感謝です。

 

そもそも、

エルサレム神殿の神官たちが

「『創世記』という神学」を構築し、著作した理由は、

バビロニア帝国が「ユダ王国」を滅ぼして、

首都バビロンに捕囚した事件に対して、

(捕囚された異国の首都で)、

宗教的に、新しい意味づけをしたものです。

 

 

それは、

民族神・ヤハウェは、

「ユダ王国を、反省させる」ために、バビロニア帝国を用いて、自分の民族を罰した!

ということである。

 

だから、

その次に、

ユダヤ民族は、何もしないのに、

ただただ、唯一神・ヤハウェの恩恵で、

キュロスを用いて、バビロニア帝国を破り、

バビロンから、「ユダヤ民族」を、解放させ、

パレスチナの地に帰還させるのです。

 

だから

『創世記』は、

バビロニア帝国の「神々の神話」の内容に「対抗するもの」として、

著作されたのです。

 

 

ギルガメシュ叙事詩 (ちくま学芸文庫)

1998/2/10 矢島文夫(翻訳)

ニネベ出土の粘土書板に初期楔形文字で記された英雄ギルガメシュの波乱万丈の物語。
「イシュタルの冥界下り」を併録。最古の文学の初の邦訳。
初期楔形文字で記されたシュメールの断片的な神話に登場する実在の王ギルガメシュの波乱万丈の物語。分身エンキドゥとの友情、杉の森の怪物フンババ退治、永遠の生命をめぐる冒険、大洪水などのエピソードを含み持ち、他の神話との関係も論じられている最古の世界文学。本叙事詩はシュメールの断片的な物語をアッカド語で編集しアッシリア語で記されたニネベ語版のうち現存する2000行により知られている。文庫化に伴い「イシュタルの冥界下り」等を併録。
 
==或る書評より
『ギルガメッシュ叙事詩』は、古代メソポタミアのギルガメッシュという半神半人の暴君を主人公とした英雄物語で、今から数千年前に作られたものである。物語は、ウルクという都城の王ギルガメッシュが友達の半獣半人のエンキドゥと協力して、杉の森の恐ろしい森番フワワを殺して悪を追いはらったり、ギルガメッシュにつれなくされた女神イシュタルから送り込まれた天の牛を殺してウルクの都城を守ったりする、が、その後エンキドゥが病に倒れ息を引き取ると、自分にもやがて死が訪れるのではないかと恐れたギルガメッシュが、永遠の生命を求めて旅立つ、といったようなストーリーだ。

『ギルガメッシュ叙事詩』はティグリス・ユーフラテス両大河の河口付近に住んでいたシュメール人が創作した物語である。シュメール人は絵文字から発展させた独特の文字、いわゆる楔形文字を用いて多くの記録や神話、文学作品を残した。そののち、アッシリア人、バビロニア人が優勢になると、このギルガメッシュを主人公とするシュメール版の物語に手が加えられ、徐々に長篇にまとめあげられ、アッシリア版、バビロニア版が出来上がっていった。さらに、小アジアにも持ち運ばれ、ヒッタイト語やフーリ語にも翻訳された。現存する『ギルガメッシュ叙事詩』はアッシリア版とバビロニア版のさまざまな書板が主体であるが、それでも全体で約3600行あるといわれている中の半分しか残っていない。

訳者の矢島文夫は、まずハイデルの英訳からの翻訳を試みたが、重訳が気に入らず、原語での翻訳を目指し、まず、アッシリア語を学び始めた。ところが、肝心のトムソンの刊行した原文の刊本がなかなか手に入らない。が、たまたまセム語学者の井筒俊彦氏宅を訪問したときに、書斎でこの本を発見し、快く貸してもらった。さっそく、原文訳に取り掛かるのだが、文法的知識が不足しているうえ、アッカド語、ヘブライ語、アラビア語の学習も進めていく必要があったため、なかなかはかどらない。そのうち、イスラエルのハルエル博士からヘブライ語訳、フランスのリュッタン女史からフランス語訳、プラハ滞在中の千野栄一氏からはチェコ語訳を送ってもらい、さらにバグダードで出版されたアラビア語訳も入手した。そして、翻訳を志してからに苦節10年、1965年にやっと完成したというのだ。泥縄式の翻訳作業だが、すごい。錬金術師が言葉の坩堝をかきまわして英雄譚という黄金を作り出しているみたいだ。

この物語が西欧の人たちをびっくりさせたのは、
「創世記」で語られる大洪水とノアの箱舟とそっくりの話が、
旧訳聖書ができるよりもずっと昔のオリエントの書板から現れ出でたということだ。
この大洪水の話は、
ギルガメッシュが永遠の生命を求めてさまよっているときに出会う仙人が語る体験談の中に出て来る。

・・・
六日と六晩にわたって
風と洪水が押しよせ、台風が国土を荒らした
七日目がやって来ると、洪水の嵐は戦いにまけた
それは軍隊の打ち合いのような戦いだった
海は静まり、嵐はおさまり、洪水は引いた
空模様を見ると、静けさが占めていた
そしてすべての人間は粘土に帰していた
平屋根と同じ高さに草原があった
蓋を開くと光が私の顔に落ちてきた
私は漕ぎくだり、坐って泣いた
涙が私の顔を伝わって流れた
私は海の果てに岸を認めた
十二の場所に陸地が現れた
ニシル山に船はとどまった
ニシルの山は船をとらえて動かさなかった
一日目も二日目もニシルの山は船をとらえて動かさなかった
三日目も四日目もニシルの山は船をとらえて動かさなかった
五日目も六日目もニシルの山は船をとらえて動かさなかった
七日目がやって来ると
私は鳩を解き放してやった
・・・