「キリスト教」は、『創世記』で示す教義が、現在の科学時代に、反してきた。

そもそも、「地動説」「ダーウィンの進化論」と真っ向から対立してきた。

米国では、

州の法律で「ダ-ウィンの進化論」を学校で教えるのを禁止しているところもある。

全く、愚かなことである。

 

日本人は、富士山を拝む、おテントウさんを拝む、ご先祖様を拝む。

そこには「教義」は必要ない。

 

 

 

 

 

日本人はなぜ無宗教なのか

1996/10/1 阿満 利麿(著)

==或る書評から
私は、中部地方の都市周辺部出身の42歳ですが、子供の頃、部落という言葉は使われなくなってきたものの、そういった地域のムラ意識が残っていました。本書にもある、ムラの「平衡化」という現象も祖母、母の話題の中心であり続けた思い出があります。これは、誰かが徳をすれば、妬みや嫌味を公言され、しかし逆に、損をすれば(悪いことがあれば)、同情や援助が公然と与えられるという、そういう付き合い方なのでした。本書曰く、ムラの「平衡化」とは、「物質的平等だけでなく、心理的な平等までも求めるもの」という定義ですが、これはとても言い得ていると感じさせました。
また、
子供の頃、ビー玉なんかを入れるゴルフのような遊びが流行し、庭に穴を掘っていたところ、祖父から大そう叱られた思いでがあります。その理由が、「土には土の神様が居るのだから、勝手に掘り返してはいけない」というものでした。食事の時の会話でも、「どこそこの誰彼は、お祓いをせずに庭に小屋を建てた、もしくは、庭の樹木を切り倒したから、大病をした。」などの会話も印象に残るものがありました。
当時土間があった実家では、座敷に仏壇がありました。我が家は、西本願寺系列の地元の寺の檀家であり、毎月の法要、法事もありました。そういった状況があったわけですが、子供心に、神仏についての統一見解は無く、そういった事を系統立てて教えてもらったこともありませんでした。それが、やはり今自分は、特定の創唱仏教を信じていないという意味で、漠然と「無宗教」だという認識になっていたのです。

本書によれば、
日本では、古来のアニミズム的な自然崇拝が、ムラ(部落)という単位の和を維持するために、厚く信仰されていた。そこに、仏教などの伝来があり、場所によっては、その創唱宗教にムラごと改宗したところもあった。そのころすでに、宗教そのものよりも、ムラの和に重要性が置かれたのだった。
次第に日本人は、ムラの和のために不要な、個性、悪、善など、余計なものもろとも捨て去ってまで和を保つという、独自の人生観を生んだ。
明治には、時の政府によって、仏教を国家の枠組みから除して、宗教でない国家神道を考案し、これを国家権力の柱とした。明治政府は、既存の神社を活用、統廃合などして管轄し、宮司を中央から派遣、国家神道の国民への浸透を促した。これらの行為により、多くの地域では、アニミズム信仰が薄れたが、ムラの和を第一義とするムラ意識第一主義は残った。
ムラ意識第一主義の下では、創唱宗教の教義はもはやムラ人の興味の対象ではなく、ムラの和が保たれる範囲に限り、どのような宗教であれ、ムラ単位でなら受け入れ可能という器であった。これが、今日未だに残る日本人らしさ、すなわち画一主義、普通主義であり、宗教的な寛容性、となったのではないかという。

全面戦争に(カタチ上)国民総意で雪崩れ込むという、思想的原因も、このムラ意識だったのかもしれませんね。
このムラ意識という日本人の遺伝子は、色々な日本人らしさに現れているように思いました。
書き足らない部分は沢山あるのですが、この日本人のムラ意識と、創唱宗教への無関心を関連付けたところが、この本を読んで目から鱗が落ちた点でした。
 
