「話をさえぎる癖」を批判された「朝生」田原総一朗 「老い」を受け入れることの難しさ(デイリー新潮) - Yahoo!ニュース

 

「話をさえぎる癖」を批判された「朝生」田原総一朗 「老い」を受け入れることの難しさ

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デイリー新潮

田原総一朗氏の一貫した芸風

「朝生」司会者の田原総一朗氏。問題を指摘した音喜多駿氏

 日本維新の会の音喜多駿(40)参議院議員の「朝まで生テレビ!」での発言が話題を呼び、ネットニュースでも取り上げられている。1月26日に放送された回で音喜多氏は、

司会者の田原総一朗氏(89)及び同番組の問題点を指摘したのだ。

 

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 人の話をさえぎったり、怒鳴り合ったりする。丁寧に話を聞いて議論をしようとしない。

そんな姿勢そのものが若者には受け容れがたいのだ――というのが音喜多氏の見解である。

 

  これまでも司会者としての田原氏の能力や資質を問う声はたびたび上がってきた。

最近は少し耳が遠くなったのか、パネラーに聞き直すことも珍しくないようだ。  ただ、音喜多氏の指摘したことは、最近の傾向ではない。さえぎったり、怒鳴ったりは田原氏の場合は昔から持ち芸のようなものだった。  今から四半世紀前の週刊誌「FOCUS」(1999年9月8日号)には、田原氏を取り上げたコラムが掲載されている。主題は彼のアンフェアな司会ぶりである。以下、一部抜粋してみると―― 「(「朝まで生テレビ!」の出演者たちは)平気で野次を飛ばす。人の話に割り込む。  このリングで一人だけ特権を握っているのが田原氏だ。なぜか彼の発言だけは誰も遮れない。ヤジも飛ばさない」 「彼は普通の『司会者』ではない。自分の意見をガンガン言うし、参加者の扱いは極めて不公平だ。先日の放送では、必死で『田原さん、いいですか』と、礼儀正しく挙手までして発言を求めている参加者を延々と無視して、他の人を指名しまくっていた」 「『AですかBですか』と極端な二者択一を求めるのも彼の得意技だ。そもそも、簡単に割り切れる問題ばかりなら誰も苦労しないし、議論なんか必要ないのだが。  しかし、ここで答えを言いよどんだら、さあ大変。『だから自民党は駄目なんだよ』の『だから駄目』攻撃が始まるのだ。  ちなみに他にも『そんなこと聞いてんじゃないよ』『もっと勉強して来てよ』等の攻撃がある」

 

 

 

「思えば、かつてこの番組が始まったころには、『バカヤロー』と叫ぶ監督を筆頭に、個性豊かな悪役レスラーが多かった。しかし、今や彼らの姿はない。リングの上はベビーフェイスのレスラーが殆ど。なのにただ一人、田原氏だけがレフェリーのくせに凶器を振り回して暴れまくっているのである」  パネラーはどんどん変わっていったが、田原氏はリングに残り続けた。悪役レフェリーからの転身をはかることもなく、むしろその持ち味を強化し続けた。だからこそ、

「老害」といった反発を余計に買いやすくなっている、というのが現状ではないだろうか。

「まだ若い」という落とし穴

 田原氏の事例は他人事ではない。  多くの場合、自己認識と他者の評価にはギャップがある。自分だけは「まだ若いから大丈夫」、周囲は「年寄りの冷や水」と思っているという構図はどこにでもある。  さすがに田原氏の場合、自分を若いと思っているわけではないだろうが、一方で、悪気なく出演者や若者とイーブンな関係にあると思っているフシはある。  田原氏に限らず、誰にとっても「老い」や他者の評価を受け入れるのは難しいことだろう。作家の橋本治さんが正面から「老い」について論じた著書に、『いつまでも若いと思うなよ』がある。還暦を過ぎた橋本さんが、「老いに慣れる」ためのヒントをつづった一冊だ。

 

  ここにはなぜ「老い」を簡単に受け入れられないのか、

その心境が分かりやすく書かれている。抜粋してご紹介しよう。  ***

老いとは人にとって矛盾したものである

若さにしがみつき、老いはいつも他人事。どうして日本人は年を取るのが下手になったのだろうか――。バブル時の借金にあえぎ、過労で倒れて入院、数万人に1人の難病患者となった作家が、自らの「貧・病・老」を赤裸々につづりながら、「老い」に慣れるためのヒントを伝授する。「楽な人生を送れば長生きする」「新しいことは知らなくて当然」「貧乏でも孤独でもいい」など、読めば肩の力が抜ける、老若男女のための年寄り入門 『いつまでも若いと思うなよ』

 

 今更言うのもなんですが、やっぱり「年を取る」ということは、人間にとって矛盾したことなんですね。自然の摂理で、体の方は年を取って行くけど、脳味噌の方はそれがよく分からない。「下り坂の思考」に慣れていないから、「老い」が受け入れられない。

