体は雇用と税収を求めて工場を誘致した。工場には広大な用地が必要であり、東京などの大都市からの移設が行われた。『列島改造論』の唱える工業地の分散が徐々にではあるが実現している。

2024年問題と地方の課題

物流トラック(画像:写真AC)

「列島改造論」の時代から、今に至るまで地方をどうするかが問題となっていた。この間、東京への一極集中を避けるために、「列島改造論」だけではなく、首都機能移転、地方分権化など、さまざまな政策が打ち出されていた。

 

  しかし、平成、令和を迎え、地方をどうするかという議論は低調になっている。

選挙を見ても、その時々の政策課題への対応が中心となっており、

地方分権など大掛かりな政策課題が議論されることはほとんどない。

 

  とはいえ、この問題は避ける訳にいかない。

2024年1月に発生した能登半島地震は過疎地を直撃した。

 「過疎地の復興をどうするのか」 という問題は喫緊の課題となっている。

 

 

  一方、物流業界や交通業界では2024年問題、すなわち人手不足の問題が取り沙汰されている。

特に地方でこの問題は深刻であり、交通関係、物流関係の事業者は人手不足と赤字を抱え、

そのなかでどう地方交通、物流を維持するのかという課題を突き付けられている。

 

  こうしたなかで、地方をどうするのか。「列島改造論」とは異なる新たな理念を日本が打ち出していかなければならない。先送りにするにも限界を迎えているのである。

加藤博章(国際政治学者)

 

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