 
==或る書評から
 本書は、日本人が、なぜ「個人的には無宗教だが、宗教心は大切だと思う。」(p.008)と答えるのかを説明しようとしており、筆者は、日本人の宗教心を、自然発生的な「自然宗教」と既存の「創唱(そうしょう)宗教」に区別し、「創唱宗教」に共感できず、「自然宗教」を信奉しているからとしています。
 ここで、筆者は、「創唱宗教」を、仏教・キリスト教・イスラム教等、教祖・経典・教団の3者で成り立っている宗教、「自然宗教」を、「大自然を信仰対象とする宗教」ではなく、3者をもたず、「無意識に先祖たちによって受け継がれ、今に続いてきた宗教」としています(p.011)。
 「自然宗教」は、「ご先祖を大切にする気持ちや、村の鎮守にたいする敬虔な心」(p.015)だとし、神道は、「天皇を中核とする宮廷信仰が中心」(p.019)なので、「創唱宗教」と「自然宗教」の中間に位置づけています。
 神道を中間に位置づけたのは、中央政府が、古代と近代に、有力な神社を国家の傘下にしたからで、戦前の神社整理・統廃合で、血縁・地縁の生活に密着した、身近な神(「自然宗教」)の祈願よりも、国家が規定した、疎遠な神(「創唱宗教」)の祭祀のほうを、優位にしています(p.105)。
 ただし、筆者は、それ以前の近世に、身近な神社で、氏子以外の見物人が祭りに参加しはじめ、祭りが祭礼になり、賽銭箱が登場したこと、氏子自身の宗教心が変化したこと、神主を職業とする人々が出現したことを、取り上げ(p.152)、共同の祈願が個人の祈願へと変化したとしています(p.154~156)。
 それとともに、旅でもしない限り、行き会うこともない見知らぬ神が、庶民も旅行が比較的容易になることで、名所の有力な神社に参拝できるようになり、そこが、近代に国家の傘下になりました。

 このように、筆者は、「創唱宗教」と「自然宗教」に区別しましたが、それだと、まず、「創唱宗教」に分類できる、仏教・神道の施設(仏寺・神社)に、現在の日本人は、なぜ参拝するのかに、解答できていないことになり、そもそも日本人は、なぜ神道と仏教を、受け入れたのかの疑問に、辿り着きます。
 つぎに、「自然宗教」のうち、戦前に整理・統廃合されたのは、地縁の神社だけで、血縁の一族・一家では、神棚・仏壇等の撤去が、強要されていないのに、現在の日本人は、なぜ「自然宗教」を継承していないのかにも、解答できません。
 さらに、現在の日本人の一部は、なぜ「創唱宗教」を信仰するのかにも、 解答できず、これらから、「創唱宗教」と「自然宗教」の区別が、あまりうまくいっていないことが、わかります。
 私が、本書で最も違和感があるのは、日本人の無宗教という、大勢の人々が対象なのに、貴族・武士・仏僧・儒学者等、特権階級や知識人が、「創唱」する言葉を、繋ぎ合わせて説明しようとしていることです。
 当時の大勢の人々は、その言葉を理解し、自発的に行動したとは、到底考えられず、有力者が、強制的に行動させたとも思えず、そもそも昔は、大勢の人々には、簡単な思想しか、行き渡らせられず、今のように詳細まで、伝え切れるようになったのは、戦前の軍事・学校教育からでしょう。

