釈尊は「出家」と「在家」とは、「別の教え」であり、
在家の信徒からは「ヒンドゥー教」を奪わなかった。否定しなかった。
道元と「日本達磨宗」の懐奘や義介との関係も同様に、
二人から、無理に「日本達磨宗」の信仰を奪わなかったのではないか?
ただ、
二人に、「嗣書、印可状」は、最後まで授けず、教えが異なっている事を明確にした。
「嗣書、印可状」が貰えなかったので、道元の死後に、
義介を中国に送り込み、中国の最新のやり方を梃子にして、
急激な「日本達磨宗」への退行を断行した。
懐奘は、才能不足だから、義介からの突き上げがあったと考える。