「韓国首都圏売れ残り屈辱」日本建築家の反転…「建築界ノーベル賞」受賞

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中央日報日本語版

2024プリツカー賞の受賞者に選ばれた山本理顕氏の作品、京畿道城南市板橋(ソンナムシ・パンギョ)住宅団地(2010) [写真 ナムグン・ソン、プリツカー賞]

◯◯◯氏が設計した板橋(パンギョ)のタウンハウスは初期に売れ残った。ソウル江南区細谷洞(カンナムグ・セゴクトン)のマンションは玄関の扉を透明ガラスにし、私生活を侵害すると非難された。◯◯◯氏とは日本の建築家、山本理顕氏(79)だ。 山本氏は5日(現地時間)、「建築界のノーベル賞プリツカー賞の受賞者に選ばれた。この賞を主管する米ハイアット財団は「公的な領域と私的な領域の境界を崩して、建築を通じて調和がとれた社会をつくるのに貢献した」と選定理由を明らかにした。1979年に始まったプリツカー賞を日本の建築家が授賞したのは9回目だ。 山本氏は「コミュニティとは『一つの空間を共有する感覚』だが、今日の建築は私生活を強調するあまり隣人と関係なく住宅を商品化する」と批判する。調和して共に暮らすことを重視する山本氏の建築キーワードは透明性だ。「内部からはその向こうにある環境を体験でき、通り過ぎる人からは帰属意識を感じることができる」。非凡な材料で独善的な外観を誇るより、日常に染み込んで利用者の生き方を徐々に変化させるのが山本氏の建築の美徳だ。 山本氏は「1家族1住宅」の通念を越えて「地域社会圏」という概念を主張する。四方の壁をガラスで処理した透明玄関ホールを通じて住民間に意思疎通の幅を広げた板橋(パンギョ)タウンハウス(2010)、消防署員の日常と訓練を見ることができ、住民の親密感を高めて感謝の気持ちを抱けるよう設計した広島西消防署(2000)、教室間をつないでのぞけるようにし、学際研究を奨励した埼玉県立大学(1999)などでこの概念を実現した。高齢化が加速して一人暮らし世帯が増える未来の社会、建築は何ができるのか苦心した結果だ。 プリツカー賞審査委員長のアレハンドロ・アラベナ氏(2016年受賞者)は「未来の都市では人々が集まって相互作用する機会を増やさなければいけない」とし「山本氏は日常の品格を高める建築家であり、彼の手にかかれば平凡が特別になる」と評価した。

 

 

 1945年に中国北京で生まれた山本氏は横浜に渡り、1968年に日本大建築学科を卒業し、東京芸術大大学院で建築専攻を修了した。1973年に「山本理顕設計工場」を設立した。横浜国立大学大学院客員教授、 名古屋造形大学学長を務めた。

 

外壁がなく冬には野生動物まで訪ねてきた長野の山川山荘(1977)、桃園市立美術館(2022)などが山本氏の作品だ。

 

 

 プリツカー賞は賞金が10万ドル(約1500万円)で、授賞式は5月に米シカゴで行われる。

 

日本は

丹下健三氏、槇文彦氏、安藤忠雄氏、SANNA(妹島和世氏、西沢立衛氏)、伊東豊雄氏、坂茂氏、

磯崎新氏に続いて山本理顕氏まで最多の受賞者(9人)を輩出した国だ。

2番目に多いのは米国(8人)で、

韓国の受賞者は、いない。

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