 ところで、筆者は、「我々が容易に「無宗教」を口にする原因の一つに、風俗や習慣となってしまった宗教は「宗教」でないという思いこみがあるようだ。」(p.017)といっています。
 また、キリスト教のクリスマス、仏教の葬式、神道の地鎮祭等は、宗教でなく、習俗的行事・社会的儀礼として処理され、「宗教が生活のなかに深く分け入って習慣となったとき、日本ではそれはもはや宗教ではなくなってしまうのだ。」(p.022)といっています。
 そのうえ、「宗教を教義や布教といった目立つ部分と、習慣や風俗あるいは儀礼や儀式という目立たない部分に二分し、習慣や儀式をとりたてて宗教とは見なさないという風潮は、現在もなお続いている。」(p.024)といっています。
 こうして、筆者は、宗教には、「思想」的な側面(教義面)と、「形式」的な側面(儀礼面、習慣・風俗・儀式・行事)の、両面があると、散々指摘しているのに、なぜ「思想」と「形式」に区分せず、「創唱宗教」と「自然宗教」で区別したのかが、大変疑問です。
 よって、日本人が、無宗教なのは、宗教的な「思想」(教義)を受け入れられるのは、少数で、宗教的な「形式」(儀礼)を受け入れられるのは、多数だからと、言い直せます。
 そして、筆者は、最後に、「生まれながらにして教団に属し、教団の年中行事や宗教行事に繰り返し参加しているうちに、いつしか信仰を手にするようになったという人も少なくない。」(p.196)といっており、宗教は、多数が「形式」を体験し、そのうち少数が「思想」を信仰するものだと、いえます。
 近代の神道非宗教論は、国家の祭儀という「形式」(儀礼面)と、個人の信仰という「思想」(教義面)が、二分され、「形式」(国家の公的外形)は、神社神道に、取り上げられたので、「思想」(個人の私的内心)は、キリスト教・新宗教(教派神道13派)等が、受け入れたと、みられます。
 それ以前の近世に、浄土真宗で提唱された真俗二諦論は、対内的な信仰生活(真諦)では、念仏で阿弥陀仏を尊崇し、対外的な世俗生活(俗諦)では、現況の制度を容認し、幕藩の統治に従順せよという主張ですが、これも、世俗生活の「形式」と信仰生活の「思想」の二分です。
 他方、清沢満之・高木顕明は、国家神道が、阿弥陀仏尊崇の無限の真諦よりも、天皇崇拝の有限の俗諦のほうを、優位にしたのとは反対に、俗諦(「形式」)よりも、真諦(「思想」)のほうが、優位だと、外界に対立しただけで、教派神道13派の新宗教も、おそらく内心は、同じことを考えていたでしょう。
 余談ですが、近世に、曹洞宗僧の鈴木正三は、仏教無用論に対抗し、百姓・職人・商人とも、「毎日の家業にいそしむことが仏教の実践にほかならない。」(p.160)とし、世俗生活の「形式」と信仰生活の「思想」は、一体だとしています(世法即仏法)。

 ここまでみれば、「形式」の整備が影響しており、血縁・地縁の身近な神仏(神棚・仏壇や地元の寺社等)が、生活に密着しておらず、行事もなければ、衰退する一方、疎遠な神仏でも、社寺が参拝者を歓迎すれば、隆盛することになり、筆者のいう「創唱宗教」(私のいう「思想」)は、その先の話です。
 そうなると、そもそも日本人は、なぜ神道と仏教を、最初に受け入れたかですが、私は、人や物の一生は、無常・必死必滅ですが、神道での祭祀や仏教での修行で、自然の摂理と同化し、永久不死不滅になることで、それを乗り越えようとしたと、推測しています。
 神道での祭祀は、不浄な状態(ケガレ・ツミ・タタリ)を清浄な状態(ハライ・ミソギ・キヨメ)へと転換する行為、仏教での修行は、迷いや苦しみを捨て去り、悟りを開き(「無」・「空」の境地)、そこから立ち戻る行為で、いずれも、それを反復するので、循環的な「形式」です。
 たとえば、親鸞は、いったん来世へ往ったつもりで、客観的に洞察し(往相回向/おうそうえこう)、そこから現世へと戻ったつもりで、主体的に行動することを(還相回向/げんそうえこう)、提案しており、これは、生前の現世(穢土)と死後の来世(浄土)の往来を反復する、循環的な「形式」です。
 道元は、真理の世界を、あらゆる生物が、その世界に溶け込んだ状態と想定し、現実の世界は、人間のみ、自他を区別する意識があり、それで迷い苦しむので、修行で排除すれば、真理の世界に到達できますが、また迷い苦しむので、修行を反復しなければならないとし、これも循環的な「形式」です。
 一方、人や物の一生は、おおむね誕生期→増進期→最盛期→減退期→死滅期と移行しますが、死滅期と誕生期をつなぎ、そこを仮死・再生期とみなし、それを繰り返せば、永久不死不滅になり、これは、一日で朝→昼→夕→夜→朝→…、一年で春→夏→秋→冬→春→…と移り変わる、自然の循環のようです。
 神道での祭祀や仏教での修行も、減退期(夕・秋、不浄・迷い)→仮死・再生期(夜・冬、浄化・悟り)→増進期(朝・春、清浄・実行)と、回復させようとする形式が、共通しており、だから永遠性を希求し、大勢の人々が、神道・仏教を(神仏習合も)受け入れられたと推測できます。
 平安期の「憂き世」(減退)から江戸期の「浮き世」(増進)への転換も、これと同様で、柳田国男の、「平凡と非凡」も、非凡な自分やエリートだからこそ、日常が平凡な人々の生活に立ち返り、自然の摂理のように、行き来すべきだと主張しているように、みえます。
 ムラ社会での、日常生活を平穏に維持するための、物質・感情の(出る杭は打たれる的な)平等化・平衡化の繰り返しも、…→増進期→最盛期(善・利得)→減退期→仮死・再生期(悪・損失)→増進期→…と、常時移り変わる、自然の循環のようです。
 ちなみに、葬式仏教は、儒教由来で、個人は必死必滅なので、それを集団で乗り越えようと、祖先を祭祀・崇拝、父母を敬愛し、子孫を誕生させ、これら3つが「孝行」で、祖先→父母→自分→子孫と家系を継承することで、一族・一家の永久不死不滅を希求しており、これも永遠的な「形式」です。

