「私」と「公」とのバランスの問題である。

現在は「個人の権利」の主張が大きい。

戦前の「滅私、奉公」の反動である。

 

人間は「社会的動物」である。

まず、社会が成り立つことを考えなければならない。

 

江戸時代は人口7千万人を養うために、

子どもを「間引き」した。

働けない老人を「姥捨て山」に送り出した。

共倒れを、防いだのである。

 

どこに我慢をお願いするか?

冷静に、合理的に、社会の合意として、決定できるのか?

 

〇 〇 〇

 

福島の原発の放射能汚染!

 

福島では、元に戻しても、住民は戻って来ていない!

 

「元への復興」ではなく、

「完全に封印する方式、チェルノブイリ原発事故の封印方式」に、

切り替えるべきである。

 

将来の日本人に「自分の失敗の付けを払わせる」のは、わがままとも考える。

「現在の私情」に流されずに、「政治の失敗」を冷静に判断すべきである。

 

 

 

能登半島地震であえて問う、20年後に消滅する地域に多額の税金を投入すべきか(JBpress) - Yahoo!ニュース

 

 

能登半島地震であえて問う、20年後に消滅する地域に多額の税金を投入すべきか

配信

JBpress

正月の日本を襲った能登半島地震(写真:AP/アフロ)

 (山本一郎:財団法人情報法制研究所 事務局次長・上席研究員)

 

  2024年の幕開け早々、能登半島北端の輪島市、珠洲市周辺を襲った巨大地震。山がちな半島特有の地形や寸断された隘路に悩まされていましたが、ホバークラフトが投入されるなどして、ようやく被災地に暮らしていけるだけの物資が輸送できるようになってきました。

 

  【写真】焼け野原になった輪島市の一角

 

 大型の余震や豪雪などの悪天候もあり得る中で、ギリギリの人命救助や輸送作戦も行われています。石川県の皆さんだけでなく、応援に入られた各都道府県消防・防災ご担当者や防衛省・自衛隊、海上保安庁および電力会社や通信会社、医療関係者ほか各民間の皆さんのご努力には本当に感謝に堪えません。  総理の岸田文雄さんも、巨大地震発生の報が入るや発生1分後には対策室を設置。5分後には関係部門への指示出しを行うなど、きちんと初動の対策に力点を置き、状況把握や人命救助、物資輸送に尽力されました。  石川県知事の馳浩さんや副知事・西垣淳子さん以下、地元も不眠不休に近い激務にて対応を進めています。その結果、良い意味で、国と県・自治体および各省庁・民間の連携が取れたのではないかと思います。  余震も予想される中、気を緩めることなくご安全に対処を続けていただければと願っております。  災害関連死を含め、住民278人が犠牲になった2016年熊本地震では1万を超える自衛隊員が展開していました。それを踏まえ、一部のマスコミは自衛隊投入の規模や時期に関して岸田政権を批判する言動が見られます。  ただ、熊本にはもともと自衛隊基地や駐屯地がある土地柄です。また前述の通り、山がちな能登半島の場合、道路が寸断され、海面が隆起して港湾が使えなければ、陸路も海路もそう簡単には使えず、部隊を大規模に展開する平地も少ないという事情から、同時に大人数を投入することが困難であった事情は斟酌されるべきではないかと思います。  また、岸田政権に対する批判として、閣議決定で暫定的に出せる金額に過ぎない40億円前後の災害対策費が過少であるとの指摘もありました。ただ、これは国会審議を経る前に、政権の一存で出せる金額がまずは40億円であるというだけです。  2023年度(令和5年度)の予備費は4580億円ほど残っており、今月開催される通常国会で補正予算が順当に組まれれば、2月上旬には予備費を使い切るまでに充分な予算が投下できるようになるでしょう。現状では、岸田文雄さんは1兆円を超える復興予算を組むとされており、なかなか強烈なものがございます。  議論の仔細は大濱崎卓真さんが別で記事を書かれておりますので、そちらをご参照ください。  【関連記事】 ◎能登半島地震対応の予備費40億円が「少なすぎる」はミスリード。災害時の予算措置について考える  岸田政権によるここまでの激甚災害の対応を振り返ると、各省庁、石川県と関係事業者、医療関係者の活動を潤滑に進められるようセンター役に徹して、とてもうまく初動の災害対応は乗り切ることができたのではないかと思います。  他方で、石川県知事の馳浩さんが副知事の西垣さんと調整したうえで、奥能登の病院を一つにまとめる大胆な医療改革を元旦の新聞でぶち上げた夕方に、地震が起きたのはすごいタイミングでした。  ここでもし現地医療を支える珠洲総合病院や輪島総合病院、宇出津総合病院、穴水総合病院がなかったら、と思うと肝が冷える気がいたします。  もっとも、金沢大学など地元の医局もカツカツで回っている面もある中、この4病院は基幹病院としてはびっくりするほど不採算なので、能登半島地震の復興予算でこの辺の医療提供体制をどう扱うかという線引きを最初に決めておかないと本当に地雷だと思っています。そのぐらい、僻地での医療は大変なことなのだという思いを新たにしています。  今後は岸田文雄さんの現地入りと併せ、1月下旬に開幕する通常国会の前半では、1兆円規模と見られる能登半島地震の復興メニューに向けた政策議論が始まるのではないでしょうか。

