李氏「朝鮮」王朝は、満州族の傭兵の部族が、

「高麗国」を軍事クーデターで支配し建国したものだ。

更に、北朝鮮は山岳民族、南は農耕民族だ!

 

現在は、全く、異なる国家に変化している!

 

一緒にすれば、人事交流すれば、簡単に北朝鮮は自滅するだけ!

 

明確になった北朝鮮・金正恩氏の「二つのコリア」路線 澤田克己(サンデー毎日×週刊エコノミストOnline) - Yahoo!ニュース

 

明確になった北朝鮮・金正恩氏の「二つのコリア」路線 澤田克己

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サンデー毎日×週刊エコノミストOnline

 

北朝鮮の国旗(左)と、韓国の国旗(右)

 韓国を同一民族と認めないと主張する北朝鮮の「二つのコリア路線」が、年明けから急速に具体化されてきた。真意がどこにあるかは推測の域を出ないものの、突然出てきた動きというわけではない。「同じ民族」を韓国揺さぶりの材料としてきた従来からの方針転換は、金正恩(キム・ジョンウン)総書記なりの現実路線である可能性もありそうだ。朝鮮半島と「民族」について振り返ってみたい。

 

 

 ■「もはや同じ民族の関係にない」  まず直近の動きを整理しよう。金総書記は2023年末の党中央委員会総会で、韓国を「もはや同じ民族の関係にない」と主張し、「敵対的な国家」とみなすと宣言した。年が明けてからは「大韓民国は我々の主敵である」と断じた。これまで「南朝鮮」と呼んできたのを正式国名に替えたのは、同一民族だと認めるのを拒む姿勢を示している。  韓国との協議や統一問題を専門にする部署は廃止され、韓国や在外朝鮮人向けのラジオ「平壌放送」も停波された模様だ。主に韓国を念頭に置いた対外宣伝用サイトである「わが民族同士」「民族大団結」なども一斉にアクセスできなくなった。  金総書記はさらに統一を前提にした表現を憲法から削除するよう指示した。現行憲法は、朝鮮半島北半部において「社会主義の完全なる勝利」を収めるとともに、「自主、平和統一、民族大団結の原則に基づいて祖国統一を実現する」ことを国家目標としている。

 

 

 ■金日成と朴正熙は「民族」を強調 「自主・平和・民族大団結」というのは、1972年に北朝鮮の金日成(キム・イルソン)首相(当時)と韓国の朴正熙(パク・チョンヒ)大統領(同)が合意した南北共同声明に盛り込まれた統一の三大原則だ。冒頭の「自主」は、「外国勢力の干渉によらない」ことを意味する。北朝鮮から見ると、韓国に対して「米国の言いなりになるな」ということになる。韓国政府内には異論もあったが、朴正熙が受け入れた。  背景にあったのは、冷戦下での一時的な緊張緩和だ。ベトナム戦争で疲弊した米国は中国・ソ連との関係改善を進めていた。それまで東西対立の最前線として、北朝鮮は中ソ、韓国は米国から支援を受けていた。支援の前提は東西対立だったから、大国同士が手を握ると自分たちの存在意義は低下しかねない。南北ともに「見捨てられるかもしれない」という懸念を抱いて対話を始め、その中で「民族」が強調されることになった。

 

 

 日本の敗戦イコール南北分断から30年弱であり、分断以前の状態が「近い過去」だった時代でもある。当時の人々にとっては、同じ民族として統一を願うというのは自然な心境だったと考えられる。現在の私たちに置き換えてみれば平成時代の終わりに昭和を考えるような感覚であり、その時代を生きた人たちにとって分断以前の記憶は鮮明だった。

 

 

 ■金正日と金大中で再び対話  1970年代初頭の南北対話は長続きせず、北朝鮮と韓国は激しい対立状態に戻る。  そして冷戦終結の時期に再び南北対話が進んだ。一定の経済成長を果たしていた韓国が冷戦終結の流れを活用して中国、ソ連と国交を樹立し、逆に北朝鮮は窮地に追い込まれつつあった。この時に締結された南北基本合意書は、前文で「双方の関係は国と国の関係ではなく、統一をめざす課程で暫定的に形成された特殊な関係」だとうたった。  この時は直後に北朝鮮の秘密核開発が露呈し、南北対話も頓挫した。次に大きく動いたのは、統一問題に強い関心を抱き続けてきた長老政治家である韓国の金大中(キム・デジュン)大統領(当時)が仕掛けた北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)総書記との南北首脳会談(2000年)である。  両首脳が署名した共同宣言の第1項目は「国の統一問題を、その主人であるわが民族同士が力を合わせて自主的に解決する」というものだった。1924年生まれで、分断時には成人していた金大中氏にとって同一民族であることは自明の理であったろう。

