「は、私、を、お茶飲む」はヘンテコな文章、じゃあ「私は数学を勉強をする」は?…言語学者が考える「日本語の急所」(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース

 

 

「は、私、を、お茶飲む」はヘンテコな文章、じゃあ「私は数学を勉強をする」は?…言語学者が考える「日本語の急所」

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現代ビジネス

〔PHOTO〕GettyImages

 ――本書は、言語学者である私が近年抱いている「読者の方々に、ことばの様々な側面について、もっともっと知ってもらいたい、そしてもっともっと考えてもらいたい」という想いを前提として、4人の「ことば」のプロたちと語り合った対談をまとめたものです。歌人・ラッパー・声優・言語学者/小説家、彼女ら・彼らがことばとどう向き合っているのか、それを言語学の視点から解釈するとどうなるのか、対話を通してこそ浮かびあがってくる発見と興奮が本書にはつまっています。―― 【写真】言語学者が考える「日本語の急所」とは  『日本語の秘密』はじめに より  気鋭の言語学者が「ことばの達人」に出会ったら――。思わず誰かに話したくなる、日本語の魅力とことばの楽しみ方が満載の対談集!   ※本記事は川原繁人『日本語の秘密』から抜粋・編集したものです  前回記事はこちら『プリキュアポケモンの「名付け」にはパターンがあった…超人気アニメから見えてくる「音声学の醍醐味」』

言語学研究の問題点、解釈の「揺れ」

 川原 川添さんは現代日本語を研究する中で、悩ましい問題に直面したことはありましたか?

 

   川添 それはたくさんありました。特に、人が言葉の自然さや解釈について判断するときの「揺れ」の問題です。どの言語もそうだと思いますが、「この文は日本語の文として自然ですか」とか「この文にはこういう解釈はありますか」と聞いたときの反応に、個人差が出てしまう。そこをどう捉えるかは常に難しい問題です。

 

  たとえば、「私はお茶を飲む」という文は日本語の文として自然だと感じる人がほとんどでしょう。でも、「は、私、を、お茶飲む」になると、すごく不自然で、そもそも日本語の文ではないと感じる。統語論の研究では、そういう「感覚」を手掛かりにして、日本語の仕組みを調べていきます。

 

  ただ「は、私、を、お茶飲む」は誰が聞いても不自然だと判断すると思いますが、微妙なケースもあります。

 

たとえば「私は数学を勉強する」は自然ですが、「私は数学を勉強をする」だとどうでしょうか。

日本語の文として問題ないと思う人もいれば、ちょっと不自然だと感じる人もいるでしょう。

受け取り手によって感覚の差が出てしまうんです。

 

(注:正確に伝わるか?受け手が混乱しないか?これは尺度になる筈!)

 

  さらに言うと、こういった個人差が出るケースでは、そもそも例文の作り方に問題がある場合もあります。科学実験にたとえれば、実験環境の中に「不純物」が入っている感じに近い。しかし、いくら実験の仕方を工夫しても言語の場合は方言差や世代差などといった個人的なバックグラウンドも大きく影響します。

もともと言葉に対する感覚が大きく違うグループをどう扱うべきか、という問題も出てくる。

 

「言語学をやっていて何の役に立つの?」

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 川原 たしかに言語学を科学として確立させていくのは重要ですね。同じように大切なのは、言語学が世間からどう見られているのかを意識することだ、と感じています。私自身、日本の中で言語学がいかにマイナーな学問なのかを何度も痛感してきた。ぶっちゃけた話、「言語学をやっていて何の役に立つの?」と聞かれたことはありませんか。

 

 

  川添 あります、あります!   川原 私、この手の質問に悩まされてきたんです。自分のやっている研究が、何の役に立つのか。言語学者でなくても、他の分野の研究者、特に人文学系の学者たちも同じような質問を投げかけられたことがあるんじゃないでしょうか。  正直に言えば、言語学は楽しいからやっているんです。何かの役に立てよう、っていうのは二の次です。これは私の恩師の言葉ですが、ニュートンだって、飛行機を飛ばすために、力学体系を作りあげたわけじゃない。学問の根本的な原動力は好奇心です。でも、いざ就活などの場面になると、なかなかそこまで開き直れない現実がある。

 

  川添 私も学生時代からずっと、周囲の人々に自分がやっていることをどう説明すればわかってもらえるのか、悩んできました。言語学は、経済学や法学のような実学ではないですし、物理学や化学などの理系分野とも違う。その中でどうやって「社会的な居場所」を探すのかは難しい問題です。

 

 

  川原 日本とアメリカの違いもあります。私はマサチューセッツ大学で博士号を取って、そのあともしばらくアメリカで教えていたんですが、周囲も「純粋に言語学が好きならそれを突き詰めればいいじゃん」という雰囲気でした。そもそもアメリカでは10人以上の言語学者が集まっている言語学科の存在が珍しくない。そんな環境では言語学が何の役に立つかなんて疑問は突きつけられませんでした。

 

 

  だけど、日本に帰国してから状況が一変した。途端に言語学の研究者が少数派になって、「それを研究してどうするの?」という目に晒されるようになりました。それに現実的な問題として、研究費を申請するときに、「その研究がどのように社会の役に立つのかを明記すること」と求められることも多い。そうでなくても「貴重な税金がもとになっている研究費は、実利がはっきりとした研究に投資すべきだ」という雰囲気がある。だからこそ、言語学の有用性について真剣に考えなければいけないと思うようにもなりました。

 

  でも、「面白いから、好きだから」という気持ちを忘れてしまったらおしまいです。それは研究を続ける上で大事なモチベーションです。世の中への貢献だけを考えていると、純粋に夢中になって言語学を研究していた頃の気持ちはどこへ行ってしまったのかと、寂しい気持ちになることもあります。だからこそ学生や若手研究者は思う存分、言語学を楽しんでほしい。

 

  大人になったら、いやがおうでも世知辛い世間を生きていかないといけないんだから。逆に、我々のような中堅研究者、それに大御所研究者は、若手を守るためにも、言語学の社会的意義を発信していくべきだとも感じるようになりました。

 

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 川添 愛 言語学者・作家、1973年生まれ。九州大学大学院にて博士号取得。津田塾大学女性研究者支援センター特任准教授、国立情報学研究所社会共有知研究センター特任准教授などを経て、言語学や情報科学をテーマに著作活動を行う。著書に『ふだん使いの言語学』、『言語学バーリ・トゥード』など。 ----------

川原 繁人(慶應義塾大学言語文化研究所教授)/川添 愛(言語学者・作家)

 

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