「何十年に1度の大スクープ」「『腹腹時計』を極秘入手」 記者たちの連続企業爆破事件(産経新聞) - Yahoo!ニュース
思想犯、最後の自己顕示欲!
「何十年に1度の大スクープ」「『腹腹時計』を極秘入手」 記者たちの連続企業爆破事件
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半世紀前、日本列島を震撼させた連続企業爆破事件。産経新聞は昭和50(1975)年5月19日付朝刊で、「爆破犯 数人に逮捕状」という大スクープを放った。「伝説の事件記者」ともいわれた警視庁キャップが精鋭を率い、同庁幹部に「あの記事を超える事件の特ダネを知らない」と言わしめた。歴史に立ち会った記者たちが事件から丸40年の平成27年、事件について語った証言をまとめた。
【画像】連続企業爆破事件で容疑者一斉逮捕を報じる昭和50年5月19日のサンケイ新聞夕刊
「事件」は終わっていない あの日の「怖さ」今でもトラウマ ◇警視庁記者クラブで刑事、公安両部などを束ねたサブキャップ・鈴木隆敏氏 警視庁記者クラブの福井惇(あつし)キャップは、スクープ前夜、計3回、土田国保警視総監官舎に通告に行った。総監から『絶対にやめてくれ』と止められたが、こんな大スクープは何十年に1回だ。それができるかどうかの時に、やめたら新聞ではなくなる。止めるなんてことは、私たちは誰も考えていなかった。やることだけははっきりしていた。 今でも強く記憶にあるのは事件当日。ようやく夏休みを取れて、子供たちと有楽座へ映画を見に行った。そして外に出たら、目の前が大騒ぎになっていた。パトカーや救急車が走り回っていた。誰に聞いても何も分からずに、これから何が起きるのかも分からない。あの日の『怖さ』は今でもトラウマになっている。
あの事件は、60年安保以降の闘争の歴史を大きく変えたと思っているが、まだ終わっていない。
事件そのものが未解決。
捕まった犯人の一部は超法規的な措置で釈放され、現在も逃亡中だ。
「これは犯人だ」と直感 爆弾教本は「腹腹時計」
◇容疑者グループの爆弾闘争の教本が「腹腹時計」だったことを事件6日後にスクープした警視庁遊軍記者・山﨑征二氏 ダイヤモンドホテルに警視庁とは別の「隠れ記者クラブ」を置き、他社や当局から怪しまれないよう、留守番の記者を置いて平穏を装っていた。スクープ前日、公安担当記者がディープ・スロートに接触し、得た情報は「いよいよ明日」。
腹腹時計の入手は私にとって、そんなに大した出来事ではない。
地下出版されていた腹腹時計を「あれじゃないの」と教えてくれた協力者はいた。
公然と警視庁内で受け取るのはまずい。新橋の古いビル内のトイレで受け取った。
最初に読んだとき、「これは犯人だな」と確信した。
そして、「爆弾の中を開いたら配線に癖がある」と別の警視庁内の協力者が教えてくれた。
「その似ているものはこれまでの事件であったの」と聞くと、「ある」と答えた。
当時の爆弾闘争はあれで終わった。
一般社会も過激派も、爆弾をやっても「何も変わらない」に変わっていった。
ただ、市民の顔を装って爆弾テロを起こそうと思ったら、それができる可能性が今の日本にはある。
■爆破の瞬間、警視庁の床が突き上げられた 1課担当として事件を体感
◇事件発生時、警視庁内で爆弾の衝撃を経験した捜査1課担当記者・生原伸久氏
事件発生は夕刊の締め切りギリギリの時間。
担当は各課を回っていたが、私は刑事部長室の前を通りかかっていた。
その時、床がドーンと突き上げられた。
旧警視庁庁舎は昭和6年の建造で、戦争中に爆弾が落ちても大丈夫なように天井も床も分厚く、頑丈にできていた。
捜査1課幹部の部屋から窓の外を見ると、第一生命ビルの向こうからモクモクと白い煙が上がっていた。
パトカーからの無線は最初、トラックが横転しているので「積み荷のプロパンガスが爆発」だった。
その後、「爆弾が爆発したようだ」に変わった。
刑事も公安担当もない、オール産経の勝利だった。
「爆弾のトラベルウオッチ」「犯人特定につながるタクシー運転手の目撃」「爆弾教本の腹腹時計」、そして
「犯人グループ一斉逮捕」―など担当記者が特ダネを書いた。
各社もいろいろ書いてきたが、大きな節目は産経が押さえた。
新聞記者はなぜ、特ダネを目指すのか。
その競争のエネルギーが隠された事実を暴き出す力になる。
真実を掘り出して読者に届けるのが新聞記者だ。
■悔しさ…「抜いてやる」2年連続の新聞協会賞
◇連続企業爆破事件のスクープと、東京・西新井の産院で起きた乳児・幸恵ちゃん誘拐事件の「犯人 きょう逮捕」のスクープで史上初の2年連続新聞協会賞を受賞・村上克氏
捜査1課担当として目撃者捜しと鑑識の物証に狙いを定めた。一連の爆弾事件11件のうち、5~6件は爆弾の容器と構造をスクープしたと思う。また、御茶ノ水駅の聖(ひじり)橋から個人タクシーに乗り、丸の内の現場付近に向かった2人組が目撃されたことも突き止めた。
事件には後日談がある。仕事納めの日、捜査1課長官舎に各社が集まり、打ち上げをやった。「今年は産経の年だったね」と捜査1課長が褒めると、ある社の担当記者が「そうじゃない。あれは産経の公安担当が勝ったんだ」と言った。この事件は最後は公安の世界。その言葉が当たっていただけに、逆に悔しさがこみ上げた。「来年、完璧に抜いてやる」
当時、捜査1課が抱えていた最大の未解決だった乳児誘拐事件に的を絞った。事件の全容は見えたが、知り合いの捜査員からゴーサインが出ない。連続企業爆破事件と同じで、「いつやるか」だった。そして、その日はやってきた。
■「あの5秒は何だったか」逮捕の瞬間をスクープ撮影
◇捜査員を追跡し、大道寺将司元死刑囚(平成29年、収監中に死去)の逮捕の瞬間をスクープしたカメラマン・小野義雄氏
あの5秒は何だったんだろうか―と今でも思う。逮捕日の早朝、社会部記者と愛宕署から出て行く警察車両を追いかけた。その車は築地署に入り、空の車が出てきた。陽動作戦だった。こっそり出てきた2人の捜査員を二手に分かれて追跡した。私が追った捜査員はそこからタクシーと徒歩、電車の乗り降りを繰り返し、振り切ろうとした。南千住駅で捜査員が降りた。私も飛び降りたが、傘が電車のドアに挟まれた。やっとのことで傘を曲げ、頭を上げた。
雨の中、捜査員はホームの中程に立ち、こちらを見つめている。その間は5、6秒ほどだったろうか。
逃げれば十分振り切れた時間だった。
捜査員は小走りに改札口に向かった。
改札口を出ると、現場責任者と思われる捜査員が「もう分かったから。カメラを隠して」と語りかけた。
駅売店の前に立つと、周囲は変装した捜査員とすぐに分かった。
全ての視線が一点に集中していた。
まもなく、現場責任者が親指を立てた。
どこにでもいるサラリーマン風の男を、さりげなく取り囲んでいく。
そして車に押し込んだ。わずか数分間の逮捕劇だった。
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