 

 

  さて、ネットでも米山隆一さんや飯田泰之さんら論客が復興のあり方について議論が重ねられていますが、

目下問題になるであろう問題は掲題した

25年後には確実になくなっているであろう、珠洲市や輪島市などにある限界集落

復興予算をどこまでつぎ込むのか」です。

 

 

■ 放っておいたらなくなる集落まで復興の対象とすべきなのか?

   先に、この議論でよくある誤解を先に指摘しておくと、例えば、人口1万2000人あまりの珠洲市は高齢化率、つまり65歳以上人口(老年人口)の割合は51%を超えており、社会保障・人口問題研究所の推計では2040年時点の人口はおよそ7000人にまで減る可能性が示唆されています。激甚災害もあったことで、おそらくこの推計以上に人口減少は進むものと見られます。  これはあくまで市全体の人口推移であり、限界集落、超限界集落の高齢化率はほぼ100%。一部推計では完全有業者率(自ら何らかの業を営み生計を立てていて年金など何の政府補助も受けていない人)も、5%を切っていると見られます。  超限界集落した地域では、地域経済を支える存在は年金や生活保護などの政府扶助が主体とならざるを得ず、地域の文化を継承する次世代の住民もそう多くは見当たらないのが現状です。  問題は、例えば岸田政権が原案のまま1兆円ほどの能登半島地震の復興・再建プランを可決したとして、このような放っておいたらなくなる集落までも復興の対象とするべきなのかという議論が出てくる点です。  ここには、憲法第22条で国民に認められた居住、移転・職業選択の自由と、同25条のすべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利、および同13条で定められた国民の幸福追求権・生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利との整合性を考えなければなりません。  理想論で言うならば、国民は住みたいところに住み、地域には長年にわたって育まれてきた土着の文化もありますので、そこに住む人がいる限り、可能な限り支援するべきだという議論はどうしても出ます。これはこれで正論と言えます。  他方で、国の財源に限りがある中で、そもそも人口が減少し、将来にわたって地域や集落の維持が困難である地域の復興にどこまで国費を投入するのかという点は議論が避けられない問題でもあります。  飯田泰之さんの指摘にもあるように、誤解が多く、総論賛成各論反対になりやすい論点であり、かつ画一的な被災集落の解体と移住を強要するものと誤解されてしまっている面もありますが、単に地域の人口を強制的に剥がしてきて都市部に集住させるという政策というわけではない点は、議論の前提として理解しておかなければなりません。  国土交通省や総務省などが検討を進めているコンパクトシティなど、自治体ごとに策定する都市政策と、これらの政策は別物であることも理解しておく必要があります。  「今回の復興では、人口が減り、地震前から維持が困難になっていた集落では、復興ではなく移住を選択する事をきちんと組織的に行う(促す)べきだ」と米山隆一さん問題提起したように、国民の権利選択の結果、勤労人口が過疎地域での就業を放棄して都市部に移り、猛烈な人口減少と高齢化が進んでいるのは間違いのないことです。持続可能性が絶望的な地域や集落に公費を入れて復興させる必要があるのかということは、議論しなければならない点の一つです。

 

 

  もう一つは、これらの人口減少の事実をきちんと受け止めたうえで、国家が政策として人口減少による日本社会全体の縮退をどうコントロールするのかという話にもつながっていきます。