 

 

 ■関心薄れる若い世代  だが分断から半世紀以上を経ていた韓国社会では、この頃に大きな意識変化が起きていた。

経済的ギャップがあまりに大きくなったことを目のあたりにしたことで、

それまで言うのをためらう雰囲気があった「統一より現状維持の方がいい」という声が目立ち始めたのである。

 

  国論分裂は「南南葛藤」と呼ばれた。

北朝鮮にとっては付け込みやすいポイントだ。

北朝鮮は南北首脳会談後、「同じ民族」であることを強調して韓国社会に揺さぶりをかけるようになった。

 

 

 

 

 ところが、年月が経つに連れて韓国社会の意識はさらに変化した。

以前にも紹介したように、若い世代を中心に統一問題への関心が薄れ、

世論調査でも「早期統一を」と答える人は圧倒的少数派になったのである。

 

  韓国政府系シンクタンク・統一研究院の世論調査では近年、「平和に共存できるなら統一は必要ない」という考えに賛成の人が6割近い。昨年の調査では、北朝鮮に融和的だとされる進歩派の人でも、南北対話に効果が「ない」という回答が61%に上った。

 

  政権レベルでも李明博(イ・ミョンバク)、朴槿恵(パク・クネ)政権までは「統一」を正面から語ったが、

文在寅(ムン・ジェイン)政権で大きく変わった。

対北政策の最上位目標は「平和共存・共同繁栄」とされ、

統一は「究極的」な目標に棚上げされたのだ。

統一を追求しない方針は、現在の尹錫悦(ユン・ソンニョル)政権でも変わらない。

 

 

 ■「朝鮮民族第1主義」から「わが国家第1主義」に

 

  こうした状況の中、2011年末に権力を継承した金正恩氏は徐々に「民族」や「統一」への言及を減らしてきた。当初は金正日時代の「朝鮮民族第1主義」という言葉を使ったが、17年ごろから「わが国家第1主義」に置き換え始めた。21年の第8回党大会では「自尊と繁栄の新しい時代」の幕開けを宣言し、これを「わが国家第1時代」だと規定した。

 

  この時に改正された党規約では、韓国で革命を起こさせて統一するという記述が削除された。さらに、重要ポストとされてきた対南政策担当の党書記も指名されなかった。今年に入って廃止が確認された対南窓口機関である祖国平和統一委員会の活動も、第8回党大会以降、確認されなくなっていた。

 

  そして昨年7月には金正恩氏の妹である金与正氏が談話で「大韓民国」と呼び、韓国人の訪朝不許可を北朝鮮外務省が発表した。本来は祖国平和統一委員会の担当業務だったので、北朝鮮の意図について憶測を呼んだ。昨年末から年明けにかけての動きは、こうした「二つのコリア路線」を明確にしたものだ。

 

 

 

 

 もちろん北朝鮮は状況に応じて戦術を変更する。

過去の南北関係が米ソのデタント(緊張緩和)や冷戦終結に連動したように、国際情勢の激変する現在は流動的な面が大きい。

対北情勢分析に携わった経験を持つ韓国の政府高官も筆者に「南北対話を進めた方が自らに有利だとなれば再び『民族』を持ち出してくるはずだ」と語った。

 

  ただ韓国世論の流れを見ると、「同じ民族」を強調することで韓国社会を揺さぶれる時代の再来は考えづらい。

さらに北朝鮮が今回、「吸収統一」を狙っていると韓国を繰り返し非難したことも考えるべきだろう。

吸収統一は北朝鮮体制の崩壊を前提としており、

それへの反発は韓国との国力ギャップに対する強い怖れを感じさせる。

 

そうであるならば、

金正恩氏の「二つのコリア路線」はこのまま固定化する可能性が高いのかもしれない。

 

 澤田克己(さわだ・かつみ) 毎日新聞論説委員。1967年埼玉県生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。在学中、延世大学(ソウル)で韓国語を学ぶ。1991年毎日新聞社入社。政治部などを経てソウル特派員を計8年半、ジュネーブ特派員を4年務める。著書に『反日韓国という幻想』(毎日新聞出版)、『韓国「反日」の真相』(文春新書、アジア・太平洋賞特別賞)など多数。

 

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