 

  矛盾しているのは「老い」の方ではなくて人間の自意識の方ですが、

そこのところを反省しても「老い」が順当に認められるわけでもない。

だから「老いとは人にとって矛盾したものである」と言ってしまった方が話は早い

――「そういうもんだからグダグダ言うな」です。

 

 

 

 「老い」というものは、そうやって認めるしかないようなものではあるけれど、「自分はもう年だ」と思って「老い」を認めたとしても、それで老人になれるわけではない――そうである理由というのがやっぱりあると思います。  普通、人間は「少年→青年→中年→老年」という風に年を取って行くと考えられています。(略)この男女に共通する4段階の変化は、ただの外形的な変化で、人の実感はまた別だと思います。  男女の別なく人は、実感として「若い→まだ若い→もうそんなに若くない→もう若くない→老人だ」という5段階変化をするんじゃないでしょうか。  いくつくらいで「まだ若い」の段階になり、その先いくつくらいで「もうそんなに若くない」になるかは当人の自己申告制なので、10代後半で「まだ若い」と思い、20歳を過ぎたら「もうそんなに若くない」と思っちゃう人間もいれば、60を過ぎても70を過ぎても「まだ若い」と思って、80とか90になってやっと「もうそんなに若くない」になっちゃう人だっていると思います。  どこら辺で「若い」の上に「まだ」とか「もう」が付くかは当人次第ですが、つまるところこれは、「老い」に辿り着くまでの「若さ」の変化ですね。だからここには、「若い」とは無縁になってしまった「中年」という区切りがありません。(略)

 

 

 「人とはそのように往生際の悪いものである」というのではなくて、

若い段階で人格形成が起こってしまうから、

事の必然として「自分=若い」という考えが自分の中心に埋め込まれてしまうのだと思います。

 

 

 

「若さ」を使い切って「老い」を受け入れる

 人間はその初めに「若い自分」という人格を作り上げて、その後は預金を少しずつ切り崩すように、自分から「若さ」を手放して行く――あるいは「若い」が少しずつ消えて行く。そういうものだから、人間は自分の人生時間の進み具合を「若さの残量」で計るようになる。「老い」を認めたくないから「まだ若い」と言い張るのではなくて、「若い」という基準しか自分を計るものがないから、ついつい「まだ若い」になってしまうのでしょう。 「まだ若い」は老人の抱える普遍的な矛盾で、「まだ若い」と思っていた人間が自分の体の老化を認めた時に「若くない」の方向に進んで行って、癪(しゃく)ではあるけれど「老人」になってしまうのでしょう。  でも、ここまでは昔のあり方で、「老人になる」は人生のゴールでもあったから、昔は「老人」になったら終わりです。双六(すごろく)の「上がり」みたいなものですが、超高齢化の日本ではそうなりません。

 

 

 「自分は老人だ」と認めてから、結構長い「老人のままの人生」が始まります。「老い」というのは、生きて行くのに従って深化して行くものです。 「自分は老人だ」と思って、それからますます「老人」を深めて行くわけですから、「自分は老人だ」はゴールになりません。

 

 「自分はもう若くない」と思ってその先の人生が始まるのですが、これが結構めんどくさいものです。というのは、それまでは基本材料の「若さ」を少しずつ切り崩してやって来たのに、その「若さ」を使い切ってしまったからこそ受け入れた「老い」です。今まで通りにはいかない。  これで、若い時から老けて見られるような人間だと、初めから「そんなに若くない」になっているから、「時間と共に老け込む」ではなくて、「時間と共に自分が自分に馴染んで来る」になるからいいけども、「若い」の期間がへんに長持ちしちゃうと大変です。

 

 

 「若さ」の預金が少なくなっていることにすぐ気がつけない。

そういう事態に対する備えがない。

高度成長を達成しちゃった後の日本は、

人の基本単位を「若い」に変えちゃったから、

この先は自分の「若さ」を捨てられなくて、

「老人だ」を認められない人が激増するような気もします。

 

 「老人というのはどうやって生きるものか?」を考えながら手探りで進むしかなくて、

誰もが「自分の老い」に関してはアマチュアだというのは、

そういうことなんだろうと思います。

 

  ***

  いつまでも気持ちが若いことは悪いことではないのだろう。

必要以上に老け込む必要もない。

しかし、上手に「若さ」を捨てることもまた老人のたしなみとして必要なのかもしれない。

 

橋本治(はしもと・おさむ)(1948-2019) 1948年(昭和23)、東京生まれ。

東京大学文学部国文科卒。イラストレーターを経て、1977年、小説「桃尻娘」を発表。以後、小説・評論・戯曲・エッセイ・古典の現代語訳など、多彩な執筆活動を行う。『ひらがな日本美術史』『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』『草薙の剣』など著書多数。2019年没。 デイリー新潮編集部

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