 

■ 能登半島地震が問う冷徹な現実

 

  熊本地震においても、復興不能な人口規模の地域は事実上の集落の解体が行われました。7700億円とも言われた復興予算も、それなりの割合が未執行(計画には盛り込まれたが、現地でのマンパワーや高齢化した住民のニーズに見合わず計画実施が見送られた)になっています。  さらに、地域の産業をどう復興させるかという論点もあります。  例えば、輪島市は日本でも大変重要な文化財でもある輪島塗の産地ですが、これらの産業を維持するために、政府が被災した事業者などに対して特融の制度を定めても、借り手の側がそのまま廃業してしまうリスクさえも存在します。  制度融資をいくら拡充しても、すでに借り手である事業者が高齢化している以上、仮に無利子無担保であったとしても、3年ないし5年の融資期間の先に自身で事業を担っているのかという点で確かなことは何も言えないからです。  結果的に、40代、50代の事業者のみが挙手をする形にならざるを得ず、文化を文字通り支えている70代以上の職人は廃業するか、他の事業者のもとで働くしかなくなるでしょう。  そもそも、輪島市や富山県氷見市も含め、日本海側の各地域に一定の人口が維持されてきた背景には、日本海側が長く我が国の海運の大動脈であり続けたという歴史的背景があります。  ただ、能登半島北端も、日本海側の海運の衰退とともに繁栄の理由を失って産業的な優位性を失い、結果として過疎化が進みました。いくら輪島塗が日本を代表する文化的事業であっても担い手を失いかねない現実に直面するわけです。  日本の“名宰相”とも謳われる田中角栄は、「山間部の60戸しかない集落では、病人が出たら戸板で運ばなければならない。そういう人たちのために12億円かけてでもトンネルをつくることが政治の役割だ」と喝破しました。  ただ、2C1Pacific氏も記載しているように、1億人の人口のうち高齢化率が1割程度であった70年代の日本と現在とでは、住民が求める生活の水準がそもそも異なります。  地域の電化率だけでなく、上水道やネットインフラはもちろんのこと、救急や産科小児科を持つ相応に設備のある基幹病院や子どもでも通うことのできる学校など、子育て環境がなければ地域で子どもを産み育てることができません。  その病院も含めた子育て環境も、厳しくなる人口減少と財政の問題から、石川県では奥能登の医療集約を進めようとしていたことは冒頭に述べた通りです。住民が安心して子どもを産める環境でなければ地域人口など増えるはずもないのですが、人口全体が減少してしまうとこれらの都市機能を維持することができません。  子育て世帯は勤労世帯ですので、結果的に子育て環境とよりよい仕事を求めて都市部に出ていくのもまた当然の帰結です。  このように、我が国の人口減少は画一的に起きていることではありません。子育てが可能で、地域で次の世代を育てることのできる地域以外は人口ボリュームを維持できず、生活機能と職場が失われ、衰退に拍車がかかるということです。  そういう地域に残るのは、どこに暮らしていても一定額の支給が得られる年金生活者と生活保護世帯、および市役所町役場などの公的部門だけです。  そういう生産性を失った地域が、今回の大地震のような激甚災害を受けて損害を被ったとして、その復興で災害の前の生活を取り戻すような公費を投じることが、どこまでならば妥当なのか、冷静に議論しなければならないでしょう。

 

 

 

 

■ これからの日本に必要な衰退のコントロール

 

  必要なことは、どこまで縮小すれば、住民の努力である程度の自活ができるレベルまで地域が集約できるのかというブループリントをつくることです。  これらの災害対応で岸田政権をが打ち出す1兆円あまりの復興費用は、とりもなおさず税金であり、地域医療や年金という観点からすれば社会保障費そのものです。  災害復興が進んでも、地元の事業者が潰れて働き口がなくなれば、必然的に年金のみが収入の生活になる高齢者や生活保護を受けざるを得ない世帯が増えます。これらの財源は、日本の勤労世帯の社会保険料です。  地元の採算・生産性が回復する「良い復興」が進まなければ、国民の社会保険料負担はますます重くなるし、発行される国債が一層多額になり納税者負担となることを忘れてはいけません。  勤労世帯の社会保険料負担が重くなり、重税感が国民に広まっているにもかかわらず、こういった生産性が乏しく、自活が難しい地域の復興予算を充分に出すべきだという話が併存してしまうのは、国民の適正負担の観点から見ても公平性を欠くうえに、そもそも矛盾しています。  地震のような、誰のせいでもない災害に遭ってしまうことは、地域住民の責任ではなく仕方ないことなのだとしても、その復興がある程度、自力でできない限り、いつまでも公費で地域丸ごと被災者を助け続けることはできないということです。  もちろん、このような議論が行き過ぎれば人口減少の地方は姥捨て山なのかとか、今後激増が予想される未婚で貧困の高齢者に対する安易な安楽死議論のような極論もどんどん出てきてしまうことでしょう。

