「南直哉」師と日本基督教団「松岡由香子」牧師は、私のリトマス試験紙である!
二人への個々の反応で、自分がどのような状態であるか、が明確になるので。
本当に有難いことです。
なお、
日本曹洞宗の「駒澤大学」方々、宗門の方々は、
みな、瑩山禅師の「日本達磨宗」の法孫なので、道元を全く理解できていない。
これは、永平寺二代「懐奘」三代「義介」四世「瑩山」と
全て「日本達磨宗」、つまり「日本教」天台宗僧侶「大日能忍」の教えである。
松岡牧師は、道元の主著『正法眼蔵』への独自の参究・理解から、
それと全く反対の「キリスト教」への信仰に回帰した方である。
そして、琵琶湖の湖畔の教会で、「坐禅」(多分、瞑想)を実践なさっている。
つまり、ご自分の信仰からではなく、
他者として、正確に、道元を理解していらっしゃる。
臨済宗妙心寺派の「花園大学」で、その研究成果を発表なさっている。
〇 〇 〇
「釈尊の仏教」は、「出家」と「在家」と、全く異なる教えであり、
「ダブル・スタンダード」だった。
「出家」へは、インド社会を捨てることを要求して、別の世界「サンガ」を創建した。
「在家」には「ヒンディー教・バラモン教」の信仰を捨てることは求めず、
以前のままであり、善行・布施によって、輪廻転生で「生天」を勧めた。
道元の場合は、
自分の教えは「原始仏教=正伝の仏法」であり、
「懐奘」や「義介」「義演」などから、「日本達磨宗」の信仰を奪う事はしなかった。
ただし、「嗣書=印可状」は、授けない。
他方、
「釈尊の教え」の継承の証拠として、「僧海」や「義尹」などだけに「嗣書」を授ける。
「原始仏教」と「日本達磨宗」と「中国禅」とが、共同生活するために、
「新しい集団の戒」を、つぎつぎと考案し制定して、道元独自のサンガを築いていった。
結果的に、
瑩山禅師の教えは、インドでの「在家」の信仰の部分を担うものとなり、
日本の土着の信仰を全て取り入れて「日本教、ご先祖様信仰」を基盤に、
白山天台宗、白山神社山岳信仰、修験道の寺社を次々に改宗して、
最後は「1万5千ヶ寺」の大教団に発展した。
釈尊は「在家」信徒の「ヒンドゥー教=バラモン教」の信仰を取り上げなかった、
否定しなかった、これを手本に、
現在の「日本曹洞宗」も
道元和尚の「原始仏教」と瑩山禅師の「日本達磨宗」とが、
21世紀においては「役割分担」して、発展していく必要がある。
「道元の教え」を基準として当てはめれば、
現在の日本曹洞宗の僧侶の全員は、
結婚して、「子造り」をして、
「寺院」を実質的に子や孫や曾孫が、遺産相続し、私有財産であり、
徹底的に否定されるべき存在のままである。
また、
『在家信徒向けの教え、修証義』が「僧侶」の「お経」に替わっている。
家族を捨て「出家」して、この社会から出て行く、これが「空洞化」している。
「ご先祖様信仰、所謂、葬式仏教」の司式者に実質変わっている。
「死者に触れる役目」から、子供が後継者になることを嫌うとも聞いている。
職業選択の自由から、別の職業に携わる。
「宗教二世」問題も深刻である。
我が故郷のお墓のお寺でも、息子に外国旅行を約束して、お寺継ぐことができたとか・・・
彼が「三十六世」と、もうすぐ成るだろう。
後継者の確保が難しくなる。
更に、
檀家が、800世帯と聞くが、
1969年の時点で、「月例の早朝坐禅会」に参加するのは、片手の人数だった。
現在では、どうも休会のようだ。
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南師の東京都赤坂の
「豊川稲荷神社」での
2月の連続講義も、100人近くも集まった。