朝鮮人は、

「李氏・朝鮮王朝」五百年の儒教・朱子学の洗脳の下にある。

(だから、日本とは「死者」観は全く異なる)

 

「死者」は、死んでも「この世」で生きている。

だから、毎日、長男が「死者」に食物を捧げなければならない。

お金がないと困るので、紙幣を燃やして、届ける。

 

「死者」は、

空中の「霊魂・気」と、地中の「白骨」と「位牌」との3つである。

一人ひとりが生き続けているから

「系図」を作成して、記録しておかなければならない

 

これに対して、

日本人では、「死者」は、(「思い出のある人」には別人だが)、

自然と「合祀」されて、一人の「ご先祖様と言う神様」となる。

だから、「特別な」家以外は、系図を作らない。

作る必要もない。

お墓も一つでいい。

「〇〇家 先祖代々の墓」一つで「全員」が祀られ、眠る。

 

同様に、刑事ドラマでは「死者」のことを「仏様」とも呼ぶことにもなる。

身内でなく、死者に思い出もないから。

 

だから、

「戦死した兵士」を、合祀して「英霊」という「護国の神様」として祭る

に対しては、

朝鮮人には、痛くも痒くもない「行為」となる。

 

その理由は、

「朝鮮人」では、

「死者」は、一人ひとりが生きている。

だから「合祀」そのものは、成立しない。

最初から、無効な行為であり、無駄なことであった。

更に、

靖国神社では「死者の位牌」つまり「死者本人」を、祭っていない。

靖国神社が、朝鮮人の「死者」本人を、閉じ込めていない。

ただ、

「英霊」の「(朝鮮人にとって無効である)合祀」した氏名の「ノート」があるだけである。

「ノート」だから、戦死したと思っていた兵士が、帰還すれば、訂正されるだけである。

 

靖国神社は、一つの信仰だから、それなりに、尊重する必要がある。

 

 

 

 

〇 〇 〇

 

この「系図・血筋」が重要だから、

中国では、それを真似た朝鮮でも、

女性は結婚しても、「姓」は変わらない。

「血筋」を表すものだからだ。

 

他方、日本は「氏・名」である。

日本の「姓・氏」は「血筋」を表すものではない。

明治になって、初めて、百姓でも「姓・氏」が持てるように、変わった。

だから「姓・氏」は「家族」の名称である。

当然、結婚すれば、どちらかの「氏」とする。

同じ家族だから「氏」は、当然、同じとなる。

・・・「夫婦別姓」問題は、歴史を無視した・誤解である。

 

なお、

スペイン語では、「父姓、母姓、個人名」である。

現在、日本語を教えている生徒の名前は、

日系移民三世であり「新垣、カサバ、自分の名前」

お祖父さんが沖縄県出身者、お母さんが地元ペルー人。

 

朝鮮半島では、この「姓」は、そのまま続けられた。

しかし、日本人だから、法律の扱い上、更に「氏」を追加した。

つまり、

朝鮮人の名前を「姓、氏、個人名」の、三要素としたのである。

「創氏・改名」は、

「家族名を付加する」と、「日本風の名前」に改めるとの、二つだった。

だから、戦前に、「朝鮮人の名前」のままで立候補して、

選挙で国会議員に当選している。