 以上より、「環境」が変われば、「思想」(意識)も変わり、やがて「思想」が、忘れ去られても、「形式」は、生き残るといえます。
 外来のクリスマスを一緒に過ごす・ハロウィンを一緒に騒ぐ・節分に恵方巻を無言で一本食べ切る等も、そこに「思想」はなく、「形式」のみの、非日常での気分転換程度の理由なので、流行するのでしょう。
 
 
==或る書評から
 
わたしが思うに、日本人は決して無宗教ではなかった。
そもそも人間とは宗教的な生き物であり、人間が人間である限り必ずそこに宗教が付随する。
表明上、日本人が無宗教なのは、日本に伝来した大乗仏教が「神概念を持たない」宗教だったことも大きな要因のひとつだったと思う。
もうひとつの理由として明治以降の日本における廃仏毀釈も大きく災いしてか、日本人の宗教は教義も実体も持たない「カミ」国家神道へと仏教を捨て、舵を切ることになった。
その結果が現代日本における貧弱な宗教観を醸成し無宗教をもたらしたと思えるが、いかがか?

これはわたし個人にとっても非常に危機的な宗教の本質的獲得を難しくしている。
わたし個人にとって神とはなにか?
という大問題に逢着せざるを得なかったのである。
世界にはさまざまな宗教がある。
ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教。
しかしそれらの神が「わたしの神」ではあり得ないのである。
仏教徒は神概念を否定する、無神論的宗教である。
そしてわたしが仏教徒である以上、いかなる意味合いにおいても、「不信仰者」と見なさざるを得ない。

これは余計な危惧かも知れないが、もし神なる存在が本当にあるとして、もし神が神を否定する仏教徒であるわたしにどのような運命をもたらすか?

本当のことを言えば、仏教は無神論ではなかったのである。
仏教の開祖ガウタマ・ブッダはアートマンを
「肯定も否定もしなかった」
それが誤ったかたちで仏教徒に伝えられ、
ブッダは「無霊魂説」を説いたと誤解されて、
今日に至っているのである。

では、わたしの宗教的アイデンティティをどこに求めれば良いのか?
それは少なくとも異国の神ではないだろう。
世界三大宗教のうちにみずからの神を見出せないだろう。その孤独、寂寞はわたしを神経性的憂鬱にさえする。
わたしはわたしの神を見出さねばならない。
これはすべての日本人にも当てはまる事ではないだろうか?

「キミの言うその仏教そのものがインド産の宗教ではないかね?」
確かにわたしが大胆不敵にも「仏教のうちに神を見い出す」
事に成功しても(これは今日に至るまで津田真一氏しか成功していないが)
それは異国の神である。
インドの宗教。
このインドという土壌においてこそ、唯一真理の輝きが認められる。
こと宗教に関してはインドにおいては本物しか生き残ることはあり得ないからである。
してみると・・・
やはり異国の神を否定すると言ってもやはり否定しきれない一面もある。
「餅は餅屋」
である。
ただ、仏教が異国の宗教だとしても、我が祖国、日本において仏教は大きく変形され、
日本の文化にうまく溶け込んでいるはずである。
「そこ」
においてこそ、わたしは日本人の神を見い出すだろうと・・・