サイバー空間で広がる「仏教」の新たな役割とは~「引きこもり」と「社会」との間を融和できるのか?(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース

 

サイバー空間で広がる「仏教」の新たな役割とは~「引きこもり」と「社会」との間を融和できるのか?

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現代ビジネス

偉大な作家は引きこもり

 

 「引きこもり」は、現在の日本における大きな社会問題の一つだと言ってもよいであろう。私の周辺でも、子供の引きこもりに悩んでいる親御さんが少なくない。 【写真】「地政学リスク」「インフレ第2波」「米大統領選挙」「台湾総統選挙」……  だが、なぜ彼らが引きこもりになるのか。あるいは、引きこもりの「プラス面」はないのだろうかという問題について、議論が尽くされていないように思える。  後述するように、引きこもりは「彼ら自身」の問題もさることながら、「社会現象」であり世界的に広がっている。  また引きこもりは、「彼ら」の「(心の奥底からの)メッセージ」であるとも考えられる。  そこでまずは、文学史に残る「引きこもり」とされる、J・D・サリンジャーについて考えたい。  彼の代表作である「ライ麦畑でつかまえて」は、1951年の初版以来世界で6000万部以上を売り上げ、いまなお年間50万部が新たに読まれているという大ベストセラーである。  私も10代でこの作品に触れた時には稲妻に打たれたような衝撃を受けた。ある種の「引きこもり」へ至る物語なのだが、社会や大人の欺瞞・建前を「インチキ」と拒否する「反逆性」も内包している。  このような「社会に対する反逆」を描いた作品に、自動車事故によって24歳で亡くなった「永遠の青春のシンボル」とも呼ばれるジェームス・ディーンが主演した、「理由なき反抗」がある。  また同じように、26歳で急死した尾崎豊も「反逆児」であり、彼の代表作の一つである「十五の夜」の歌詞の一節「盗んだバイクで走り出す……」は有名である。  ジェームス・ディーンも尾崎豊も、前述の歌詞の一節「行く先も解らぬまま、暗い夜の帳りの中へ」へと向っていたのだと思う。そして「誰にも縛られたくないと、逃げ込んだこの夜に」よって「自由になれた気がした、十五の夜」となったのではないだろうか?   彼らが「外側に向って反逆」しているように見えて、「(自分だけの)自由な夜」を求めていたのだとすれば、「引きこもり」の代表と世間で思われているサリンジャーと、実は同じものごとの『裏と表』」のように思える。引きこもりも「自分の精神世界に閉じこもって、『自分自身の自由』」を追求しているからだ。  実際、前述「ライ麦畑で捕まえて」で、主人公が「『世の中のことすべてが気に入らない』から『引きこもり』へと向う」過程においても、暴力的なものも含まれる社会との関り(対立)が多数描かれる。  サリンジャー自身の「引きこもり」については、2019年12月22日 猫じじいのブログ「引きこもったサリンジャー、映画『ライ麦畑の反逆児』」が参考になると思う。  晩年のサリンジャーは人前に出ることもなく、2メートルの塀で囲まれた屋敷の中で生活をしていたとされるが、地域の人々との交流はあったとする話もある。ただ単純に、新聞・テレビなどのメディアを含む「社会や大人の欺瞞・建前」と距離を起きたかっただけなのかもしれない。

 

 

 

 

 

「主張」があるから引きこもりになる

 現在、共産主義中国で深く静かに広がり、習近平政権も危機感を強めているとされるのが「寝そべり族」(躺平主義)である。  これは、「引きこもり」よりは「社会性」があるといえよう。社会の中で暮らすことそのものは拒まないが、「欺瞞だらけの社会(政治)が敷いたレールの上には乗らず、(見せかけの)ニンジンにかじりつくことを拒否」するというわけだ。  2019年5月18日公開「天安門事件30年で中国は毛沢東時代に逆戻りする予感アリ」で述べた6.4天安門事件に象徴されるのが中国の強権政治である。何らかの「活動」をしても「すぐに潰される」政治体制に対しての、「消極的に見えながら、実は『強いメッセージ性』を持つ」行動なのかもしれない。  「勝ち目の無い強大な権力」に対する抵抗運動としては、マハトマ・ガンディーの「非暴力・不服従」がある。世間では「ブリカス」と呼ばれることもある、歴史的に(暴力によって)植民地の人々を蹂躙してきた英国の専横支配に対して、「武器を用いた戦闘」=「暴力」によらずに勝利したことは、画期的だ。  また、ガンジーの非暴力的抵抗の教えに共感し「公民権運動」をリードしたキング牧師も、黒人の地位向上に多大な足跡を残した。  どちらも、暴力的な人々によって暗殺されるという悲劇的な結末となったが、昨年12月9日公開「戦争、暗殺の時代だからこそ寛容を語りたい~善悪二元論は必ず間違える、『絶対正義』は存在しない、一神教より多神教」や1月9日公開「神仏習合の日本は『民主主義先進国』、これが灰色の世界への向き合い方」で述べたカエサルの名言「自分は自身の考えに忠実に生きたいと思う。他人も同様だろう。したがって、(私は)他人の生き方も認める。もしそのことによって、敵が私に再び刃を向けることになったとしても仕方がない。そのように生きることが私の願いだから」との思いであったのではないだろうか。  そのような「相手の存在も認める『非暴力』」だからこそ、社会を動かすことができたのだとも思える。  習近平氏が「躺平(タンピン)主義」に神経を尖らしているのも、一見消極的に見える行動が、実は共産主義体制を転覆させるほどの力を持っているからではないだろうか。  私の同世代の人間が集まると「今の若者はなぜ『火炎瓶』を投げない」という話題になることがある。確かに我々の世代では、社会に不満があれば「直接的行動」で表現した。  だが、今の若者は警察権力などによって結局は鎮圧される「直接的行動」ではなく、「結果を出せる『非暴力・不服従』」の方がより賢明だと考えることができる、したたかさを持っているような気もする。