 

  必要なことは、先にも述べた通り、

人口減少で地方社会・経済の衰退は

誰かが何をしようとも押しとどめることはできないのだから、

せめて勤労世帯も高齢者も、あるいは都市生活者も地方在住も

共倒れにならないように、衰退をきちんとコントロールしながら

最善の経済縮小・撤退戦を日本経済は政策的に図っていかなければならない

ということに他なりません。

 

 

 

  【関連リンク】 ◎【数千億円の予算】能登半島地震の「復興」が熊本地震より難しい理由について……(YouTube)  おそらくは、輪島市を中心に能登半島北部は自活できない自治体を集約して自治体再編をしましょうという議論も出ることでしょう。公費の投入も必要だ、復興も頑張ろうという話になることは間違いありません。  しかしながら、何をどこまで救うのか、これらの災害復興をトリガーにして、時計の針がもっと進むことになってしまう地方救済のモデルケースとして、ゆくゆくは日本全国にある、5万人に満たない地域の再々編も想定しておかなければ、何か地震や豪雨のような激甚災害があるごとに希少な国民の資源が投入され続けることになりかねません。  「何が、どこまで救済されるべきか」という線引きは、人口減少下の社会保障や災害復興政策では非常に重要になると思いますし、発生が予見される南海トラフ地震で、首都圏や東海地方などが重大な災害に巻き込まれた場合にも参考にしておく必要があろうかと感じます。  【著者の関連記事】 ◎安倍派ガサ入れもトーンダウンし始めた検察と、俺たちの岸田文雄政権の2024年 ◎公民権停止で詰んでいるパー券裏金議員、岸田首相は安倍派的なるものと訣別を ◎現代政治思想そのものだった池田大作氏、戦後政治に残した平和外交路線の矜持 ◎ガザは遠い地の惨劇にあらず、長引けば日本のエネルギーと安全保障を危機に ◎シングルマザーとか埼玉に住めなくね? 子ども放置禁止条例と児童福祉の蹉跌 ◎秋口解散の3回のタイミング、改造でスベった岸田首相はどこで勝負を賭ける?  ◎結果だけ見ると岸田政権は「国民の敵」、なぜ物価高対策をアピールしない?  ◎11月26日投開票日の可能性? 河野太郎氏留任に透けて見える岸田政権の解散戦略 ◎税金ですけど何か? 処理水放出、科学的根拠のない批判対策にブッコミ800億円 ◎極右から中道左派まで取り込んだ安倍晋三、悲運の死から1年経って思うこと ◎行政論と憲法的にやっちまった感のある共産党水着撮影会プール利用禁止事件  山本 一郎(やまもと・いちろう) 個人投資家、作家 1973年東京都生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒。東京大学政策ビジョン研究センター客員研究員を経て、情報法制研究所・事務局次長、上席研究員として、社会調査や統計分析にも従事。IT技術関連のコンサルティングや知的財産権管理、コンテンツの企画・制作に携わる一方、高齢社会研究や時事問題の状況調査も。日経ビジネス、文春オンライン、みんなの介護、こどものミライなど多くの媒体に執筆し、『ネットビジネスの終わり(Voice select)』『情報革命バブルの崩壊 (文春新書)』『ズレずに生き抜く 仕事も結婚も人生も、パフォーマンスを上げる自己改革』など著書多数。 Twitter:@Ichiro_leadoff 『ネットビジネスの終わり』(Voice select) 『情報革命バブルの崩壊』 (文春新書) 『ズレずに生き抜く 仕事も結婚も人生も、パフォーマンスを上げる自己改革』(文藝春秋)

山本 一郎

 

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