 

 

 

 

 

世界各地で

 韓国でも引きこもりの問題は深刻で、KBS World 昨年12月14日「韓国政府 引きこもりの若者への初の支援策を発表」と報道されている。  日本経済新聞 昨年8月16日「中国、22年の出生率1.09 現地報道、日本を下回る」と報道されたが、韓国においては、ジェトロ昨年12月4日「第3四半期の合計特殊出生率、過去最低タイの0.70」である。  デイリー新潮 昨年12月18日「『韓国消滅』と慌てふためく韓国人…急激に落ちる出生率は“世界ワースト1” 日本への『上から目線』は続くのか」で述べられているように「韓国消滅」も視界に入る深刻な事態である。  少子化の原因は色々あるが、「欺瞞に満ちた世界」に、「我が子」を送り出したくないという動機も少なくないはずである。となれば、「欺瞞に満ちた社会」を何とかしなければ、「少子化」の流れを止めることはできない。  そして、昨年12月20日公開「政府の『大学無償化』は学歴バブルの下支え、少子化対策を大義名分にした現役世代の虐待だ」で述べたように、「バラマキ」で少子化を止めようとするなどということは「無駄な抵抗」である。  また、昨年12月30日公開「ご破算連発の大乱に対処するには、大局が重要、時代遅れなべき論は無駄」5ページ目「式年遷宮に学ぶ」で述べたように、おおよそ式年遷宮4回分=80年の垢が溜まった、戦後体制が維持されている世界中の国々の社会における「欺瞞」が激化している。  例えば、101カレッジ「世界のひきこもりについて」のように、「引きこもり」や「それに類する問題」が多くの国々でクローズアップされているのだ。

生物は「引きこもりがデフォルト」?

 すでに述べたように、現在の多くの国々での「社会的欺瞞」は、1945年の第2次世界大戦終了後の「戦後体制」で積み重ねられた。  だが、引きこもりや少子高齢化は、もっと根源的な「生物の(社会に対応する)本能」が影響しているのかもしれない。  「ユニバース25」として知られる興味深い実験については、Okkinahashi氏2022年5月14日「Universe 25 Experiments」がわかりやすいと思う。その他にも、この実験に関する多数の動画がユーチューブなどで公開されているからそちらを参照いただきたい。  実験の結果を誤解を恐れずにまとめてしまえば、(ネズミの場合)、生命の危険や飢えの恐れが無い環境(すなわち彼らにとっての「楽園」)下では、様々な(ネズミの)社会問題が発生し、「引きこもり」などの「非社会的個体」が徐々に増えた後全滅するということだ。  「ユニバース25」という名前の通り、25回実験を行ってもすべて同じような結果であったとのことである。ただし、この実験が追試によって検証されたという情報は無いし、人間に当てはまるのかどうかさえ分らない。  しかしそれでも、この実験の結果は我々に多くのものを示唆しているのではないだろうか? 戦後世界、特に日本を含む先進国では、生命の危険はほとんど無く、飢えとも無縁な時代が長く続いた。  多くの人々が経験するように「他人との交流は楽しいが、気疲れもある」。もし「楽園」であれば、生物に「社会性」など必要無いのではないか。「引きこもり」問題を考える時に、この「重要な問いかけ」を無視することはできないように思える。

 

 

 

 

個人の救済は?

 2022年8月15日公開「メタ(旧フェイスブック)はメタバースで行き詰まってこけるのか」4ページ目「メタバース寺院は成功するかもしれないが」において、メタバース寺院である「宝瑞院」について触れた。  この寺の副住職である沼田功は、私が執行パートナーを務める「人間経済科学研究所」のフェローである。  彼が、「メタバース寺院」を着想したのは、実はこの寺の住職がかなり重度の引きこもりであったからだ。詳しくは、「大原浩の逆説チャンネル<第45回>「引きこもり」からの脱出! それはどのように行われたのか?」を参照いただきたい。要するに、人前に出て説法ができないのであれば、メタバースでやるしかないということである。  また元々、仏教には、2020年12月4日公開「仮想現実に覆われたこの世界で認識を変えれば覇者になれるのか」副題「『マトリックス』と空海の『唯識』」のように、メタバース的世界が存在している。  現在では、住職の「引きこもり」は治ってしまったので、メタバース寺院である必然性は無くなってしまったが、引き続き興味深いチャレンジである。  また、沼田との交流の中で住職の引きこもりが治癒したことも非常に興味深い。ありきたりな「社会に適合すべき」という「べき論」ではなく、沼田が彼の「静かな反逆」に寄り添う姿勢を示したことが大きいと思われる。

「経済の時代」から「政治・思想の時代」へ

 「経済の時代」には、資本主義国家だけではなく、共産主義中国でさえ目の前にニンジンをぶら下げるだけで良かった。人々がその「ニンジン」を求めて必死に働いたからである。

 

  だが、時代は大きく変わった。引きこもり、少子化だけではなく、現在我々が直面している数々の問題は、「経済」だけでは解決できない。「人間の内面に迫る」精神性がもっと重要になり「政治・思想の時代」へと大転換するはずである。

大原 浩(国際投資アナリスト)

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